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08.夕闇

シリアスはいります



 菜園の柵は無様に地面から引っこ抜かれ、至る所に穴ぼこができている。野菜も中途半端に齧られたものや踏み潰されたもの、若芽だけを食べられたものなど様々で、それはひどい状況というしかなかった。


「これは悲惨だな」


 リディの言葉にシスターは顔色を変えず淡々とした口調でこたえた。


「ええ。せめて綺麗に食べてくれればいいのですが。獣達にとっては選り好みし放題でも、私達にとってはすべて貴重な食料ですから」


 孤児院には食べ盛りの子達も多い。教会から支給される分では足りないと開墾した菜園は、タシル周辺の獣に丁度良い餌場として認識されてしまったようだ。

 まだ食べられそうな野菜を拾い歩くシスターの後について検分を進める。


「出るのは魔獣ですか?それとも普通の獣?」

「さあわかりません…申し訳ありません。ただ、いつも朝になると荒らされているのです」

「ということは、夜荒らしにきてる可能性が高いな」

「そうですね」


 柵が引っこ抜かれてるってことは、大柄な獣よね。野菜にのこった噛み口を見てみれば草食とも肉食ともいえない歯形がついていた。前歯が長い…?それはつまり齧歯類。


「もしかして、スパニチャー?」


 そうみたいだな、と肯定したリディはキョロキョロと辺りを見回す。スパ二チャーは十数体で群れをなし、雑食で人を襲うこともある。知能が高いためこの畑を餌場と認識したのであればおそらくこれからも畑は荒らされ続けるだろう。


「スパニチャーというと、物語にでてくるあれ、でしょうか」

「そうですよ。よくご存知ですね」

「子供たちに聞かせる寝物語なんです」


 最古の物語といえども、何十版と改訂されているうえにほとんどが短略化され、スパニチャーがでてくるのは第6版までのはずなのだ。それをこのシスターが知っているとは、驚いた。


 そういえば、うちにある新装版もスパニチャーの部分は削られてたなぁ。


 くいくい


 ん?


 ローブの裾を引っ張られて驚いて振り返れば私のお腹のあたりに小さな黒い頭があった。


「ねね、入れてちょだい!」


 舌足らずな拙い言葉を操る頬を赤く染めた小さな女の子が立っていた。短い前髪を褐色の額に張り付かせて息を切らす彼女はもぞもぞと私のローブにもぐってくる。


「え、ちょっと!ぅひゃあ!…だめそこ、くすぐった…!あははは」

「こらヒジリ!!あんたどこに…あ、だめでしょっ!!」


 ヒジリとよばれた女の子を追ってきたのは茶髪を一つの三つ編みにした12、3歳くらいの少女だった。私たちの隣に立つシスターを横目でみとめて青くなる。



「シスターカレン⁉︎す、すみません、いま連れて行きますから!ほら、ヒジリ!来なさい!!」

「いやぁ!お外でるの!」


 三つ編みの少女はネリのローブにくるまって隠れるヒジリを叱咤するがヒジリには聞く気が無いみたいだ。


「えっと…ヒジリちゃん?呼ばれてるよ?」

「やなの!パトゥムあっちいって!」


 私にくっついて離れないヒジリちゃんに呼びかけてみたけど、いやいやと首を振るだけだった。


「ヒジリ!!いいかげんにしてっ!」


 パトゥムが泣きそうな顔で大声をあげたときだった。パン、と小気味好い音を立ててシスターがパトゥムの頬を打った。これには、はたで様子を見ていたリディも驚いたようだった。


「シスター…?」

「お見苦しいところをお見せしてしまい申し訳ございません。…少し、この子達と話がありますので先に院へお戻りいただいてもよろしいでしょうか。検分の途中だというのに…本当申し訳ございません」


 シスターが胸に手を当て最敬礼をとり恭しく謝罪する。頬を叩かれたパトゥムはポロポロと涙を流していたが、すぐにシスターに習って頭を下げた。白い肌が赤く染まっているのが痛々しい。私とリディは顔を見合わせ、私にしがみつくヒジリへと視線を移した。

