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盾と迷宮と冒険者  作者: 坂田京介
プロローグ
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プロローグ(下)



 先に動いたのは、ボリスからだった。

 まだかなりあった筈の距離を、爆ぜるような踏み込みで一瞬にしてゼロにする。それと連動するように剣を持った右腕が振るわれた。袈裟懸けだ。左肩から右の脇腹までを斬り裂こうとする一撃。着込んでいる防具など何の役にも立たない。まともに受ければあっさりと両断されるだろう。


 ――あ、死ぬ。


 実時間にしてみれば、きっとほんの一瞬だった。だが引き延ばされた思考が、その刹那をやけに長く感じさせていた。向かってくる刃。それが風を切る音。そしてボリスの獣のような顔。

 気が付けば、身体が動いていた。

 激しい金属音が鳴り響き、左手に痺れた感触。突き出した盾で袈裟懸けを受け流したのだと、一瞬遅れて気が付いた。


 っ!?


 最初の一撃を凌げた事に驚いたのは、ボリスよりも寧ろロルフだった。隙に乗じて攻めるなど、到底出来ない。それどころかまだ混乱から立ち直れていなかった。

 その隙をボリスは見逃さない。

 受け流された剣を巧みに軌道修正し――唐竹割り。

 横に弾かれるようにロルフは避ける。ボリスはしゃがみ込み、地を這うような一撃を放つ。後ずさって避ける。その一撃が誘いだと判った時には遅かった。まるで牙をむいた蛇のように、低い態勢から鋭い踏み込み。ボリスが一気に懐まで踏み込んでくる。

 心臓を狙った突き。何とか盾で左へと受け流す。


 だが本命の左の掌底は、躱せなかった。

 打たれた水月から全身に気持ち悪さが伝搬し、一歩、二歩と後ずさる。追撃を受けたら一溜まりもなかっただろうが、ボリスは動かなかった。


 敵わない。

 ロルフは、今更ながらにそんな事を思う。

 あらゆるものが違いすぎる。技量が、単純な力の総量が、経験が。勝ち目など万が一にもありはしない。


 ロルフはボリスを睨み付ける。

 胃から湧き上がってきた胃液を、唾と共に拭う。

 惨めだ。

 足はふらつき、攻撃に転じる機など全く無かった。


 出会った時の事を思い出す。

 あの時も、ロルフはこんな投げやり気味の殺気と共に、目の前の男を睨んでいた気がする。

 そんなロルフをボリスは平静な瞳で見据えている。そこに僅かな隙すら見当たらない。酔狂さも油断も存在しない。それだけがあの時との違いだろうか。


 ……それだけ、か。


 ロルフの唇が自嘲に歪む。

 十年。

 十年やって来て、それだけしか手に入らなかったのか。


 笑える。

 酷く笑える。

 笑うしかない。


「……くっ」


 抑えきれなかった歪んだ笑みがロルフの口から零れる。ボリスの瞳が怪訝そうに歪められた。ロルフはそんなボリスに見せつけるようにして片手剣を再び鞘へと収め、それを床へと置き、邪魔にならないように端へと飛ばした。

 どうせ攻める隙などありはしない。ならば剣などあっても邪魔にしかならない。


 ボリスが興味深そうにそれを眺めた瞬間、ロルフは床を蹴った。真っ直ぐとボリスへ向かって駆ける。


 ――へえ。


 愉しげにボリスの口元が歪んだのが、視界の端に映る。


「しぃっ!」


 鋭い呼気。ロルフのものではない。駆けるロルフを迎え撃つように一撃を放ったボリスのものだった。ロルフはその一撃を躱そうともしない。寧ろその逆だ。距離を詰め、鍔に近い辺りへ盾を叩き付ける。雷鳴の如き甲高い金属音が鳴り響く。だがもう狼狽する事もなかった。

 盾の隙間を狙って放たれたボリスの左拳。それをロルフは自らの右腕で弾く。距離はお互い至近。相手の剣は弾かれて体勢は崩されている。

 ならば此方から攻める番だ。


「はっ!」


 ロルフは盾を持った左腕を自らの身体へ引き付けると、強烈な踏み込みと裂帛の気合い、そして渾身の力と共に盾を突き出した。


 【シールドバッシュ】。


 簡単に云ってしまえば、盾を使った体当たりだ。単純だが効果的な攻撃手段の一つ。フェーラン流でも一応はそのような技は存在する。尤もフェーラン流では牽制程度の位置づけしかされていない。こんな風に切り札としてそれを使うのは、フェーラン流としては”美しくない”。それはロルフも重々承知していた。そしてその事を受け入れてもいた。なにせロルフは、フェーラン流の戦い方が好きだった。そしてそれを使いこなすボリスを見て、何時か自分もあのように戦えたらと、強い憧憬を持っていた。


 だが今のロルフに、そんな事は関係ない!


