仇
「かわいそうに……まだ小さいのに」
黒い雲に覆われた空の下、両親の棺に抱きついてずっと泣いている少女を見て、初老の夫婦は悲しそうに呟いた。
「どうして……どうして、こんな事になってしまったんだろうかの……」
「シラトリは有能な男だった。まさかこんな事で……」
「しかも奥さんまで。さぞかし無念でしたろうに……」
「あんなに幸せそうな夫婦だったのに。こんなところで……うう」
葬儀に参列する人々の中にも、故人の死を悼み、悲しむ声があちこちからささやかれた。
ずっと泣きじゃくる少女の名はサキ・シラトリ――幼い日の早紀である。
「サキ……、もう送ってあげないと」
早紀の元にひとりの青年がやってきた。
「義兄さんも姉さんも、別れは悲しいだろうけど、いつまでもこうしているわけにもいかないよ。サキ」
青年は早紀のそばに屈んで、そっと肩を抱いた。彼は早紀の母の弟――早紀の叔父の様だ。
「義兄さん、姉さん……うう」
青年も早紀を抱いたまま、涙が溢れた。
その時、空から小さな雨粒が降ってきた。雨が強まってくるにつれて、湿気を帯びて漂ってくる土の匂い。
空もまた悲しみの色に染まり、泣いているかの様だった。
「ヴォルフ!」
早紀は叫んだ。
「ふん、いくらでも吠えるがいい。その後、お前をあの世の両親の元に送ってやる」
ヴォルフは由衣の頭に向けていた拳銃を、早紀の方に向けた。
「くっ……」
苦々しい表情で、ヴォルフを睨む早紀。
「さあ、死ね」
そう呟いて、引き金を引こうとした時、ヴォルフの指が止まった。ヴォルフはそのまま視線を横に動かし、あるところで止まった。
「……なるほどな」
ヴォルフはそう言って、その視線の先にいる人物を見た。
そこにはクリスがいた。クリスは拳銃を構えて、その銃口をヴォルフに向けていた。
「さあ、銃を捨ててもらおうか」
「ふん、お前の腕で俺を確実に狙えると思ってるのか?」
ヴォルフは少し小馬鹿にした様な言い方だった。まともに撃った経験もなさそうな、ひ弱な男にできるはずがない、そう高を括っている風だ。
「当たるさ。確実に」
クリスは相当に自信があるらしい。一向に構えを解かない。
「そうか? ふふん、なら撃ってみろ」
「ま、待って――クリス! 由衣がいるのよ!」
早紀が慌ててクリスに撃たない様に言った。
「大丈夫だよ。これは外れない。あの男の額に命中するのさ」
「何を根拠に――クリス、あなた本当に撃った事があるの?」
「あるよ。何度かはね」
クリスはそう言って、本当に引き金を引こうとした。
「だ、だめ! やっぱり――」
早紀が、クリスとヴォルフの間に割り込む様に動いた。その時、クリスの持つ拳銃から弾丸が発射された。
銃撃音はしたものの、ヴォルフには当たらなかった。
「クリス!」
早紀は叫ぶ。しかし、どうやら外れたらしい。誰にも当たらなかった様だ。
「ふふん、大した事はないな」
「何をするんだ、サキ! 邪魔しないでくれ!」
クリスは早紀が割って入ろうとしたのが、外れた原因だと言いたい様だ。
「あなた、本気で言ってるの?」
「当然だ!」
ふたりが言い合っていると、由衣が叫んだ。
「早紀、クリス!」
早紀が由衣とヴォルフの方を向くと、ヴォルフは早紀に銃を向けていた。
「馬鹿な奴らだ。まあ、これで終わりだ」
そう言って、引き金を引こうとした時、由衣が思い切りヴォルフの腕に拘束されたままで足掻いた。
「こ、このガキ!」
ヴォルフは由衣を突き飛ばすと、すぐに早紀に狙いを定めた。が、ヴォルフが引き金をひく前に、早紀は自分の銃を抜いて構えていた。
「銃を捨てなさい!」
「チッ、しくじったか」
ヴォルフは手に持った銃を、屈んで足元に置いた。――しかし置いた瞬間、そばで尻餅をついていた由衣を、引っ張り込んで再び盾にした。
「さ、早紀……」
由衣は、再びヴォルフに捕まってしまった。
「由衣を離しなさい。この距離なら、私はあなたを正確に狙えるわ」
「ふん……」
ヴォルフがやむなく、由衣を拘束している腕を緩めると、由衣が離れようとした。しかし、その時――ヴォルフは脇に持っていた、もう一丁の拳銃を取り出して撃った。
早紀には見えなかった。ちょうど、由衣の体で隠れる形になっていた。
「くっ!」
早紀を狙う弾丸は、早紀の左肩をかすめた。そのまま右へ飛び移る様にして逃げた。そばにあった大型のモーターの残骸に隠れる。クリスも伏せた。
ヴォルフは再び由衣を捕まえると、由衣の腹を殴った。意識を失い、倒れこむ由衣。しかし、ヴォルフは倒れる前に由衣を肩に抱え上げると、後方の壁際にあった階段から上に上がっていった。
「待ちなさい!」
早紀が叫ぶと、ヴォルフは二発、三発と撃ってきた。伏せて回避する早紀。クリスも物陰に隠れた。
十メートルほど、上がったところに、壁に沿って幅二メートル程度の金属製の歩廊がある。ヴォルフは、この歩廊の先にあるドアから外に出た。
「由衣!」
早紀は、ヴォルフを追って階段を上っていく。そして、ヴォルフが出たドアから外に出た。
早紀が外に出ると、その先は再び長い歩廊が続いている。付近には配管やら大型のタンクやらがあって、複雑な構造になっていた。外は暗く照明もない為、視界が悪いが、用心しながら進んでいった。
ヴォルフは見えない。随分と離されてしまった。おそらくだが、ヴォルフはこれまでこの逃走経路をチェックしていたのではないか? だから何のためらいもなく、素早く動けるのだろう。早紀は、敵ながらやはりすごい男だと思った。
大きなタンクが三台ほど並んで、それぞれに歩廊が枝分かれしている。どれもタンクの上部に続いている様だ。この歩廊は身を隠す場所がない為、狙撃される場合かなり危険だ。ただ、この付近にはヴォルフは潜んではいない様子だった。タンクの方には行かず、ずっとまっすぐ進んでいった。
進んだ先には別の工場の建屋に突き当たって、その壁に沿って階段がある。今度は下に下っていく階段だ。その降りていく途中で工場の建屋に入る為のドアがあった。ドアに付けられた薄汚れた窓から、明かりが見えた。
早紀は、ドアを開けて中に入った。
中には再び歩廊があり、その少し先から階段になっていて、一階のフロアに降りられる様だ。ここを通っている最中に、今いる部屋の向こう側に明かりが見えるのに気がついた。
――あそこだろうか?
早紀はすぐに降りて走っていった。