第二十九話 格上殺し(2)
ロルフ達は林の中へ逃げ込み、身を隠す。
幸いと云ってよいのか、林の中は小さな段差には事欠かない。死角となるような場所は幾らでもあった。ロルフ達はそれぞれ適当な場所に身を伏せる。自然と、地面の土が鼻に押し付けられる形になる。土は柔らかで少し湿っていた。近くに生えている草からは咽せるような緑の香りが漂い、地面には上界の争いなど気にもしていない蟻の群れがせっせと忙しそうに動いているのが見える。
発光弾の明かりはもう既に切れている。
月明かりと呼ぶには余りにか細い光しか、届いていない。だからこそだろうか、天上の星々は力強く煌めき自らの存在をこれでもかと主張していた。眩い。そんな筈はないのに、ロルフにはそれがどこか直視するのが畏れ多いようなものに思える。
耳を澄ませば、それほど苦労する事もなく獣鬼の足音が耳に届く。微かな唸り声と足音。邪魔な灌木を切り分ける音。まだそれなりの数が残っているようだが、当初に比べれば大分減っている。音から察するに大分苛立っているようだ。恐怖を感じているとも云える。だが逃げ出す個体は居ない。
「……統率している個体の目星はつくか?」
地面を匍匐する形でマウリの方へと近付き訊ねる。マウリは無言で一つ頷くと、闇の奥を指差した。
「獣鬼の中に呪術師がいる。多分そいつ」
「変異体は?」
「判らない」
その後、リタとイーナとも連絡を取ってみるが、結果は同じだった。
結局の所、獣鬼を統率している個体はやはり存在している。だが肝心の変異体が何処にいるのかは判らない。遠くにいる訳ではないだろうが、どこまで近くなのか。様子見に徹しているのか、それとも此方を仕留めようと虎視眈々と狙っているのか。
だがまずは一つずつだ。
ロルフ達は獣鬼達に見つからないように気をつけながら、林の中を進む。今回は場所を最も詳しく知っていると思しきマウリが先頭で、その後に夜目が利くリタが続く。
濃い闇の奥には、獣鬼が蠢く気配が伝わってくる。物音や唸り声。そして魔力。視界は利かなくても、そういったものからその存在は感じ取れる。だが数についてはっきりとしたところは判らない。数百はいない。それは確かだ。だが数十を下回る事は無いだろう。
尤も、数そのものはそこまで問題では無いのかも知れない。
ロルフ達も随分と成長した。相手がただの獣鬼だったならば、相手が数百いても何とかなる自信はある。無論それら全て全滅させる等と云った事は不可能だろうが、逃げおおせる事くらいは優に出来るだろう。
だが、呪術師や変異体などの特殊個体が居た場合、話は別だ。
ロルフは神経を集中させ、感知野を広げていく。自分の内部を外部へと広げ、この奥深い闇を己の一部としていく。
「……はっ」
だが、そう上手くいく訳もない。
ロルフは隣を走るリタにも判らない程度に抑えた、だが吐き捨てるような笑みを零した。ロルフはこの四人の中では最も危機感知が得意だと云って良い。だがそれでも、視界も利かない状態で隠れている同位階の敵を見つけ出せるような練度ではない。
ならば、可能性は二つ。
変異体、もしくはその他の特殊個体が隠れている。それとも、そのような個体は存在しない。
このどちらかだ。
そしてロルフは、どちらかと云えば前者の可能性を怪しんでいた。
粘ついたまとわりつくような殺気。生温かく獣臭い吐息。そしてベリメースへ来る時に聞いたあの身の毛もよだつ吠え声。
どうしても頭の何処かにそれらが反芻されて仕方ない。
「あそこ」
簡潔な言葉はマウリのものだ。幸いに場所は動いていないらしい。やはり現場の指揮官としては、いたずらに動く訳にはいかなかったのかも知れない。そんな事を思いつつ、ロルフは辺りから注意を外さない。
