第1話 召喚そして女神
趣味全開でまったりやっていきます。どうぞ温かい目でお付き合いください。
この世とは思えない一切の穢れのない純白で造られた空間に一人の少年が横たわっている。少年の服装は学生服に顔の下半分を覆うマスクに首には手編みのマフラー、さらに頭にはヘッドギアのような無骨なヘッドホンとかなり珍妙なものではあるが、呼吸をして肌の血色も良いことから死んでいるわけではないようだ。
少年の名前は中村龍二。年齢は十五歳でこの春、高校生になったばかりだが、過去の事故により両親は既に他界している。今は事故で奇跡的に無傷で生き残った妹の空共に両親が残してくれた財産を切り崩しながら暮らしていた。
しかし、いくら慎ましく暮らそうと自らは大学への進学を諦めようと、妹を大学まで進学させるまでの余裕があるわけではない。そこで龍二は妹の進学代を稼ぐために高校に入ってからは、妹に心配をかけないように無理のない範囲でバイトをいくつか掛け持ちしていた。龍二にとって幸いだったのは、龍二が入学した高校が公立校にしては珍しく生徒のバイトを許可していたことだろう。
その日もいつも通りの一日になるはずであった。妹が作った朝食を食べ、妹が作った弁当を持って学校に行き、放課後はバイトに精を出した。バイトからの帰り道、家で待つ妹が作る夕飯が何かを考えながら歩いていると、突然目の前の地面が光りだした。咄嗟のことで眩む目を庇いながらその場から離れようと横に飛ぼうとした龍二の足は動かなかった。混乱する頭を何とか鎮めて回復した目で地面を確認すると、そこには輝く光で形作られた幾何学模様があった。それはまるで龍二も読むことがあるファンタジー物の物語でよく登場する“魔方陣”のようだった。
なんとなくこの後の展開を予想した龍二は何とかその魔方陣から出ようともがくが、まるで足の裏が地面に張り付いているかのように全く動かない。そのことを不思議に思いながらも龍二の頭を悩ませているのは、こんな事態に陥っている龍二のことを誰も不思議に思っていないことだった。いや、そもそも龍二のことが見えていないようだ。龍二のことだけでなく、地面にある魔方陣もそこから漏れる光すらも周りにいる人たちには認識されていない。
既に逃げることが不可能だと察した龍二が覚悟を決め、去年の誕生日に妹からプレゼントされたマフラーを掴みながら帰還を誓う。
(空!必ず帰る!)
その宣言を最後に龍二の意識は暗転する。それとは逆に一際輝きを増した光が収まると、そこにはもう龍二の姿はなく地面の魔方陣もなくなっていた。
龍二がいなくなった世界は何も変わることなく回り続ける。
+
場所は初めの白い世界に戻る。
龍二の閉じられた瞼の下で眼球が動き出し、呼吸も徐々にペースが上がって覚醒する兆候が見られる。そしてそれは正しかったようで間もなく龍二は意識を取り戻した。
目を覚ました龍二がまず認識したのは自分以外の世界を塗りつぶす程の白だった。初めに龍二は濃い霧か雲の中にいるのかと思った。しかし、自分がそんな場所にいる可能性がないことに思い至りその予想を否定した。何より龍二が先ほどまで横たわっていた床と思しき場所からはとても濃霧や雲が発生するような野外の感触はせず、どちらかというと体育館や博物館のような室内の床特有の少しひんやりとした硬い感触があることが先ほどの予想を否定した後押しをする。
自分のいる場所の考察を諦め今度は自分の体の異常や意識を失う前の記憶を確認しようした龍二の前に突然一つの人影が現れた。そう。まるで何も映っていなかったスクリーンに映像を投影したかのように突然現れたのだ。
その人影の正体は女だった。否、絶世の美女であった。
一目で女と分かる見事なプロポーションを包むのは一枚の大きな布を体に巻きつける古代ローマにおけるトーガのようなもの。黄金色の稲穂を彷彿とさせる金髪の上には中央に大きな宝石が据えられた銀のティアラが飾られている。手には太陽を象っとような長杖が握られ、すれ違った十人中十人が振り返るだろう程に整った顔には聖母を思わせる微笑が貼り付いている。
まさに“女神”然としていた。流石の龍二も思わず見蕩れてしまっていたかもしれない。
――その女が宙に浮いてさえいなければ……
龍二は警戒心を最大まで引き上げて美女のことを注視していた。龍二の聴覚はとある事情から人一倍、いや十倍以上は優れている。どれくらい優れているかというと、数十キロ先で行われている会話を聞き取ることが出来る程だ(龍二が頭に常時つけている武骨なヘッドホンはこの異常聴覚を抑制することを目的としている)。
