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日ペンの美子さん

作者: 瀬川潮

「決めました。ここがいいです」

 目の前で、うきゅ〜、と首を傾げるフンボルトペンギンを見ながらワタシは言った。もちろん言った相手はペンギンではなく、私の横に立って様子を伺っている不動産屋のぶさいくな男性社員だけど。

「ありがとうございます。きっとお客様にご満足いただけるものと思っておりました。一般的な2DKながらペンギンと同居できる点では他社に類を見ませんし、この『ギルちゃん』もお優しそうな方と同居できることを喜んでいるに違いありません」

 普段ならこの社員のうるさい対応に嫌気が差すだろうが、今はギルちゃんの可愛らしさでそんな角が立つような気分にもならない。ただただ平然と聞き流し小さな体にタッチしてはペンギンの「?」という反応を楽しんでいる。

「ええっと、それではお手続きを事務所の方で……」

 社員の困ったような声が耳に入った。

 しまった。

 ペンギンと戯れ過ぎちゃったかな。

「あ、ごめんなさい。手続きですね」

 ギルちゃんとのしばしの別れが惜しまれたが、やることを済ませれば今後ペンギンとの一緒ライフが待っているのだと自分に言い聞かせる。各種手続きを手早く済ませるべく、部屋を後にする。

 ペンギン・マンション。

 いわゆる環境保護団体の亜流にあたる自然共存団体という零細組織の末端という位置付けにある「日本ペンギン愛い愛い協会(愛称=ペンうぃ)」による新たな環境保護意識高揚事業だ。うさんくさいが、まあそれはそれ。ペット同居可のマンションが少ないながらも徐々に増えている状況で、新たな方向性を示すマンションと同協会は説明する。

 「動物をネタにした強引な商売」、「話題と一般受けしか意識してない動物無視の事業」とはくちさがない連中の見解だが、一応同協会の建前は「既存の愛玩動物ではすでに『自然と同居している』という感覚は得られない。その点、ペンギンは身近ではないこと、特に『飼っている』ではなく『同居』という形なので強く意識の高揚が期待できる」ということになっている。ペンギンが地球環境の象徴だという位置付けらしいが、ワタシにとってはそんなものどうでもいい。当然、話題作りだろうがなんだろうが関係ない。

 ペンギンと暮らせる。

 それ以上の喜びがあろうか。

 通常、ペンギンはペットには向かない。トイレなどのしつけができないからだ。この点、ペンうぃは独自の調査研究による「微弱な超音波」によってペンギンの行動をある程度コントロールする新技術を活用。家庭内飼育時のネックをクリアしているらしい。当然、各方面からペンギン本来の姿・生態を壊す、ペンギンの体、いわゆるペン体への影響、人体への影響など、舌鋒鋭くさまざまな反対意見が挙がっている。が、ペンうぃによると、「研究の結果、ペンギンの生態を壊すものではなく、人体およびペンギンの身体に悪影響はない」との主張を貫いている。根拠は不明。ともあれ、日本ペンギン・マンション、通称「日ペン」はこうして船出した。

 ペンうぃ側の一連の主張の正当性はともかく、なにより市場的には需要があったことは大きかった様子。それも半端なものではなく、激しく需要があったわけで。加えて、入居者以外からの評判もいい。敵は多いようだが、何より味方も多い。

 そんなわけで、ワタシは味方。ペンギン万歳。

 特に傷心のワタシには、それ以上の理屈はいらない。


「ま、良かったわよ。あんた、彼氏に振られた直後は自殺でもしでかすんじゃないかってほど落ち込んでたからねぇ」

 いや、あいつを殺してワタシも死ぬって方が正しいか、とレーコは言いなおしてがははと笑う。ペンギン・マンションの一階にある「ペンギン・カフェ」には客が多いのにまあ、笑い声といい話の内容といい、この長年の親友は相変わらず遠慮を知らない。自然な雰囲気を壊す「自然破壊者」の異名があるのをもちろん彼女は知ってるが、本人は「自然に振舞っているんだから『自然保護者』じゃない」と反論しがははと笑うだけだ。まあ、確かにそう言う意味では自然だけどね。……何分アニマル的だけど。