 小さな手がぷるぷると小刻みに震えていた。


「いや、検分はもういい。荒らしているのはおそらくスパニチャーだろう……そういうことなら先に戻らせてもらう。行くぞ、マリー」


 くるりと踵を返したリディは厳しく私を呼ぶとさっさと修道院の方へと歩いていった。


「…ごめんね、ヒジリちゃん。私、行くね」


 ヒジリの震える手をローブからそっとはずす。叱られて泣いているかと思ったが、ヒジリは張り詰めた表情で私を見上げた。


「ねね、助けて」


 熱い吐息とともに吐き出される言葉に困惑してしまう。助けてって言われても。


「お外でるの。もう中いや」


 ふるふると首を振って嫌がるヒジリをどうしたらいいのかわからず、シスターに目線をおくれば申し訳なさそうな顔でパトゥムにヒジリをネリから引き離すように言いつけた。


「…ヒジリ、お願いだからこれ以上私を困らせないで」


 さっきよりも強く、手加減することなくヒジリを引っ張ったパトゥムは捕まえたヒジリを腕の中に囲い込んだ。


「でも、でもっ!」


 ヒジリの潤んだ大きな黒い瞳に目を奪われる。もう少しで零れ落ちそうな涙の粒をみつめているとシスターが私の視界をその体で塞いだ。


「どうぞ、中へ…」


 目の前に立ったシスターの彫像のように美しい顔には何もない。冷たい。そう思えてしまうほどシスターからはなんの感情も読み取れなかった。



 ***




 タシルは静かな街だ。

 オルライナ領の西端に位置し、周りを森で囲まれたこの盆地では昔から林業と狩猟を主産業としてきた。ジギルスの街がある北とメダスの南をつなぐ道が開通してからは長く続く森の中の宿街としても重要な街となっている。

 ジギルスの街を目指す南からの長旅に疲れた商人たちが最後の休息地として立ち寄る街であるから、大きさも賑わいもジギルスの街ほどではないが、その分争いも少ない。ここでは内の敵よりも辺りの森に潜む魔物や猛獣達に対抗することが重要なのだ。

 そんな街で、ギルドから私とリディに回ってきた最初の依頼は、教会傘下の孤児院の畑を荒らしている獣の退治だった。孤児院の裏はすぐ森ということもあってか、頻繁に畑が荒されるらしく定期的に駆除の依頼がくるという。


「畑を荒らしているのはスパニチャーで間違いないでしょう」


 薄暗い院長室で私の対面に座るシスターに告げる。

 そうですかと平坦な声で頷いたシスターは卓上の冷めた二つのティーカップをみつめ、瞬きひとつせずに手元のベルを鳴らした。


「お待たせしてしまいましたから。暖かいものに変えさせましょう」


 いつ伝えたのか、私とリディが院長室に戻ったときにはすでにここに置かれていた二つの紅茶。それは熱く淹れたてなのだとわかったけれども、誰もいない部屋に似合わないその湯気が不気味で手をつけていなかったものだ。


「お二人に、お飲み物を」

「はい、シスター」


 孤児院にはメイドなどいない。すぐにやってきた若いシスターが、シスター・カレンの言葉を受け私たちに礼を取り、去って行った。


 とっても、白い肌…

 シスターはあまり外へでないからかしら。


 ネリも色白な方だと思う。けれどあんなに陶磁器のように滑らかな肌はしていない。思わずみとれてしまった。


「…シスター、ここはすべてあなたがしきっているのだと聞いたんだが、子供達の面倒をみるのは大変だろう」

「いいえ。子供達が日々成長して行く姿を間近で見られることは喜びであり、彼らを正しく導く事こそが神が私に与えた使命ですので」

「そうか。いや、俺には手に負えない弟がいてな。できることならシスターに正しく導いてもらいたいものだ」

「貴方様のような立派なお方の血筋であれば、私などの導きは不要でございましょう」


「えっと、リディ…?」


 不遜なところのあるリディらしくない世間話と硬いシスターの声に違和感を覚え思わず口をはさんでしまった。


「ああ、悪い。それで、スパニチャーだが群れがどれだけ大きいかわからないとどうしようもない。しばらく様子をみてそれから駆除、になると思うがそれでもいいだろうか」


 スパニチャーは人を襲う。一匹一匹は弱くとも群れで襲われてはたまらない。こっちは二人だものね、万全を期さないと。


「かまいません。依頼を受けて頂けるのなら。ですが…次の新月までにお願いしたいのです」

「新月まで、ですか…それはどうして?」


 新月まで?なにかあったっけ?


「ご存知ないのですか?」


 シスターが驚いたようにネリを見つめる。信じられないとでもいいたけだ。


「えっと……」


 咎めるようなシスターの視線。知っていて当たり前だという、その常識が息苦しい。


「…新月には、月が消える。神は太陽と月にこの世を照らす力を与えた。その月の光が途絶えぬように、また明日から世界を照らせるように祈るのが教会の祭事だ。どうですかシスター」


 口ごもる私に変わりリディが答える。そうか、教会傘下のこの孤児院では同じように祭事をするのか。


「素晴らしいお答えです。しかし、私達は祈るだけでなく、私達に光を与えてくださった神に感謝をするのです。…新月の儀は、外でやるものだと決まっております。ですからそれまでに子供達が安全に外へ出られるよう、お願いしているのです。」

「ああ、わかった。子供達もずっと院の中だけじゃ辛抱が効かなくなってきているようだしな」


 そうか。外にはスパニチャーがいたから…それでヒジリちゃんはずっと院の外で遊べなくて、今日飛び出してきた、というわけなのかしら。それにしても…ヒジリと、パトゥムは大丈夫だろうか。ヒジリの黒い瞳が潤んでいたのを思い出した。


