追跡
ジャックの手下達を蹴散らして、とりあえずその場を離れた早紀は、すぐに由衣に電話をかけた。しばらく待つが電話には出ない。どうしようもなく、早紀は電話をきった。
「由衣……」
早紀は周囲を見て由衣の身を心配した。近辺にいないという事は、連れ去られた可能性が高い。しかし、どこに連れ去られたのか? 周辺を少し見て回るが、どこにもいる様には思えない。
早紀はヴォルフに電話をかけた。
『どうした?』
ヴォルフはすぐに出た。
「ヴォルフ、由衣が……由衣がいないの」
『一緒ではなかったのか。しかし……』
「奴らに連れ去られた可能性があるわ」
『——確かにな。二、三人が西の方に走っていったのを見たが……果たして』
「そう、わかったわ。どうにせよこのままではいけない。あなたの言う西の方を探してみるわ」
『わかった』
早紀は電話をきると、その方向に向けて駆け出した。あてはないが、今は走るかしかない。
「あれは……クリス・ハワード?」
早紀は、偶然にもクリスの姿を見つけた。誰かと電話をしている様子だ。
物陰に隠れて、しばらくその様子を伺っていると、クリスは電話をきってそのままスマートフォンを操作して眺めている。何かを調べている風だった。
そして、それが終わるとスマートフォンをポケットにしまって、周囲を見回してどこかに向かって歩き出した。
――どこに向かうつもりだろうか?
早紀は、クリスの姿が確認できるギリギリの距離を保ちながら、クリスを追跡した。
ずいぶん歩いた様に思った。もうあれから三十分くらいなるだろうか、次第に街の景色から田畑の多い景色になってく。街灯が少ないせいか、市街地に比べて夜の暗さが引き立ち、見失わない様に注意した。
――どこに向かうつもりなのか不明だが、あの電話の相手はジャックとかいうテロ犯だと思われる。ならば、クリスの向かうところには、ジャックとその仲間がいるという可能性が高い。という事は、そこに由衣がいる可能性もある。早紀はそう直感した。
田舎道の先に大きな建物が見えた。クリスはその方向に向かっている様だ。
その建物は――おそらく工場ではないかと思われた。暗いので、細かい部分は不明だが、あの規模の民家など考えられず、ビルマンションとも違う、そして大きな柱……でなない。多分煙突だろう。おそらく工場のボイラー施設の煙突ではないかと思われる。
まさか工場に? と、早紀は疑問を抱いた。工場だと、交替勤務で二十四時間操業している場合も多く、今の時間でも人がいるだろう。
――夜は停止している工場だろうか? いや、それよりも……明かりがない。いくらなんでもそれはおかしい。
早紀の目の前に近づいてくるにつれて、どうやらその工場はすでに操業していない、要するに廃工場だという事に気がついた。
目の前の正門は閉ざされている。クリスは周辺をキョロキョロして、何かを探している様だった。
そして、門の前から、少し向こうのフェンスのあたりに移動した。そこで何かをした。早紀が見てみるに、そこには板の様なものが数枚立てて置いてあった。大方、フェンスが壊れているので、その破損部分を埋める為に板を置いてふさいでいるのだろうと思われる。
案の定、クリスは板の一枚を横にスライドさせると、中に入っていった。
早紀もその様子を見届けると、そこまで近づいた。見てみると、縦横一メートル程度の開口部ができている。板は三枚あって、すべて木である。厚みが一センチあるかどうかの割合厚めのベニヤ板だ。数カ所を針金でフェンスに固定してあった。真ん中の一枚が横に退けられいた。
早紀は、ベルトに取り付けているホルスターから拳銃を取り出した。
これはシグ・ザウエル社の自動拳銃、P228だ。高価だったが、信頼性の高さで有名なP226のコンパクトモデルである。早紀は数年前に、知人のつてで手に入れてずっと愛用していた。
取り出したP228のスライドを引くと、そのままP228を構えて、フェンスの開口部の中をそっと覗いた。
どうやら敵の気配はしない。早紀は拳銃を構えたまま、慎重に工場敷地内に侵入した。
かなり大きな廃工場だ。二年くらい前に閉鎖された化学工場の様で、大きな工場建屋が三棟並んでいる。それにあちこちに二、三階建ての鉄筋コンクリートの建物があちこちにあった。大きなアルファルトの通りが一般の道路の如く走り、それとともに大小無数の配管が束になって地上から数メートル上を這いまわっている。錆びて赤茶色をしているものや、色とりどりに塗装されているものやら様々である。
早紀は所々で身を隠しながら、慎重に入っていった。敵が何人いるのかはわからない。また、敷地面積は広くクリスを見失うと、まずい事になりそうである。
もしいるのなら、ジャックがどこにいるのか……そして、クリスはどこに向かっているのか?
一定の距離を保ちつつ、クリスの後をつけていく。そうして正門から見て一番手前にあった、大きな工場建屋の隅にあったドアを開けると、その中に入っていった。
――あそこか。
早紀は素早くそのドアに近づくと、周囲を拳銃を構えながら見回す。敵の気配はない。
この工場の内部がどうなっているのか不明だが、この内部は敵があちこちに配置されているであろう事が予想された。耳を澄まして内部の様子を探るが、音もしない……いや、音がする。人の歩く音だ。おそらくジャックの手下達であろう。
――ここから侵入するべきか……他から入るべきか。
早紀は少し考えたが、内部の構造がわからない限り、夜中である事も考えて、他からの侵入は迷う可能生が高い。
早紀は一旦かがみ込むと、アルミ製のドアのノブをゆっくり回して、そっと開けてみる。そして内部を覗くと、ふたりいるのが見えた。どちらも懐中電灯を持って周囲を監視している。そのまま入ると、簡単に見つかってしまう。
しかし、暗い室内を目を細めて観察すると、ドアから入ってすぐ手前に何かの機械がある。人の体を隠せそうな、割合大きな機械だ。そして見える敵の姿は割合遠い。
なるべく音が出ない様に、ゆっくりと人が通れるくらいに開けると、早紀はすっと身体を隙間に滑り込ませ、中に侵入した。そして、手前にあった大きな機械の影に身をひそめると、拳銃を構えた。
その時、ドアが勝手に閉まって、ドアの閉まる音が鳴った。
敵はその音に敏感に反応した。すぐさまこちらにやってくる。早紀はやってくる敵がドアの前に来ると、物陰から背後を見せた敵めがけて拳銃のグリップで打撲した。ウッ、と小さく唸ると倒れこむ敵。それを支えて、そっと寝かす。
それに気がついたもうひとりの敵は、銃をそっちに向けようとした途端、動きが固まった。もう既に側頭部に何か固いものが当たっていたからだ。すぐに両手を小さくあげた。
早紀の拳銃は既に敵の頭を捉えていた。
「――銃を足元に置きなさい」
早紀は小声で言う。命を握られた緊張感で少し震えている敵は、ゆっくりと屈んで持っていた銃を置いた。すると早紀は、さっきの敵と同じようにグリップで殴打して、敵を気絶させた。
早紀はふたりの拳銃を両方とも奪うと、それを機械の隅に隠した。この暗さではこのふたりが気がついても、自分の銃を見つけるのは困難だろう、と考えたのだ。
早紀は、そうして奥部に侵入していった。