「発光弾」
ロルフの指示によってイーナが発光弾を前方へと投げ付ける。投げナイフのような投擲武器は余り好まないイーナだが、それでも基本的な訓練は受けている。狙いは過たず、丁度相手とロルフ達の中間地点に投げ付けられた。先程と同じ青白い光が辺りを照らす。その奥に、獣鬼の一群の姿が見える。まるで陣中のようだ。武器なども今までの獣鬼達と比べると一段階上。そしてその中でも、一際目立つ獣鬼が一匹。
獣鬼の呪術師。
そのように呼ばれる個体だ。
獣鬼に限らず、魔物は魔素を吸収する事で成長する。そして魔素を吸収する事で起こる成長には、幾つか代表的な類型がある。その中の一つが、高度な知能と魔導を使いこなすようになるいわゆる魔術師の類。このような魔術師、または呪術師などと呼ばれる類は見た目ですぐに判別できる事も多く、個別の戦闘力よりも集団の中に存在した場合の手数の豊富さ、援助能力などが厄介だ。
そんな獣鬼の呪術師は、原色をふんだんに使った奇怪な模様が描かれたローブを身に纏い、右手に骨で出来た杖を携えている。周りには金属製の武具を装備した獣鬼たちを従え、既にこちらの方を捉えている。発光弾による明かりの所為ではない。動きを読まれていたのだ。呪術師の獣鬼にも、その周りにも動揺の色が見られない。
「俺が行く」
ロルフは走るペースを速め、先頭へと出た。その横にマウリが続く。そして真っ直ぐと敵陣へと突っ込む。待ち受けられていた事は確かだが、大きく迂回してきた。どちらの方向から来るかも判らないのに、罠を仕掛けている余裕は無かった筈だ。横合いからの不意打ちだけに気をつけ、他の事は取り敢えず考慮から外す。
呪術師が奇怪な声を張り上げ、杖を振り上げる。そして同時に高まる魔力。
横を走るマウリが警戒し僅かに走る速度を緩める。代わりにどの方向にでも動けるように足に溜めを作る。
攻撃か、防御か、絡め手か。
ロルフは左手のカイトシールドを正面へ掲げ、意識を集中させる。呪術師の獣鬼は相変わらず奇怪な声を上げ続けている。それと同時にまるで何かの踊りのように複雑な身振り手振りを交えている。
いつの間にか、呪術師の両横では篝火が焚かれていた。発光弾の青白く人工的な明かりが霞むような、原始的で力強い炎の揺らめきだ。それに合わせるように笛の音が響く。貝笛だろうか。低く素朴な音が控えめな抑揚と共に奏でられる。
……儀式魔術?
ロルフは魔術には詳しくない。だが今の魔術が体系化される前の原始的な魔導についての知識くらいは持ち合わせていた。そしてそれが決して侮れるようなものでは無いと云う事も。
手軽さと汎用性に劣るが故に冒険者の魔導師が使う技術としては好まれないが、それ以外では優に一般魔導を上回る。
「突っ込むぞ!」
後手に回ってはじり貧だ。魔術師相手には兎に角先手を取る事が常道。巧遅よりも拙速を選ぶべきなのだ。
だが相手もそれは判っている。金属製の武器を手に持った獣鬼達が立ち塞がる。その数は6匹。ロルフの役目は盾を使い真っ正面からぶつかる事で、相手の陣形に穴を開ける事。その隙を機動力と小回りに長けるマウリが突っ込む。ロルフはマウリと無言で視線を交わし合う事で行動の方針を決定した。
「はっ!」
短槍の一撃をカイトシールドで受け流す。同時に右手の小盾でその隣の獣鬼からの手斧の一撃を弾く。その手応えは先程対峙した獣鬼とそこまで変わらない。装備が少し上のような気もするが、大した違いではない。充分に突破できる。寧ろ問題は時間だ。視線を奥の方へと向ける。苦労はなかった。なにせ篝火が焚かれている。まるで踊りのような動きと相俟って、いやでも視界にその姿は入ってくる。