「今は、彼女達はどこにいるんですか?」


 耳をすましてみても子供達の声は聞こえてこない。


「広間で午後の祈りの準備をしているはずですが」

「祈りの準備…もうそんな時間か」


 リディの言葉につられて窓の外をみれば日は傾いて空が赤く染まり始めていた。


「よろしければ、ご一緒にいかがですか」

「いえ、私、お祈りは…」


 そこで言葉を切る。信心深いシスターの前で言葉にするのは憚られる。困って次を紡げずにいるとリディが助け舟を出してくれた。


「一度ギルドに報告にも行かなきゃならないんだ。俺達は遠慮しておこう」

「そうなのですか。…では、駆除の件、よろしくお願いします。いついらしていただいてもかまいません。私はここにおりますのでなにかあったら声をおかけください。」


 そっと目礼したリディにシスターは丁寧に礼をかえした。私も去り際挨拶をしたのだけれど、シスターはどこをみているのか、視線が絡み合うことはなかった。


 キィ…


 耳障りな甲高い音が響き孤児院の鉄の門が背後で閉められた。シスターの見送りを受けた私たちは街へと続く緩やかな坂道をなんともいえない雰囲気の中下っていた。



「…びっくり、しましたね」

「ああ、まあな」


 温厚なイメージのあるシスターの平手打ち。事情も知らない私がどうこう言えはしないけれど、あの無表情なシスターを見ているとどうしてもパトゥムをかわいそうに思ってしまう。


「だが、叩く方も痛いもんだぞ」


 不服だと、私の顔に出ていたのかリディはふっと息をつき、伸ばした手で私の頭をぐしゃぐしゃとかき乱す。


「リディも、弟達を叩いたことあるの?」

「叩いて言うこと聞くような奴ならもうやってるさ。…あいつらじゃなくて、まあ、なんだ兄、かな」

「お兄さん‼︎いるの?」


 リディに弟が二人いるのは知っていたけど、まさか兄までいるなんて!リディは大家族なのね。


「いた…かな」

「いた?」

「もう死んでるんだ」

「あ…」


 リディの口から出てきた言葉に固まる私を置いてリディは歩いていく。夕闇が、すぐそこまで迫っていて坂道の先に広がる街をゆっくりと染めていた。リディの長く伸びた影が少し揺れて止まった。


「そんな顔するな。もう随分昔の事だ」


 振り向いたリディの顔は落ちていく夕陽に飲まれてよく見えなかった。それがなんだかとても悲しくて、近づいてくる暗がりにリディはそのまま一人溶けてしまいそうで。


「リディ…」


 踏み出した私は気がついたらリディの手を握っていた。

 何も言えることなんてないのに、捕まえないといけない、リディを一人にしてはいけない、と思った。


「私もあるの。ある人に叩かれて…その人そのままーーー」


 どっちが不幸で可哀想かなんて比べたかったわけじゃない。ただ、リディに知っていて欲しかった。あなたにはわからないだろうと、背を向けてほしくなかった。


「私が、魔王城を見に行きたいって我儘言ったら……でも、でもその人すごく傷ついてた」


 自分のしたことが信じられないというように驚きに目を見張り、ふらりと後ずさるあの時の姿がネリの記憶から浮かび上がる。


「青い顔をして何度も謝ってくれて、私、怒ってなんていなかった。だってこんな顔してるのに、どうして許さないと思うの?」


 近くで見上げたリディの顔は苦しそうに歪んでいた。あの人みたいに。迷子の子供のように不安げな表情で誰よりも自分を憎んでいるその顔に私はそっと手を伸ばす。



「私、分かってるわ。心が痛いのは叩く方も一緒なんだって」



 リディの記憶はリディの物でそこに私はいなかったけれど、私はその手のひらが何を打ったかを知っているから。

 ゆるりと動いたリディの手が私の伸ばした手に重なる。私のよりもずっと大きいその手の温もりを感じた時には、私はリディに包まれていた。私をリディは、きゅっと抱きしめる。



「…ありがとう」



 心地よい低音を私はリディの体越しに聞いた。リディの顔は見えなかったけど、でもきっと今リディは笑ってる。リディから聞こえる穏やかな心音がそう、告げていた。



 あのとき、私を叩いた人は私の前から姿を消した。私は引き留めることが出来なかった。そんな過去の記憶に沈んでいく私の頭の上でふー、と一つ深いため息を落としてリディがつまらなさそうに言う。


「ジギルスなんだろ?その人というのは」

「えっ、なんでそれを」

「もう何回もその顔を見てみてるからな。嫌でもわかるさ」


 ジギルスという言葉に現実に引き戻されると、今自分がどこにいるのかが分かって急に体が熱くなる。あれ、私今リディに……⁉︎


「あ、はな、して…リディ」

「お前の中はジギルスでいっぱいなんだな」


 諦めにも似た声でリディは自嘲気味に言った。けれどあたふたとする私はそれどころじゃなくてリディの腕から逃れようと必死だった。そんな私を他所にリディの手はするすると登り、背中から肩へ肩から首へ、そうして両耳をふさいだ。辺りの音は遮られ、視界すらもリディの体に塞がれた。

 だから、私には聞こえなかった。



「俺は、もう遅いのか?」



 リディがもうすっかり日の落ちた薄暗闇の中で寂しげにそう呟いていたなんて。








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