「……っ!」


 盾の持ち手を通じて左手に確かな手応え。軽い呻き声と共に、ボリスが一歩後ろへ下がった。手加減されているとはいえ、長い師弟関係の中でも初めての快挙だった。

 息を吐く。ほんの僅かな対峙だったが、ロルフの呼吸は荒くなっていた。追撃はしない。そんな余裕はない。ロルフは獲物を待ち受ける獣の眼差しで、ボリスを真っ直ぐに見詰める。


「はっ……やるじゃねぇか」


 だがどうやら、そんな一撃がボリスの闘争心に火を付けてしまったらしい。今までも、油断があった訳では無いだろう。だが全力という訳でもなかった。格下が相手という事で嵌められていた枷。それが今、一つ外れた。

 結局、その後の展開は一方的なものだった。

 それでもロルフは数合は耐えた。自分でも何故耐えられたか判らない位に上出来だった。





 全てが終わった後、結果も告げずにボリスはロルフをとある料理屋に連れて行った。店の名前は、焼き屋ベルムント。素材の味を活かした焼き物を出す店だ。素材は魚介類を中心に幅広い。

 酷く珍しい事だ。ベルムントを訪れる事が、ではない。ボリスがロルフを誘って食事に来る事が、だ。記憶にある限り、ボリスに二人きりで食事に誘われた事などロルフには無かった。

 畳敷きの部屋に通され、胡座を掻き机を挟み対面に座る。


 とある迷宮都市から始まったと云われている畳などの文化は、ここら辺では一般的とは言い難いが、希少と云うほどではない。ロルフも知識としては見聞きした事があったし、その料理もそれなりに食べた事があった。

 その迷宮都市の名を取って、ベリメース料理などと云われているそれは、酷く奥が深く、それまであった料理とはまるで違う味わいを持っているらしい。だからだろう、値段は随分と高いがベリメースの外でも愛好者が多かった。


「お前と差し向かいで食うのも……随分と久し振りだな」


 畳に座ったボリスは何処か落ち着かなさそうな様子だった。その挙止にぎこちなさが見える。尤もそれはロルフも同じだった。慣れない店で、慣れない状況で、養父と二人きり。その上にロルフは破門の瀬戸際にある。緊張しない方がおかしいだろう。

 だがボリスの場合は違う筈だ。

 いや、それとも同じなのか……。ふとそんな事を、ロルフは思う。


「…………」


 部屋を、ぎこちない沈黙の帳が覆う。

 ボリスは自ら口を開こうとはしなかった。ロルフも自ら口を開こうとはしなかった。

 当然の結果として、部屋は静けさに包まれ、時間ばかりが過ぎていった。

 やがて頼んでいた料理が運ばれてきた。


 スタイの包み焼きに、ベールリッドの味噌幽庵焼き。それに白米と純米酒だ。

 スタイというのは、ここら辺で採れる茸の一種だ。香りが良く、独特の風味を持つ。

 此処で出されるスタイの包み焼きとは、それをシロスという細長い魚で包むようにして炭火で焼いたものだ。


 言葉少なに食前の言葉を取り交わし、ロルフはスタイの包み焼きへ箸を伸ばす。


 炭火でじっくりと焼かれたシロスの身は、脂がのっており見るからに旨そうだった。焼き立てなのだろう、少し前まで炭火に掛けられていたのが見て取れる。ロルフが口元へ持っていくと、食欲を刺激する香りと心地よい熱が伝わってくる。噛むとしっかりとした歯応えと共に、魚の淡泊ながらも滋味ある辛さが舌に伝わり、最後にスタイの柔らかな感触と、山菜特有の良さを凝縮したような香りが口の中に広がる。

