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盾と迷宮と冒険者  作者: 坂田京介
第一章 迷宮都市への道行き
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第五話 危地



「……このような事はよくあるのか?」


 倒木が散乱している状況を目の前にして、ロルフの口から思わずそんな問いが零れ出た。

 だがカストは呆然とした様子で首を左右に振る。


「いや、トーレに戻ろうとした時にあった、激流となっていた川は、以前から雨が重なるとそうなる事が知られていた。同じように雨が降ると、道の一部が水没するというのも聞いた事があった。だがこんな倒木がこんな道端に散乱しているなんて……」


 詳しく調べるべきかも知れない。

 そんな事をロルフは思う。だがそのような余裕は与えられなかった。


 魔物の気配がする。今度は先程よりも数が多い。

 セルホが興奮して蹄で地面を引っ掻く。そんなセルホの首筋を、何度も撫でるようにしてカストが宥める。


 やがて現れたのは、先程と同じ獣鬼達だ。数は全部で十匹。かなり多い。不幸中の幸いな事に、質自体は先程のものたちより劣るだろう。


「……十匹か」


 ロルフは敵の数をもう一度呟く。そしてちらりとカストの方へと視線をやった。敵の質は一対一ならばロルフにしろマウリにしろ問題なく倒せる。だが只の商人であり、しかも位階が1であるカストが対峙できる程に甘い相手でもない。

 だが今の状態で一匹も通さないというのも、かなり難しかった。


「ちっ!」


 舌打ちと共にロルフは駆け出す。そして同時に【挑発】スキルを発動させる。主に魔力の波動によって相手を苛立たせるスキルだ。今まで余り修練を積んでいないので、ロルフの挑発スキルの練度は1に過ぎない。だがそれにしては上手くいった。三匹ほどが冷静さを失った瞳でロルフの方を見つめている。

 後は出来るだけ他の奴を押さえるようにすれば……。


 視界の端では同様の考えを以て駆け出したマウリの姿が見える。相変わらずの機動力だ。

 一撃で相手を仕留めると、飛び退く事で獣鬼の一撃を躱す。


 ロルフはやって来た獣鬼の一撃を盾で押し返す。攻めに転じる余裕は無かった。右からやって来た棍棒の一撃を何とか右手で受け流す。だが手甲も装備していないのに、流石に無理があったらしい。右手に苦痛が走る。だが敵の位階自体がそれほど大した事がないのが幸いした。右手はまだ動く。だが手数が足りない。


「しぃっ!」


 力任せに盾を薙ぎ払う。カイトシールドの尖った下の部分を横にして、右横にいる獣鬼に向かって力任せに突き出す。

 【シールドスマッシュ】。

 シールドバッシュが盾の面を使って攻撃するのに対し、シールドスマッシュは盾の側面を使って攻撃する。シールドバッシュに比べて攻撃力という点では優るが、それを使った後の隙はその比ではない。

 苦し紛れと云っても良い一撃だった。だがその甲斐あって一匹の戦闘力は喪失させた。


「……はぁっ」


 ロルフは荒く息を吐く。

 目の前からやって来る獣鬼の一撃を何とか盾で防ぎ、押し返す。隙を突いてシールドスマッシュで仕留める。その程度のことしか出来ない。


 ……なんて、無様っ!


 内心でロルフは強く歯噛みする。

 戦闘スタイルが、まるで確定していないのだ。だからこそ何をして良いのか判らない。他人とどのように連携すればよいのか、どこで攻めてどこで引くべきなのか。それがまるで判らない。片手剣は捨てた。フェーラン流を続けるつもりはない。なのに右手が片手剣を求めるように自然と動く。現に右手はがら空きだ。とても有効に使えているとは言い難い。


「ちっ、くしょう――っ!」


 カイトシールドをまるで銛のように使い、シールドスマッシュで面前の敵を突き殺す。その隙を使って攻めてくる相手は何とか引き戻した盾と右手で捌いていく。当然捌ききれる筈もない。身体のあちこちに打撃が掠っていく。身体のあちこちが痛い。特に右腕は動作に支障が出るほどだ。しかし十年に及ぶ鍛錬の御陰だろうか、身体は自然と致命傷を避けるように動いた。