呪術師の声が大きくなり、魔力が高まる。そして杖が振り上げられ――。
「っ!?」
ロルフの全身を衝撃が襲った。
横合いから叩き付けられた一撃。殆ど反射で突き出した盾に強力な痺れが走り、視界がめまぐるしく変わる。浮遊感と風を切る音。一瞬遅れて自分が今吹き飛んでいるのだと気が付いた。
「ちっ」
曲がりなりにでも反応できたのは僥倖だった。舌打ちと共にロルフは空中で何とか体勢を立て直そうと藻掻く。だが間に合わなかった。
「――ぁっ!」
幹の太い樹に叩き付けられる。肺の中の空気が全て吐き出されてしまったようだった。
「ロルフ!」
動けなくなったロルフの方にリタとイーナが駆け寄る。だがその視線はロルフの方を見てはいなかった。イーナもリタも緊張をその顔に浮かべて、ある方向から吸い寄せられるように視線を外そうとはしない。
そこには、一瞬前までは確かに存在しなかった巨大な獣鬼の姿があった。
身長はこの場にいる誰よりも頭三つ分は大きいだろうか、横幅もかなり太い。腕の筋肉は盛り上がり、太腿などイーナの胴体ほどの太さがありそうだ。だが鈍重な印象はない。寧ろしなやかで機敏そうだ。
防具としては巨大だが簡素な毛皮を身に纏い、右手には巨大な山刀らしき装備を携えている。薄汚れているものの、その色は白だ。金属特有の煌めきは無い。それはまるで骨を削りだして作り上げた武器のようだった。
間違いない。変異体だ。
「……っ」
ロルフはまだ満足に身動きが取れない。だが何時までもこうしている訳にもいかない。歯を食い縛り、片膝を立てて何とか立ち上がろうと藻掻く。身体が自然と痙攣するように震えた。そんなロルフを庇うようにリタが覚悟を決めた表情と共に、前へと出る。腰を落とし、斧槍を大きく後ろへ回転させたその構えは防御を捨てたようにも見えた。
そんな捨て身の牽制が功を奏したのか、変異体の獣鬼は動こうとはしなかった。ロルフは真っ直ぐと変異体の獣鬼を睨み据える。相手も真っ直ぐにロルフの方を睨み返してきた。いや、その瞳は睨み返すと云うにはやや静かだ。色濃い暴力の気配を漂わせていたが、獣鬼の変異体の瞳は暴力に酔ってはいない。
だがそんな視線の交錯も長くは続かなかった。音もなくその姿が掻き消えていく。変異体の能力――ではない。そのような素振りは無かった。ならばこれは呪術師による絡め手の一つ。
絡み付くような殺気は消えていない。ならば、取り得る手は――。
「俺があの変異体を引き付ける。イーナとリタはマウリと協力してあの呪術師と残りを片付けてくれ」
それがきっと最善だ。
イーナは負傷の事がなくてもあの変異体を押さえる事は出来ない。あの変異体を押さえられる可能性が最も高く、あの呪術師と他の獣鬼達を始末するのに最も適さないのは――ロルフだ。
ロルフは指示を出した後、変異体が虚空へ消えた辺りを鋭い視線で睨む。イーナとリタが暫時の逡巡の後、指示を容れて駆け出していくのが視界の端に映る。だがロルフはそちらへ視線を動かす事もしなかった。一度姿を捉えてしまえば、もう一度姿を消したところでそれを捉え続けるのは、何の手掛かりもない状態からよりもずっと容易い。
あの変異体はまだ消えた場所から動いていない。
ロルフは意識を集中させたまま、小盾を持った右手を器用に動かし懐を漁る。そして持ってきたモエフライスの煎じ薬をそのまま飲み込み、水で流し込む。
倦怠感が和らいだ気がする。だが何よりもその苦さが気になった。
ロルフは顔を顰め、険の籠もった眼差しで虚空に居るはずの変異体を睨み続けた。
後三話くらいでこの章終わりの予定。