 それはともかく、振られた話題。

「ひどい物言いだねぇ。まあ、もう今となったら何と言ってもらおうが全然ヘーキだけど」

 スムージーマンゴーオレンジをスプーンでつつきながらいつだってくちさがない親友に返す。そもそも、アイツは乱暴で何かを大切にするってことを知らなくて、なんでもかんでもすぐにぽいって捨てちゃうサイテー男なのよねぇ。いくら知的でカッコよくてお金持ってて将来嘱望されてるったって、ちょっとワタシがペット飼いたいって言っただけであっさりワタシまで捨てることないじゃない。いや、捨てたのはあくまでワタシだけどまあもうどうでもいいや。やっぱり、世の中ペットよねぇ。

「あーあー。相当、ペンギンにいかれちゃって脳髄もとろけちゃってるみたいねぇ。こっちゃ、この夏の暑さの方でのーずいトロトロだってのに」

 がはは、と笑っておいてから「ところで」とホットコーヒーのカップをソーサーに戻し、テーブルに肘をついて身を乗り出してきた。モデルのような整った顔が迫る。ちくしょう、ワタシだって負けないくらい可愛いわい。それはともかく、レーコは続ける。

「例の、『ギルちゃん』って、どれよ」

 ペンギン・カフェはマンションの一階全体を使っているため広いが、喫茶店部分は狭い。大半の面積が、ペンギンプールに使われている。ペンギンを飼うにはストレスを発散する広いプールが必要で、マンションのペンギンは平日日中はほとんどここにいる。ペンギン・マンションの根幹部分といっていい場所で、カフェとは名ばかりのペンギン水族館と言っていい。実際、入場料が必要で、ドリンク類一杯が金額に含まれている。席数が少なく立ち見用の通路の方が広いのも如実にその性格を現している。住民はドリンクのみの料金で楽しめるのが、とってもナイス。

「えっとねー、ギルちゃんはねー。……あそこ」

 それはともかく、ワタシはプールサイドをよたよた歩いたり水に飛び込んだりしているペンギンの集団の中から、一羽を指差した。

「……どれよ」

「あれ。あの、ちょっと羽が短めめなの」

「だから、どれよ!」

 レーコはいらっとしながら突っ込んできた。まあ、無理もない。慣れないと見分けなんかつかないだろう。

「あ、こっち向いた。あの、首輪に『G』がついてるのがそうよ。アルファベットの」

「ははあ、なるほど。こら可愛いわ。っていうか、素直に最初からそう言えよ」

 どのペンギン見ても可愛いって言うくせに、という言葉は飲み込んで軽く謝っておく。本当は、少しスネたような斜に構えた感じがほかのペンギンと違って特に可愛いらしいんだけど、うまく説明できないから黙っておく。

「しっかし、あれと一緒に暮らしてるわけかー。いいなぁ。確かに彼氏なんかどうでもいいかもねー」

「そ。今は、特に新しい彼氏を作りたいって気分でもないわねぇ。別にそんなのいなくても日々充実してるし」

「そっか。うん。安心したよ。本当に」

 レーコはキレーな顔で、心の底から安心したようににっこりと微笑んだ。


 後日。

 レーコの安心をよそにペンギン・マンションに危機が訪れた。

 なんと、マンションで鳥インフルエンザに羅患したペンギンが数羽確認されたのだ。人体への直接的な感染の恐れはないのだが、念のためにペンギンたちは全羽隔離が決定。我がギルちゃんは大丈夫だったにもかかわらず泣き別れの憂目に。マンション全体は消毒処置だとかで住民もいくつかの代価マンションへそれぞれ一時避難という大騒動に発展した。当然、ペンギン・カフェも一時閉鎖。

 それだけなら、まだよかった。

 もともと味方も多いがそれ以上の敵がいたペンギン・マンション。そういった敵がこの機会を見逃すはずはなく、一気に事業中止の声が高まった。あまり直接的な関係はないのだが、前年に周辺地域でインフルエンザが大流行していたこともあり、周辺住民からの風当たりも強まったようだ。

「これから一体、どうなるんだろうね」

 代価マンションで、元ペンギン・マンションの住民は顔を合わせるたびにそんな会話を交わした。ワタシも、交わした。ギルちゃん、ギルちゃんの毎日で言葉は交わせどろくすっぽほかの住民に興味を示さなかったので、改めていろんな人が住んでいた事を思い知った。ペットというか同居人が可愛すぎるのも問題といえば問題か。