「ちぃっ!」


 だがそもそも盾役としての訓練もまともに受けていないロルフでは、多数の敵を自らに引き付けておくのは無理だった。獣鬼の内の一匹がマウリもロルフも無視する形で駆け抜ける。距離が遠い。マウリが押さえられる場所ではない。そしてロルフは手が回らない。

 その獣鬼の狙いはカストだった。

 獣そのもののような不自然な前傾姿勢で、獣鬼は駆ける。ロルフは振り返り、その背を見た。その更に奥には焦燥の色を浮かべたカストの顔が映る。ロルフに遠距離攻撃を行うようなスキルはない。


「くっ!」


 掲げたままのカイトシールドに強い衝撃が走る。ロルフは引かれるものを感じつつ、前へと向き直った。どのみち今からカストへ援護を行うのは不可能だ。ならば自分の敵へ専念するのが賢い。それが判っていながらも、ロルフの中に割り切れないものが残る。だが獣鬼の一撃がそれを強制的に認識させた。ロルフの胸元へ放たれた獣鬼の突き。一瞬呼吸が止まる。

 ロルフが相手をしていた敵はまだ三匹残っているのだ。マウリは三匹を仕留めて後一匹。カストを助ける余裕はロルフには無い。あるとしたらマウリだが、それも距離が遠い。


「ちぃっ!」


 舌打ち一つと共にシールドバッシュを叩き込む。上手く相手を弾き返す事が出来た。三匹とロルフの間が僅かに離れる。視界の端ではマウリが見事な正拳突きで獣鬼を仕留めているところだった。これでマウリは自由に動ける。

 ――カストはどうなったっ!?

 援護が間に合うか、そんな事を思いながらロルフが振り向こうとしたその時だった。


「舐めんなっ!」


 カストのそんな声が聞こえてきた。

 そして爆音と閃光。薄暗い辺りを純白の光が染める。閃光弾だ。やがて明かりが収まると、カストの足下にはナイフに貫かれ絶命した獣鬼の姿があった。


「畜生……これでも切り札の一つだったのに」


 カストがそんな事をぼやくように呟く。だがその顔色は流石に悪い。だがカストにはその余韻に浸る暇もなかった。閃光と爆音に驚いたセルホが暴れ出す。カストはそれを必死に宥めていく。前もってある程度慣らしておいたのか、暫くの時間の後には何とかセルホは冷静さを取り戻した。

 そしてその頃には、マウリがロルフの援護に入る事が出来た。

 そもそも数の利がなければ、どうとでもなる相手だ。後はさほど苦労する事もなく片付ける事が出来た。


「はぁ……はぁ……はぁ」


 ロルフは荒く息をつく。

 辺りには獣鬼達の死体が転がり、死臭が立ち籠めていた。まだ小雨が降っている。その御陰か、死臭は微かに和らいでいる気がする。だが血と臓物の匂いはそう簡単に消えはしないだろう。匂い消しの粉もそれほど大量にある訳でも、それほど劇的な効果がある訳でもない。

 只でさえ、倒木が道を塞いでいるのだ。幸いな事に馬車が完全に通れないほどではないだろうが、急ぐ必要があるのに違いはない。

 ロルフは急かすようにカストの方へと視線を向けた。カストは無言で一つ頷くと手綱を引いて、セルホを先へと進めた。


「よし、お前達二人は倒木が重なっていたりする場所の奴をどけてくれ。一つだけなら何とか乗り越えられる」


 そんな言葉に従い、マウリとロルフは動き出す。


「よし、いくぞ」

「うん」

「せーっの」

「せっ!」


 一個ずつ丹念に退かしていく。作業自体は辛いという程でもなかった。肉体的にもっと辛い修練は幾らでもあった。獣鬼との戦闘で受けた怪我もまだ痛むが、応急処置をしたので動作にそこまで支障はない。だがどうしても、匂いが気になった。噎せ返るような、とは云わない。だが確実に辺りに漂う死臭。それは魔物を呼び寄せる誘蛾灯のようなものだ。

 そしてその魔物を倒したら更には次の魔物が呼び寄せられる。そのような事になったら、少なくとも馬車は見捨てなくてはならない。当然積み荷も此処に置いておく事になるだろう。行商人であるカストもぎりぎりまで此処に残る筈だ。恐らく手遅れになるまで――。


 ――カスト……置いてかないか?