 味付けは凝っていない。それどころか驚くほどシンプルだ。なにせ塩しか使っていない。


 だがそれ故に、素材の味が存分に活かされていた。

 シロスという魚が本来持つ辛さと淡泊な味、そして柔らかな食感。

 スタイという茸の持つ風味と香り。

 それらが炭火によって焼かれ、上手く混ざり合っていた。


 ロルフが口元に近づけていくと、炭火の薫香が鼻腔を擽り、口に入れると脂の乗ったシロスの旨みが歯先に伝わり、噛み切るとスタイの驚くほど豊かな香りが口の中を広がる。

 余計な味付けがない分、どうしてもロルフの意識は舌先に集中する。

 すると驚くほど豊かな、素材が持つ本来の味わいに気が付かされるのだ。

 炭火の薫香。塩の辛さ。スタイの香りと風味。隅々まで熱の通った魚の柔らかさと熱さ、そして奥深い味わい。


 スタイの包み焼きを堪能したロルフは、もう一つの料理の方へも箸を伸ばす。

 ベールリッドの味噌幽庵焼き。


 白と赤が混じり合ったような魚であるベールリッドは、特に寒い時期には脂がのってくる。此処で出される味噌幽庵焼きは、その中でも充分な身の厚さを持ったものだけを厳選して調理している。そんな事をロルフは聞いた事があった。その時、そんなに変わるのかとロルフが懐疑的な気持ちを抱いた事は否めない。

 だが今、実際に目の前にあるベールリッドの味噌幽庵焼きは、見るからに旨そうだ。それだけの手間を掛ける価値があるのだと、正直認めざるを得ない。


 幽庵焼き特有の、黒く艶やかな色合い。それは不思議な妖艶ささえ感じさせた。燻製肉のような原始的で食欲を誘う焦げ色ではない。もっと洗練された色合いだ。

 切り分けてロルフが口に入れると、まず感じるのは味噌の奥深さ。良く垂れの染み込んだ魚の味。先程食べたシロスと異なり辛くはなかった。寧ろ、甘い。それも砂糖や果実のような甘さではない。もっと弱く繊細だが、奥深い甘さが味蕾を刺激する。それらが香味のぴりりとした辛みと合わさり、飽きさせない味を作り上げていた。

 一口、二口と、ロルフは食べ進めていく。

 時折、まだ湯気を立てている温かい白米を口に入れる。

 この辺り以外では中々手に入りにくい白米は、しっとりと水気を含み柔らかい。噛むとしなやかな歯応えと、柔らかな食感がロルフの口に広がる。それだけで旨い、と云えるようなものでも無いかも知れない。だが幽庵焼きや、塩焼きなどと一緒に食べる事で、お互いがお互いを引き立て、酷く食欲を掻き立てられる。


 店主が選んでくれた、純米酒もまた絶品だ。

 一般的に飲まれている果実酒と比べて、甘ったるいところが無い。少し癖のある味わいと、その奥にある透き通った辛み。しつこいところが無い一種独特の味わい。

 たっぷりとソースを掛けたステーキなどには合わなくても、こんな料理にはぴったりだった。


 視線を前へと滑らせれば、ボリスの顰め面も僅かに緩んでいる。

 珍しい。

 ロルフは思わず瞠目した。


 養父であるボリスのこんな表情を、十年近く共に暮らしてきたにも関わらず、ロルフは殆ど見た事がなかった。


 不器用な人なのだ。


 ロルフはそんな事を思う。

 フェーラン流の道場でロルフは浮いていた。侮蔑されていたと云っても良い。

 それはフェーラン流をまともに扱えないロルフの非才さが原因だったが、ボリスにもその責任がないとは云えなかった。ロルフに対する特別扱いは、道場内の序列を乱すものだった。不満が出るのもある意味当然だ。

 フェーラン流が今よりもずっと小さかった頃、ロルフが拾われた十年前ならば、何の問題も無かっただろう。


 だが今はそうではない。

 フェーラン流はボリスが作ったものだが、ボリスだけのものでは無くなっていた。

 そしてロルフの養父であるボリスは、多分その変化について行けない部分があった。


 ロルフは食事の手を止め、ボリスの方へと視線を向ける。

 そんなロルフの視線には気付いているだろう。だがボリスは、目を合わせようとはしなかった。ただ人肌程度まで温められた純米酒を傾け、口へと運んでいる。その頬が微かに赤らんでいた。

 ボリスが口を開くのを、ロルフは辛抱強く待つ。

 酒と旨い食事の御陰だろう。先程よりは気分も落ち着いていた。きっとそれは、ボリスにとっても同じだっただろう。


「破門だ」


 やがて、ぽつりとボリスが呟く。

 ロルフがその言葉を予想していなかったと云えば、嘘になる。結果は兎も角として、先程の試合内容はフェーラン流として問題外だとロルフ自身も気が付いていた。

 だが改めて言葉にして聞くと、ロルフの身体は震え、自然と視界が滲んでいった。止めどない嗚咽が零れる。膝の上に握り締めた拳にぽたぽたと雫がこぼれ落ち、ロルフは自分が泣いている事に改めて気が付いた。


 何が悪かったのだろう?