 可愛さはかくも、罪作り。

 とりあえず、マンションの消毒が無事終わり事態が沈静化して我が家に戻った時、そう思った。抱きしめたギルちゃんも、斜に構えながらも肯いたような感じ。ほら見ろ、ペンギン・マンション反対派は「所詮鳥畜生だから」とペンギンと人間の共存なんてできないって言ってるけど、やろうと思えば共存できるんだ。自然だってそうだ。共存できるんだ。共存できなかったのは、アイツだけ。あの馬鹿元カレ。あいっつは、ダメだ。何より物を大切にしない。飽きっぽい。他人の迷惑も考えない。知的だけどそれは知識があるだけで、まったく頭はパーだ。このままじゃだらしなさすぎるってんでちょっと注意をし始めたら今度はワタシを邪険に扱いだした。何が「君が一番大切だ」だ! だから顔が良くて格好の良い奴はダメなんだよ! 自分の事しか考えないくせに自分にとって一番何が大切かも考えやしない。アンタにとって今一番大切なのは、自分のそういうだらしないところを正してくれる人で、アンタを甘やかしてばかりで自分からも甘えてくるだけのノータリン女じゃないんだよ。ワタシを捨てて走った女は、ただ可愛く着飾って従順なだけでアンタの足りない部分を増長させるだけの女だってのが、なんで分からないかねぇ。分からないか、今のアンタじゃ。

 とりあえず、ペンギン・マンションに戻っていろいろ考えもしたけど、これからまた日常の幸せが戻るのだからと安心して、寝た。


「だってこのあいだ『彼氏なんかどうでもいい』っていってたじゃない」

 数日後、レーコはペンギン・カフェで上品かつしとやかに言った。

「もう未練はなさそうだったし、美子も幸せそうだったし、彼がペンギン・カフェを一度見てみたいって言ったし。それに、私と美子は親友でしょ。ちゃんと報告しておかなくっちゃとも思ったし」

 いつもは「あんた」呼ばわりのところをわざわざ「美子」と呼んでくる。がはははとも笑わない。隣には、目許が涼しく顔が整って背が高い、私の元カレが座っている。相変わらず見てくれだけは良い。一度捨てた女の前だというのに、涼しい顔のまま表情も変えない。

「元気そうで何より。……まあ、そういうことだから」

 元カレはそれだけ言って立ちあがった。もともとあまり気が乗らなかったようだ。そのまま立ち去ろうとする元カレ。レーコは悪そうに手を「ゴメンネ」と顔の前に立ててウインクしてから、レシートを取ってその場を後にした。

 ……なんだ。

 なんなんだ、この展開は。

 アイツ、結局あのノータリン女と別れたのか? ワタシにあれだけ当てつけてたのに。しかも、今度はレーコと付き合ってるだ? 何なのよ何なのよ、この展開。

「しっかし」

 イライラするあまり思わず口に出してしまう。カフェにいる男性客が思わずという感じでこっちを見たようだけど、そんなの知るかとばかりにコーヒーを飲む。こっち見た男性、ちょっとイイ男くさかったけど、今は「見て見て、あの人ちょっと良くない?」とかいう気分じゃあない。必死に気分を落ち着ける。

 しっかし、アイツは相変わらず人の気持ちなんか考えない。普通、別れた女の友達とくっついて、一緒にわざわざ挨拶にくるか? しかもいきなり。レーコもレーコだ。いつものようにがはははとも笑わないあの素振りじゃ本気だろう。でも、がさつなところをいくら隠そうが、ワタシにわざわざ挨拶に来るようなところはがさつなままだ。馬鹿男とがさつ女でお似合いじゃない。勝手に仲良くすればいいだわさ!

 ふん、とそっぽを向いた先に、ペンギンプール。ペンギンの群れの中で、ギルちゃんもぺたぺたきょろきょろ、ザブン、と羽を伸ばしていた。とても可愛い。ああ、やっぱりペットはいいわよねぇ。特にペンギンだなんて。

 今のワタシにはギルちゃんがいるしと思うと、なんだか落ち着いた。やっぱり馬鹿元カレと別れて正解よねと席を立ち部屋へと戻ろうとした。

 戻る途中、集合ポストを確認すると、馬鹿元カレからの手紙を発見した。こっちに寄って入れて帰ったのか。そのまま捨てようかと迷ったものの、何か難癖をつけられているかもと警戒し開封した。

「極秘の内容だが、君が住む通称『日ペン』だがね。ペンうぃ協は事業の中止と不動産業撤退の動きがある。おそらく近々表面化するだろう。それを計算して覚悟を決めておくとショックも少なく新しい生活に移行できるはずだ。君は感情に走り始めると見境がなくなる傾向がある。先に情報を得れば落ち着いて対応もできるだろうと思って、君にだけ知らせておく。くれぐれも他言はしないように。下手に騒げば、撤退の動きが逆に加速する可能性もあるからな」

