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盾と迷宮と冒険者  作者: 坂田京介
第二章 迷宮探索、事始め
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第八話 ほっと一息


 森を開かれて作られた都市、ベリメース。

 トーレとは大分違う不思議な雰囲気を持つ都市だった。まず第一に街並み自体が違う。所々に驚くほど巨大な樹木が立ち並び、家もその殆どが木造だ。迷宮に潜る冒険者だろうか、武装をしている人間もトーレに比べて随分と多い。それにトーレでは殆ど見掛ける事のない亜人も此処では随分と見掛けるようだ。


 まだ時間は明け方にもなっていないような時刻だ。

 関門がやっているか不安に思ったが、流石にこんな場所に設置されているだけはあるのか、一日中休み無しでやっているらしい。手続きを終えて、ベリメースの中へと入る。ここら辺の面倒な諸々は、大体がカストの分担だった。ロルフとマウリはただ待っているだけだ。


「で、お前らどうする?」


 全ての手続きが終わったカストが、ロルフ達二人の方へ向かって声を掛けた。そんな事を問い掛けられても、ロルフが取り敢えずしたい事と云えば一つだけだった。


「風呂でも入って、少し寝たい」


 そんなロルフの言葉にマウリも無言で頷く。


「……あー、じゃあ取り敢えず適当な宿を紹介するわ。そんで昼頃にまた此処で待ち合わせでどうだ? 色々報告したい事もあるしな」


 カストの言葉は、土地勘のないロルフにとっては渡りに船だった。


「それでいい」


 ロルフが頷くと、カストは宿の名前と場所を伝えた後、馬車を引き連れて何処かへ向かっていった。恐らく持ってきた品物を納入しにいったのだろう。


 マウリは贔屓にしている宿があるという事で、途中で別れた。

 ロルフは見知らぬ街を、一枚の地図を頼りに歩いていく。つい先程まであった死と紙一重の恐怖が、ここでは影も形もない。日常そのものといった穏やかな時間が流れていた。少なくとも、流れているように見えた。

 内実は違うのだろう。此処は迷宮都市だ。迷宮や遺跡に挑み、帰らぬ人となった人間も多い。今のロルフのように九死に一生を得た人間だって少なくない筈だ。

 だがそれでも、ロルフの瞳には此処では穏やかな時間が流れているように見えた。


 そんな通りを、ロルフはゆったりとした調子で歩く。

 時間が時間だからだろう、人通りは少ない。店が並んでいる一画らしいが、まだ開いている店は少ない。それでも幾つかあるのだから、不思議なものだ。そう云えば、カストもこんな時間なのに商品の納入に向かったようだ。大分トーレとは違うなと、そんな事をロルフは思う。


 やがて目的地である宿が見えてきた。

 身体が重かった。歩くのすら億劫でその場にへたり込んでしまいたい誘惑を何とか意思の力で押し退ける。


 宿の扉を開ける。普段のロルフなら来たことのない場所の扉を開けるなど少し緊張しただろうが、今はそれすらどうでもよかった。無造作に開けると、ベルが微かになり、入り口の横にある窓口から老婆がぬっと顔を出した。

 老婆は無言でロルフをねめつける。その眼光は鋭い。一応は濡らした手拭いで拭いたのだが、それだけで血や汗、臓物の臭いは取れない。普通に考えれば圧迫感を受けてもおかしくないだろうが、老婆はまるで気にした素振りも見せない。ただ胡散臭いものを見る目でロルフの事を睨むように見据えていた。面倒な事にならないのは良いが、どう考えても客商売をやっている人間の態度ではない。

 だが老婆の無言の視線は、此処では私が法だと明確に主張しているようでもあった。


「……一泊、一人部屋」


 根負けしたようにロルフが口を開いた。老婆は返事も返さなければ、頷きもしなかった。ただ無言で鍵を一つ何処からか取り出し、窓口の奥、つまりロルフからは手の届かない場所に置いた。そして手を窓口からぬっと伸ばすと、皺まみれの細い指先でとんっとカウンターを一度だけ叩いた。一瞬疑問に思ったロルフだが、すぐにその意味を理解する。老婆が指で叩いた辺りには料金表が書かれた紙が置かれていた。

 ロルフはそれに一つ頷くと、現金を取り出し、カウンターに置いた。老婆の手がぱっと広がり、カジノのディーラーのような無造作さで現金を掴み取り、自らの元へと引き摺り込んだ。そして代わりに鍵を窓口から差し出してきた。

 ロルフはそれを受け取り、鍵の後ろに付いていた部屋番号を見る。203だ。つまりは二階なのだろう。ロルフは目の前にあった階段を上り始めた。出来れば一階の方が嬉しかった。だが文句を言っても始まらない。ロルフは重い身体に鞭打つような心持ちで階段を上がっていった。


 意外な事に、入った部屋は綺麗に掃除されていた。あの老婆がやっているのだろうか。どうも想像が付かない。

 部屋の中を見回ると、風呂にトイレに寝台。それに収納スペースなどがついている。充分だ。ロルフは早速風呂にお湯を溜める。装備を確認しながら手入れを行っていると、すぐに湯は溜まった。白い湯気が浴室を満たしている。