 ロルフは自問する。

 だが答えは出てこない。


 きっとボリスは夢を見たのだ。

 自らが創始した流派を息子が継ぎ、息子はその流派を大きくして、親を超えていく。


 そんなボリスの夢を批判する事は、ロルフには出来なかった。強制された訳ではなく、ロルフ自身もそれを叶えられればと強く思っていたからだ。

 だがロルフは、そんなボリスの期待に応えられなかった。それどころか、そのとば口に立つことすら出来なかった。

 今、ボリスはきっとその事を悔いている。自分勝手で傲慢な期待を押し付け、結局は息子の人生を歪めてしまったと。


 違う、とロルフが否定する事は簡単だ。そして、違う、と否定したい気持ちも本当だ。

 だがそんな言葉を吐いたところで、そこには何の説得力も生まれず、寒々しく響くのが精々だろう。

 ロルフ自身も薄々は判っているのだ。養父であるボリスの期待に応えようとして、今自分は苦しんでいる。此処から抜け出すには、今までの道を捨てなくてはいけない。


 何がいけなかったのだろう?

 ロルフは再び自問する。

 自分に才能があれば、違ったのか? 今まで何度も自問してきた問いだ。答えは直ぐに出る。――違った。

 自分に才能があれば、全ては上手くいった筈だ。


 ロルフは親というものを知らなかったし、多分ボリスも子供というものを知らなかった。

 だがそんなぎこちない親子でも、フェーラン流というものを通じて、段々と本当の親子らしい絆を育む事も出来ただろう。今はロルフを厭い、ボリスに対しても批判の眼差しを向けている門下生も、ロルフがそれに相応しい才覚を示せばロルフをフェーラン流の後継者として認めた筈だ。ボリスはロルフに対し誇らしさを感じ、素直な喜びと共にロルフにフェーラン流を継承させる。

 そうなれば、良かった。ロルフに才能があればそう出来た。そしてもしそうなれば――こんな後悔と自嘲に塗れた表情を、ボリスが浮かべる事は無かった筈だ。

 その事が酷く悲しく、悔しい。


 どれだけ時間が経ったのか、気が付けば涙は止まっていた。流れ落ちた涙が色々な感情を押し流したのか、気分は随分と落ち着いていた。


「済まなかったな」


 やがてぽつりと、ボリスが口を開いた。その言葉は聞きたくなかった。ともすれば、先程の「破門だ」という言葉以上に聞きたくなかった。だがボリスは言葉を止めない。


「俺の不手際で、随分とお前にも迷惑を掛けた」


 ロルフは首を左右に振って、それを否定する。そこには懇願するような色があった。

 お互い様の所も多分にあった。そしてそれ以上に、ロルフは養父であり恩人であるボリスを尊敬していた。

 だからこそ、このような言葉を聞くのは辛かった。頭を下げる悄然とする養父の姿など見たくなかったし、させたくなかった。


「今でもお前には才能があると思ってる。特に盾の扱いについては出色していると思う。それを取り下げるつもりは無い。それがフェーラン流と相容れなかったのは、残念だし、完全に俺のミスだ」


 ロルフは黙ってボリスの言葉の続きを待つ。拳を握り締め、表情には出さずに耐えるような心持ちで言葉を待つ。一刻も早く終わって欲しいと思っていた。逃げ出したいとも思っていた。

 ボリスはまるで独白のように、落ち着いた口振りで言葉を続けた。


「俺が冒険者だったって事は知ってるな」


 当然だ。

 ロルフは頷く。


「俺は冒険者としては、まあ成功した方だ。一流冒険者になったと云って良い。そしてフェーラン流という流派を作り上げた。だが冒険者として、もっと上を目指せない訳じゃなかった。一流じゃなく、超一流と呼ばれる領域まで」


 そう告げるボリスの瞳には、憧憬にも似たものが浮かんでいる。

 そこにふと自嘲の色が混じる。


「だがそうはならなかった。いや、しなかった。才能が足りなかった訳じゃない。機会が無かった訳でもない。――びびったのさ。程々の成功を収めて、周りからもちやほやされて、命の危険を冒すのが怖くなった。十に九つは死ぬような試練を潜り抜けるよりも、今あるものを維持していく事に、他人とごく普通の付き合いを続けていく事に魅力を覚えるようになった。そして、そうなっちゃおしまいだ。俺の足は自然と止まっていた」


 喋り続けるボリスの姿は、いつもより小さく見えた。

 不可能な事など存在しない。そんな風に幼いロルフの目に映っていたボリスも、結局は一人の人間に過ぎないのだ。

 そんな当たり前の事を、ロルフは改めて思い知らされた気分だった。


「この話をどう活かすかはお前の自由だがな……お前、どうするつもりだ? 流派からは破門したが、俺の息子じゃなくなった訳じゃない。あの家も自由に使い続けて構わない。何かやりたい事があるなら協力するぞ」