 業務連絡のような文面だった。しかも、相変わらず一言多い。

 が、アイツは仕事はできる。こういった情報は不本意ながら信用できる。

 なんだか無性に悔しくなって、手紙をビリビリに破って捨てた。


 結局、日本ペンギン愛い愛い協会は、マンション事業から手を引いた。理由はやはり、鳥インフルエンザ。例の騒動に端を発した県条例制定による規制強化が止めとなった。愛玩動物及び動物との共存を目的とした施設は、公共施設以外はこれを一切禁止するという内容で、実態はペンギン・マンションを対象としたいわゆる「狙い撃ち」だ。議会議決まで大きく報じられず、マンションの住民も地方行政に関心が薄い者ばかりだったので「不意撃ち」の形となった。当然不意撃ちに対する批判もあったが、広報などには議案として小さく報じられていたらしい。議決はひっくり返らない。鳥インフルエンザ騒動からは四カ月が経過していた。結局、住民は同居ペンギンと別れ、孤独にとぼとぼとそれぞれ転居していった。

 ワタシも、ギルちゃんと泣き別れとなった。ギルちゃんは多くのペンギン同様に他国のペンギン・マンションに引越ししていった。

 こうしてワタシは、一人になった。

 馬鹿元カレは親友だったレーコとくっついた。

 レーコはワタシに気遣っているらしく、あれから会ってもないし連絡もない。

 心の支えだったギルちゃんは、もういない。

 最近はギルちゃんに夢中だったため新たな親友はいない。

 本当に、ワタシは一人になった。

 もう、共存する人もいない。

 仕事が終わって買い物をして、もう誰も待ってない、もう誰の帰りを待つ必要もない普通のマンションの扉を開ける。

「ただいま」

 響くのは、ワタシの力無い声だけ。

「あ」

 買い物を冷蔵庫に収めているとき、不意に気付いた。

 ポストを確認してなかった。

 別に親しい誰かの手紙が入っているわけではないだろう。逆に、そういう思いが染み付いてポストの確認を忘れることが多くなっていた。

 どうせ、来ているのは投げ込みのチラシだけだろうけど。

 何の期待もすることなく、ただの義務感でポストを確認しに行った。

「あ」

 ポストの中の投げ込みを整理していると、何とも力の無い声を聞いた。振り向くと、ちょっとイイ男くさい人物がマンションに入ってきたところだった。

「ん?」

「あ、あの、ペンギン・マンションに住んでいた人じゃないですか?」

 相手がなかなか過ぎ去らなかったので顔を見返すと、控えめに言い始めた。

「あの、よくペンギン・カフェに来てたでしょう。自分もペンギン・マンションに住んでてカフェにはよく行ってたので」

 そう言われてもワタシはこの男性を見かけた記憶は無い。ギルちゃんギルちゃんだったのでほかの客や住人にはあまり気を配らなかったからなぁ。

「ええっ、と……」

「あ、いや。割とあのマンションにいた人同士はあまり顔見知りが多いって感じじゃなかったけど、僕はよくあなたのことを覚えてるんですよ」

「どうしてです?」

「とても楽しそうに笑う女の人とよく喫茶店にいたでしょ。がはははって笑う」

 心の恥部にひっかかり、うろたえた。

 レーコめぇ〜。無駄に目立ってたじゃないのよ、やっぱり。

「それで、その笑う人もキレーだなって思ってたんですけど、あなたの方がずっと気になってて……。その、素敵だなって、ね」

 そういって照れたように破顔する男。笑った口の端には、ちょっとした愛嬌がある。

「……もし良かったら、今度一緒に会ってもっとお話ししませんか。ペンギン・カフェほどじゃないけど、結構いい雰囲気の喫茶店を見つけたんですよ」

「ええっと、いいですけど」

 返事をしながら、久しぶりのコミュニケーションに心が癒された。喜ぶ相手の姿を見て、さらに癒された。

 はじめは思いもしなかった展開にきょとんとしてたが、デートの約束をして携帯電話の番号を教えあって別れてから、実感がわいた。

 これってもしかして、レーコのおかげなんだろうか。

 あの迷惑だ迷惑だと思っていた自然破壊的な馬鹿笑いも、あれはあれでいいところがあるのか。

 今晩遅くにでもちょっと連絡を取って、久しぶりに自然ながはははを聞いてみようかなと思った。


   おしまい

ふらっと、瀬川です。


「ペンギン」と「自然環境」をテーマにした競作企画に出展した過去作品です。

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