発症者
「……無駄だよ。ジャック」
喚くジャックの声をさえぎって言ったのはクリスだった。相変わらずニコニコと笑顔を絶やさない。
「ク、クリス?」
由衣が言った。
「どういう事なの?」
早紀が言った。
「フフフ、ボク達にはね。その中性子爆弾……いや、爆弾とは言わないんだろうけどね。そんなもの使ったところで、なんの被害もないんだよ。そう……ボク達、<発症者>はね」
「――<発症者>がどうして?」
由衣はクリスが何を言っているのかわからなかった。
「バカな事言ってんじゃねえ! そんなはずがあるか!」
ジャックは叫んだ。
「それがあるんだよ。——では、説明しようかな」
クリスは言う。……なぜ発症するのか。
「――それはいつ頃だったかな。およそ二十年くらい前の話だ。そう、西暦二〇〇〇年頃だろうと予測している」
クリスは、淡々と――そして思い出す様に語り始めた。
「地球には今も昔も、常に放射線にさらされている。いわゆる宇宙線だね。二〇〇〇年頃、地球にある特殊な宇宙線が降り注いだ。ちなみに人類はこれを観測できてはいない。当時誰もこの宇宙線を認識できなかった。だから報道もされていない。誰も知らないんだから」
「そんなものが……?」
皆、不思議な顔をしてクリスの話を聞いている。
「そう。ボクだって、この事実に気がついたのは最近なんだ」
クリスは言った。これは本当だった。クリスはあらゆるところをハッキングして、様々なデータを回収した。それによって、二十年ほど前に、その様な特殊な宇宙線が地球に降り注いだ事を『予測』したのだ。全ては計算して導き出したと言ってもいい。
「――でも、これはこの時だけで、特に生命を危機に陥らせる様なものではなかった。だが地球上の生物は、これを大変に危険なものだと直感した」
クリスの話す事に、静かに耳を傾ける由衣達。
「この特殊な宇宙線は、実は浴びすぎると遺伝子情報を破壊する可能性を持っている。そして……すべての生物は、この特殊……いや、危険な宇宙線から生命を防御するべく、進化を模索し始めたんだ」
クリスはまっすぐに由衣の顔を見ると、両手を広げた。
「そして……十数年の時間が過ぎていった」
一瞬、間をおいて再び口を開いた。
「――二〇一四年。アメリカで最初の『老化』の<発症者>が現れた」
二〇一四年、三月。テキサス州ダラス南部の田舎町に住む男性、ジョン・クラークが「どうも身体の調子がおかしい」と訴えて、地元の医師ビル・カーターの元に診察に訪れた。
カーター医師は、クラークの言う<おかしい>という症状が診察ではわからなかった。検査では何も問題がなかったのだ。その為、やむなく時間の経過にて観察した。
しかしその後、それは目に見える状態で症状に表れてきた。通常では考えられない早さで身体は老いていき、クラークは当時四十二歳だったが、最終的には白髪の老人になっていった。その様子を間近で見続けていた彼の妻子も、その変貌に驚きを隠せなかった。
『老化』は四ヶ月ほどで収まったが、クラークの身体は推定六十歳と診断された。カーターはこの間、試行錯誤の治療と共に独自の研究を重ね、二〇一五年三月にこれを発表。ただ、まだこの時はあまり注目されなかった。
その後、世界中で同じ症状、もしくはそうと予想される症状の患者が出てき始めた。
世界の医学界はこの症状を、医師の名にちなんで、<カーター症候群>と命名した。
それから三ヶ月後の、二〇一五年六月頃には、『身体が若返っていく』という、これまた異常な現象までも起こっている。『若返り』と通称された症状だ。
今では『若返り』は『老化』の一種として認知されているが、当時は何もかもが手探りで、当然このふたつもまったく別の病気ではないかとも言われた。
カーター医師は現在も研究を続けており、<発症者>の特性について、多くの発見をしている。
クリスはなおも語る。
「――我々の生命は、この宇宙線という名の侵略者から、身体を防衛する為に体質を少しづつ変えようとした。が、ある時、突然変異が起こったんだ。それが『老化』だったんだよ」
「……突然変異」
「そう、突然変異さ。生命は、宇宙線の影響を最小限に抑える手段として、細胞分裂を極力遅らせる事を考えた。そうする事で、放射線――宇宙線の影響を抑える事ができるからだ」
「……まあ、ベルゴニー・トリボンドーの法則通りならそうなるけど、その特殊な宇宙線とやらでもそうなの?」
ずっと聞き入っていた由衣は、ふいに口を開いた。
『ベルゴニー・トリボンドーの法則』とは、細胞分裂の頻度が高い、長期間にわたって分裂する、形態および機能が未分化なほど、放射線の影響を受けやすいという。
この法則に従えば、細胞分裂をしなくなれば放射線——宇宙線の影響を受けにくくなる、という事である。
「さすがユイだねえ。そうなんだ。特殊とはいえ、あくまで放射線の一種ではあるからね」
クリスは由衣の方を見て微笑んだ。
「だが……この無茶な進化は、身体の急激な変化を促す事になった。なにせ、そもそも進化というのは、世代を重ねていくうちに行われるものだからね。当の本人がいきなり進化するというのは、通常ありえない。ありえないはずだが、身体は急激に老化していった」
クリスは話を続けた。