 そんなボリスの言葉に、ロルフは首を左右に振った。

 ロルフの中には、鬱屈とした生活の中でずっと胸に秘めていた想いがあった。

 それは破門の宣告を受け、ボリスと差し向かいで食事をして、その話を聞いて、ますます強くなっていた。


「冒険者になろうと思っています」


 ロルフはボリスの瞳を真っ直ぐに見据えて、告げる。


「そうか」


 ボリスは、ほんの微かな笑みを零すと、一つ頷いた。


「……そうか」


 そしてもう一回、同じ言葉を噛み締めるように繰り返した。

 告げたロルフも、何の感慨も無しにはいられなかった。


 だが思ったよりも気分は晴れ晴れとしていた。ここ十年、フェーラン流を修める事に心血を注いできた。それが苦痛を伴うようになってから、どれだけの月日が経っただろう。

 だからだろうか、気分が落ち着いてみると、その決別の宣言を告げた胸中には物寂しさと共にすっきりとした感興が湧いていた。


 心の奥底では、ずっと考えていたし、望んでいた。

 証明するのだ。


 ――お前には才能がある。


 そんな養父の言葉が間違っていなかった事を。

 己が取るに足りない存在ではなく、何者かである事を。

 そしてそれには、このままでは無理なのだ。


 ロルフは続けて宣言する。


「いつかきっと、俺は貴方を超えて見せます。貴方が辿り着けなかった場所まで、辿り着いて見せます」


 それは宣言であり、決意表明だった。

 それを聞いて、ボリスは嬉しそうな笑みを見せる。ロルフが吹っ切れたように、ボリスもまた吹っ切れたようだった。


「はっ、超えられると聞いて嬉しく思えるとは俺も歳かね」


 空気を入れ換えるように、強い笑い声と共にボリスが云う。


「歳ですよ」


 ロルフは穏やかな笑みと共にそんな言葉を返した。他人に指摘されると面白くないのか、ボリスが一瞬だけ不機嫌そうに眉を顰めた。それがおかしくなって、ロルフは思わず吹き出す。


「まあ冒険者になるっていうなら、無駄にはならねぇか」


 やがてボリスがそんな言葉を呟くと、ちょっと待ってろと言い残し、席を立った。

 やがて戻ってきたボリスの手には、フェーラン流で扱うには明らかに大きすぎる盾が携えられていた。銀色の光沢をした金属製の盾だ。中央には何かの意匠が刻み込まれており、縁取りは少しその色彩を変えている。裾が逆三角形のような鋭利な形状になっている。カイトシールドなどと呼ばれる種類の盾だ。


「餞別だ。別にそこまで良いものじゃねぇが、今のお前には充分だろう。売って金に換えるなり、仕立て直すなり、好きにしろ」


 そんな言葉と共に、ボリスは大盾をロルフへ手渡した。ずっしりとした重みがロルフの両手に伝わる。その重さは今までフェーラン流で扱ってきた物よりも随分と上だった。


「冒険者は甘くはねぇぞ」


 低く抑えられた警告の言葉。ロルフが頷くと、ボリスは幾ばくかの金を手渡してきた。

 断ろうと一瞬思ったが、金は何かと入り用になるだろう。そして無償の恩義を受ける事など、今更だ。ロルフは有り難くその金を受け取った。

 ロルフの礼の言葉に手を軽く振る事で応え、ボリスは問いを重ねた。


「これからどうするんだ?」


 その問いに、ロルフは自らの腹案を披露する。

 ロルフはまだ未熟だ。そしてロルフは、間違っても器用に何でも独力で出来るようなタイプではない。

 ならばロルフが自らの力を鍛えていくには、あらゆるものが必要だ。

 実戦の場も、教えてくれる人材も、共に戦ってくれる仲間も、切磋琢磨する好敵手も。


 そしてその為には、取れる選択肢など限られている。


「ま、妥当なとこだな」


 そんなロルフの考えを聞いて、ボリスも同意を示す。


 目指すは迷宮都市ベリメース。


 大陸でも最大の国家であるアルネシアと、最古の国家コトール。その中間に位置する巨大なカラトの樹海。その一画を切り開いて作られた都市であり、この周辺では最大規模の迷宮である【恵樹の宮殿】を擁している。当然、冒険者への様々な支援も充実している筈だ。

 何はなくても地力がなければ始まらない。まずはそこから冒険者としてのキャリアを始めるのが良いだろう。

 ボリスの同意も得られたロルフは意を強くし、その決意を新たにした。



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