 ロルフは服を全て脱ぎ全裸になると、お湯を浴び、汗と血を落とす。だがお湯だけではどうも落ちないので、石鹸と洗髪料で髪と身体を洗っていく。やがて汗やら何やらでべたついて気持ちが悪かったのが随分とマシになった。


 ロルフは安心して風呂に身を沈めた。

 お湯の温かさが身体の中へとやんわりと入ってきて、疲れを押し流していくような、そんな感覚だった。

 そう言えば、ここら辺は温泉でも有名だったりもするらしい。だからだろうか、お湯と云っても随分と感じが違う。微かに香る刺激臭。ほんの少し色づいたお湯。

 ロルフはお湯を両手ですくい取って、顔へ浸すように洗うように近づけた。思い出したかのようにあちこちが痛んだ。赤黒く腫れているところも幾つもある。

 本当なら風呂など問題外なのかも知れない。そんな事も思うが、身体がべたついたままだという状態には耐えられなかった。


「……はぁ」


 力の抜けた吐息がロルフの口から零れる。

 トーレからベリメースへ行くだけ。ただそれだけだと思っていた事は否めない。だが正直死んでもおかしくなかった。そこまでいかなくても、カストや積み荷を守りきれなくても全く不思議ではなかった。

 浴室の縁にロルフは後頭部を乗せた。自然と視線は浴室の天井へと向けられる。白い湯気で曇った浴室は、どこか現実味の欠いた別世界のように思えた。


 色々な記憶が浮かんでは消える。

 密度の濃い時間だった。自分の非力さと至らなさを嫌と云うほど思い知らされた旅路だった。

 だが同時に手応えのようなものを掴んだ気になったのも確かだった。

 それを掴み取り、完全に自分のものにする事が出来るだろうか。


「……ぶっ!」


 そんな物思いに耽っていると、そのうちロルフは意識が朦朧としてきて風呂に沈み込んだ。折角危地を脱したのに、風呂場で命を落としたらたまったものではない。少し名残惜しかったが、ロルフは風呂から出て仮眠を取る事に決めた。

 浴室用として置いてあったタオルも白く手触りが良い。やはりあの老婆とはどうも印象が違うな。そんな事を思いつつ身体を拭く。注意しないと身体のあちこちが痛んだ。本当だったら応急処置をしてから寝た方が良いのだろうが、もう限界だった。

 ロルフは目覚ましを設定すると、寝台に倒れるように横になった。心地よい感触がロルフの身体を押し返し、ロルフの意識はあっという間に沈んでいった。



 けたたましい合成音で目が覚めた。

 目覚ましの音だ。枕元にあったそれに手を伸ばし、止める。ぼやけた頭では中々現状を認識できない。暫く何でこの目覚ましが鳴っているのかに思考を巡らし、漸くカストやマウリとの待ち合わせがあった事を思い出す。

 風呂に入ったすぐ後で寝てしまったので、何も着ていなかった。持ってきた荷物から着替えを取り出し身に付ける。持ってきた荷物の中で価値があるものと云えば、養父から贈られたカイトシールドくらいのものだろう。服も靴も、頑丈なもののそれほど大したものではない。逆に言ってしまえば、違うものを着込んでも大して戦闘力には変わりはない。

 まあ街中で戦闘になる事は余りないだろうが、決して気を緩めすぎないようにと養父の教えだ。守るに越したことはない。ロルフは服を着込み、靴を履き、背中にカイトシールドを吊した。取り出しにくいが、街中で盾を構えて歩く訳にもいかない。


 下の窓口には老婆の姿は無かった。気配も感じられない。硝子製の小さな窓口以外は壁に覆われている所為で、中がどうなっているのかも見えない。ロルフは多少の興味を持って窓口を眺め遣り、気配も探ってみるが、得られたものは何もなかった。嘆息一つ零して外へと出る。部屋の鍵は自由に持ち運び出来るようなので問題ないのだが、あの老婆の印象は素朴な漁業の街であるトーレ出身のロルフにとっては強烈だった。


 時刻は真昼時だ。

 それだけ人通りも多い。誰もがロルフに何の関心も抱いていない。その事にロルフは不思議な開放感を感じていた。フェーラン流の後継者候補などという地位が、此処ではまるで何の価値もないようだ。ほんの僅かな悔しさも感じるが、やはりそれ以上に開放感と感興の方が上回っている。


 身体の調子は大分良くなっていた。少なくとも此処へ来た時のように歩くのが辛いなどといった事はない。だがその分、あちこちの打撲が熱を持ち、痛んだ。まあそれも慣れたものとも云える。ロルフは待ち合わせの場所まで急いだ。


「おうっ」


 其処には、見慣れた顔よりも随分と和らいだ表情を浮かべたカストと、相変わらずよく判らない表情を浮かべたマウリの姿があった。マウリは兎も角、カストはやはり街中にある方が違和感が無いように思える。そしてそんな姿を見ていると、無事に生還が出来た実感と嬉しさが胸の奥から浮かんでくる。