 マウリの少し舌足らずの言葉を思い出す。

 ……そんな事は出来ない。出来る筈もない。

 ロルフは惰弱な己を噛み殺すように歯を食い縛り、木を退けていく。無理をしたのか、薬剤を塗って包帯を巻いた右手がずきりと痛んだ。まだ退けるべき木は何本か残っている。額から汗が滴り落ちる。汗を拭おうと顔へ近づけた右手から薬剤特有の刺激臭が香ってきて、ロルフは何処か懐かしい気持ちになった。フェーラン流の稽古において、ロルフは何度も打撲傷を負い、その度にこの塗り薬を使ってきた。


「……はっ」


 命の危険が迫っているかも知れないと云うのに、笑えてきた。ロルフの口から吐き捨てるような笑みが零れる。視界の端では、マウリも似たような笑みを浮かべていた。凶相ともいえる獣の笑み。それは朴訥としていたように思える今までの印象とは随分と違う。だがそれも当然かも知れないと、ロルフは思う。会ってまだ数日しか経っていないのだ。知らない面があって当然だ。それに、武器も防具も使わずにドラゴンを撲殺しようとしている拳士なのだ。あんな穏やかな面だけが全ての訳も無い。

 そんな事を思いながら、ロルフはマウリと共同で作業を続ける。

 ひりつくような緊張。時間がじりじりと過ぎていく。カストは何とか馬車を一人で進めようとしているが、馬は兎も角として、車体の部分が厳しそうだ。木を退け終わったら協力する必要がありそうだ。


 今にも魔物が大挙してこの場に押し寄せようとしているのではないか。そんな考えが頭から離れない。

 小雨はまだ降り続いている。それが今は有り難い。少しは死臭が拡散するのを妨げてくれるだろう。

 そんな幾ばくかの緊張した時間の後に、何とか重なり合っていた木は全て退かす事は出来た。とは云っても、一本ずつになるように適当に転がしただけだが。


 後は馬車を進めていくだけだ。

 カストが先頭に立ちセルホの手綱を引き、腕力に優れるマウリとロルフが車体を傾け木を一個ずつ乗り越えていく。


「よーし、よしよし」


 前からはカストがセルホを宥める声が聞こえてくる。ロルフは背中にカイトシールドを下げ、両手で車体を持ち上げていく。馬車としては粗末な車体であった事が幸いしたのか、車体はそこまで重くはなかった。少なくとも二人がかりで持ち上げられないような重さではない。だが軽々という訳にもいかない。ましてや無理をして車体を壊してしまえば、元も子もない。

 慎重に、馬車を進めていく。

 当然その間も魔物の襲撃の危険はあった。だが運が良かったのか、それとも小雨が結果として味方したのか、障害を乗り越える段になっても新たな魔物が現れるような事はなかった。


 木々が倒れていた障害を抜けきると、ロルフとマウリは急いで馬車へと飛び乗った。カストも御者席に座り、セルホに向かって鞭を入れる。普段は殆ど使わないような強い力で、だ。セルホも事態は察しているのか、かなり速い調子で駆け出した。景色が流れるように過ぎていく。

 ロルフは荒い息を整えながら、後ろを見遣った。幾つもの倒木が泥道に並んでいた。獣鬼の死体は見えなかった。一歩間違えれば、自分もあの獣鬼のようにあそこで朽ちていったのか。言い知れぬ感慨が、ロルフの胸に浮かんでは消えていった。



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