龍二はこの異常聴覚によってさまざまな苦悩を味わってきたが、それと同じくらいの恩恵も受けてきた。それ故に、龍二は自身の異常聴覚に対して複雑な感情がありながらも絶対の信頼をおいていた。
そんな龍の異常聴覚は美女の出現や接近を感知することはなかった。これは龍二にとって異常なことであった。生物というのは生きている限り必ず音を発生している。例えば、呼吸音や筋肉の収縮音、骨の軋む音、そして心臓の鼓動。龍二の異常聴覚はこれらの音を正確に聞き取って“聞き分ける”ことができる。
そんな龍二の異常聴覚が目の前に現れるまでその接近を感知しなかったということは、つまり目の前にいる美女が“突然その場に現れた”と判断したということである。それはおおよそ普通の人間にできることではないし、あるいは目の前にいる美女はそもそも人ではないかもしれない。
そして美女が宙に浮いていることが更に龍二の予想を現実的なものとし、警戒心を跳ね上げる要因ともなっている。
それでも龍二は現状の説明ができるだろうただ一人の存在を逃すことは出来ない。龍二は警戒心を隠す気がないかのように露わにしたまま、目の前にいる美女に対して口を開いた。
「ここはどこだ?」
その口から出てきたのは見知らぬ土地で目を覚ました人が口にする言葉の定型句であった。
それに対して美女はまるで龍二から話しかけられるのを待っていたかのようにゆっくりとした口調で答えた。その声は聞き心地の良いソプラノで穢れのない少女のようで包容力のある母親のようで、矛盾を孕みながらも不思議と聞き手に安心感を与えるそんな声であった。
「ここは神々の住まう空間です。あなたがいた国の一般的な認識で言えば高天原と呼ばれる場所です」
「なら、あんたは天照ってところか?」
龍二はわざと横柄な態度で返して相手の出方を伺っていると、美女は悲しいようなそれでいて困ったような表情を浮かべて軽く頭を下げた。美女のその表情は見る者の庇護欲を否が応にも煽ってくる。
「すみません。私の言い方に誤解があったようです」
「どういうことだ?」
「先程申しました高天原というのは、貴方が認識しやすいようにと思って出した例えです。ですので、ここは高天原ではありません。必然、私も天照大神殿ではありません」
(“殿”ねえ……)
「だったら、ここはどこであんたは何者なんだ?」
高天原という言葉と殿という敬称で相手の存在が自分の考えていた通りのものだと当りを付けた龍二は、より一層警戒心を高め更にそれを相手に気取られないように努めて冷静に振る舞う。そして交渉において相手に主導権を握らせないために横柄な態度のまま、自分の置かれた状況の情報を集めるべく美女に対して同じ質問に加えて新たな質問をぶつける。
「ここは言うならば、異世界の高天原。私はここに住む異世界の神、<慈愛の女神>プリゲーラといいます。最も異世界というのは貴方の視点から見てということになります」
「まあ、名前なんてどうでもいいんだがな。それで異世界のカミサマが俺のような人間なんかに一体何の用があるんだ?用があるからこうして呼び出しをくらっているんだろう?」
龍二は既に予想できていて尚且つその予想がほぼ当たっていると確信しているが、これも形式だろうと美女――プリマゲーラにその目的を問う。
「貴方はもうその答えをご存じなのでしょう?答えの分かっている問いを尋ねるというのは少々意地が悪いのではありませんか?」
「……」
プリマゲーラは困ったようなそれでいて楽しんでいるような表情を浮かべながら龍二の意地悪な質問に同じく質問で返す。文字通り返す言葉もない龍二はプリマゲーラの仕返しに無言を貫くことしかできない。
「ふふっすみません。こちらからお願いする立場ですのに目的を話すというのは最低限の礼儀ですね」
そんな龍二の様子を見て満足したプリマゲーラはころころと少女のように笑い、そして凛とした表情で龍二の目を正面から射貫く。龍二も不思議と場の雰囲気が硬くなったように感じられた。
「貴方に私の世界を救ってほしいのです」
プリマゲーラが口にした答えを聞き、そしてその答えが自分の最悪の予想と重なってしまった龍二は思わず天を仰ぎ、自分のいる場所に天などないことに思い至りより気が重くなるのだった。
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