 ロルフが駆け寄ると、カストがお薦めの食事所へと案内してくれた。一応は打ち上げという事になるのかも知れない。どうも慣れない。だが命懸けの旅の高揚感がまだ胸の中に残っているのか、余り抵抗は感じない。

 カストが案内してくれた店は、冒険者向けの店のようだ。客の中には武装をした明らかに冒険者風の者が何人も混じっていた。ロルフ達は空いている席に座り、適当に注文を頼む。


 話題は自然と今度の旅路の事になった。どうやらカストが商品の納入を行った際に仕入れた情報によると、トーレとの通商路は暫く閉鎖されるそうだ。ぎりぎりだったというべきか、それとも避けるべきだったというべきか。そもそもカラトの樹海そのものが、まだ人の手が入りきっていない秘境だ。その程度の危険は甘受すべきものなのかも知れない。


「そういや、俺が紹介した宿屋はどうだった?」


 カストが骨付きの唐揚げを口にしながら、ロルフに向かって声を掛けてきた。その時、ロルフも同様のものを口にしていた。手掴みで持った唐揚げは油でべとべとしている。本当ならもっと賢い食べ方もあっただろうが、それが一番食べやすくこの場では適切な食べ方のように思えたのだ。

 唐揚げは表はぱりっとカリカリに揚げられ、中は柔らかい。そして揚げたてなのだろう、少し熱いくらいだった。火傷を避けるように慎重に、だが旨さに誘われるように貪欲に、ロルフは唐揚げを咀嚼する。肉の種類は判らない。だがさっぱりとして柔らかい肉質だ。それがたっぷりの衣と非常に良く合っている。


「んぅ……ああ、あれ本当にお薦めの宿なのか? なんか愛想の悪い婆さんが一人でいただけだぞ?」


 取り敢えず口の中に入れていた分を食べ終わると、カストに向かって言葉を返した。


「ああ、だが部屋は良い感じだっただろう?」

「それはそうだが……」


 確かにそれは否定できず、ロルフの言葉は尻窄みになった。どうも釈然としないものが残る。ロルフの定義による良い宿屋と、あれはどうも微妙に異なっているような気がするのだ。

 だがそんなロルフを、寧ろ面白そうな表情で見遣ってカストは言葉を続ける。


「まあまあ、あの宿屋には面白い噂があってだな、お前さんも見た通り、あそこはあの老婆が一人でやっているようなんだ」

「ふーん」


 余り興味が湧かないロルフは、新しい料理を口に入れた。卵豆腐だ。何の卵かはロルフには判らなかった。砂糖や蜂蜜などの濃厚な甘さはない。だがやはり甘い。表面にはほんの微かな弾力があり、噛み切ると中から柔らかな食感が溢れるようだ。付け合わせとして種々の野菜を炒めたものがあるが、それもまた中々旨い。細く刻まれた肉と緑の野菜、それに茸を炒めたものだ。肉を噛むとそれだけは濃すぎるほどに濃い味と、しっかりとした歯応え。それが緑の野菜と一緒に食べると絶妙に合う。しなやかな緑の野菜は程よく炒められており、噛むと野菜特有の苦みがある。それが濃厚な肉の味わいとぴったり調和するのだ。


「まあ判ると思うが、あそこは料理こそ出さないが、当然宿泊は出来る。荷物なんかも有料だが預かってくれる」


 ロルフは食事を咀嚼しながら、無言で頷く。

 マウリは先程から話に耳を傾けながらも、一人で黙々とケアッシュという魚の卵を食べていた。つぶつぶとした独特の食感が人気で、トーレでも様々な味付けがされたものが食べられていた。だがそれだけで食べるようなものでは無かった筈だが、マウリは気にせず黙々と食べている。


「宿屋の掃除なんかは結構重労働だ。あの婆さんだけが一人では到底出来そうにないとか、あそこで有料の仕出し弁当を頼んだときに出てくるのが結構美味かったり、掃除がやたらに行き届いていたりとか、結構昔からあるとか、まあ色々と噂がある店でな」

「それが?」

「ああ、あの老婆の姿は実は周りを欺く仮の姿だっていう噂があるんだ。その中には老婆に告白して結ばれると、可憐な妖精の姿になって尽くしてくれるようになるとか、ならないとか」

「…………」


 頭が膿んでるじゃねぇの。

 そんな思考と共にロルフは半眼でカストの方を見遣る。だがカストは大袈裟な身振りで左手を左右に振った。それはロルフの胡乱な視線を防ごうとしているようにも、攪拌しようとしているようにも見えた。


「いやいやいや、お前は此処に来て日が浅いから一概に馬鹿にするが、意外と侮れないもんだぞ。実際この噂だってその真実を確かめたら有志の冒険者から報酬が出る」


 マジか。

 感動にも似た呆れで、ロルフは言葉を失う。


「まあ、もしも金に困ったか、あの婆さんに恋に落ちたら試してみたらどうだ? 結果は会った時にでも教えてくれ」


 カストが冗談めかした口振りで話題を締めた。



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