03.撒き餌
木の葉は森に、人は人混みに。
そんなことは逃亡術の鉄則だけど、要は追っ手側にこちらの居場所を知られなければいいわけで。
ガサガサ
低木の間から水色の物体がのろのろと顔を出す。
「でたわね、スライム!!…この大きさなら1ダズくらいは落としてくれるかしら」
そういってネリは今日何度目の登場になるかわからないスライムに飛びかかるのだった。
私が魔王から逃れるため屋敷を抜け出し森の中を歩き始めて2日が経つ。昼は森で狩りをしてスライムを倒しダズ銀貨を手に入れる。夜は狩りで得たダズ銀貨で近くの街や村の宿に泊まる。森の中は歩きにくいけど人に出会うこともないから見つかりにくいと思ったのよね。だって普通、領主の娘が半サバイバル生活しながら逃亡してるなんて誰も思わないじゃない?
私のことを知ってる人ならいざ知らず、魔王様なんてはじめましてな相手が私をみつけるなんて到底無理!やればできる男、イリアが私を探しにこない限り私は捕まらない自信がある。私の逃亡スキルはお母様の盛りヘア強制コースから逃げてる内に相当なレベルまであがってましたから!!
ダズ銀貨を拾い、いましがた狩ったスライムでベトベトになった愛刀を拭って、ある異変に気付いた。
指の腹に刃をちょっとあてて引く。
本来ならそこに現れる赤い線はなく、指にはベタベタとしたスライムの体液が僅かにつく。
これは、ダメね…。スライムのベトベトで切れたもんじゃないわ。スライムは柔らかいし力で切ってくこともできるけど、魔獣があらわれたらそうはいかないし…。
ネリはちょっと考えてはっとしたように地図を開く。
やっぱり!ここをもう少し行けばジギルスの街にでるわ。あそこの鍛冶屋なら一度行ったことあるし口も堅いからこの剣を研ぎにだしても平気だし…そうだ、ついでに魔王様たちの情報も集めとこうかな。追っ手についての情報がなにもないというのはいくら私の逃亡スキルが高くてもむずかしいもの。
行き先が決まり、地図と探検を鞄にしまい軽く肩をまわせば、スライムに張っていた緊張がとけたのかあくびがでてくる。
「ふわぁー…」
太陽はまだ天高い。しかし逃亡スキルをフル稼働で過ごしてきたこの二日間、私はまだ一度も熟睡というものをしていない。目が覚めたら違う場所。そんな経験がなまじあるだけに、いつ魔王様がさらいにくるかわからない今の状況でぐーすか寝れるわけがない。
…今日の宿も探さなきゃ。
女一人でも安全なそこそこの宿で、情報が得られそうなところ…となると表通りの一番店かしら?
懐かしいジギルスの街の通りを思い出しながらネリは森を抜けるため歩みを進めた。
◇◇◇
表通りは鍛冶屋からそう遠くはなかった。漂ってくるおいしそうな食べ物の匂いに人々の雑踏、笑い声を追った先の大通り。屋台が幾つもならぶここがこの町の表通りだ。この街はこの通りの長さで名を馳せている。馬車が優に三台は通れるほどの道幅は領地の中でも1、2を争うほどのものであり交易の主要道路でもある。そして、この長い道にはある逸話も存在する。
昼間の表通りは思ったよりも人が多く、ネリはちょっとうつむく。
領主の娘の顔を知っている人がいるとは思えないけれど、もしもの事態は回避したい。それにネリの立ち居振る舞いは曲がりなりにも貴族のそれ。一度染み付いたマナーはこんなときに効果を発揮してしまう。
綺麗に伸びた姿勢、質素だがなめらかな質のよい服、何かから隠れるように少しうつむいたその姿はーー
「ねえ!そこのおねーさん!」
ほらきた。
2人の男が近づいてきたのを目の端に捉えたネリは視線をさらに下げる。
「どうしたの?下向いちゃってさぁ。…ほらぁ、笑って笑って!あ、もしかして、一人で町にくるのはじめてで不安なの?大丈夫!俺らがちゃんと案内してあげるからっ!」
肩に、腰に、彼らの日に焼けたごつい手が置かれる。かけられる言葉からしてネリのことはちょっと良いとこの箱入り娘だとでも思っているのだろう。裕福そうな初心な娘。これほどのカモはいない。小娘1人くらいちょろいものだ。
…とか思ってるんだろーなー
チャラ男よ。声かける相手を間違ったわね!…そうだ、いいこと思いついた!ふふふ…むしろ私があんた達をカモにしてやろうじゃないの!
太ももをいやらしい手つきでなでられ、体が揺れる。と、一緒にさっき研いでもらったばかりの短剣を袋ごとさりげなく落とす。
「何の御用でしょうか?
私、今急いでいるので」
「おっと、物騒じゃねーの、おねーさん。こんな危ないも….の…っ⁉︎」
足下に落ちた袋をひょいと拾い上げた筋肉男は勝手に中を開き短剣を取り出すや否や目を大きく見開いて短剣とネリとを交互にみやる。
「ん?どうしたー?ってお前、これっ…‼︎」
拾い上げた短剣をみて口をぱくぱくさせる筋肉男を不審がってネリに最初に絡んできたチャラ男が声をあげる。
それをみたネリは声を落とし、脅すようにゆっくりと話しかける。
「…今…触りましたね…?
あのお方の物に」
あのお方その言葉に短剣を握る筋肉男はびくりと肩を震わせ、喉から声を絞り出す。
「この紋様…まさか本物じゃないよな…?」
「私はただの運び人です。
気になるのでしたら、ご一緒に一番店へ行かれますか?」
「…っ!!
でもあの人は今ここには…いや、それよりも…俺…殺されるのか…?」
「私にはなんとも…
そういうことは情報屋に聞かれるのがよいかと。私の仕事は一番店に運ぶことですから。」
「お、俺知らねーからなっ!触ってねーし。お前がんばれよ!!じゃっ!……って、やめ、やめろくそっ!離せっ!!あ、まて近づけるな!くそっ!あああああー…」
チャラ男がトンズラかまそうと走り出したが筋肉男の方が力で上手なのはみてわかる。あっさりと捕まり短剣を押し付けられている。
ふふふ…びびってるびびってる…
けどあまり騒ぎになるのも困るわね。
チャラ男の悲痛な叫び声に周りがざわざわし始めている。早く短剣を回収しなければいけない。無理やり握らされた短剣をみてこの世の終わりのように絶望を浮かべるチャラ男に手を差し出す。
「そちら、返していただいてもよろしいですか?…どうかそんなに気を落とさないでください。噂話の真偽など誰にもわからないのです。この短剣に触れた者がどうなるかなんてわかるはずがないのです。…“わからないことは情報屋に聞け”と言いますけれど…」
そこで言葉を切り、ねぇ?と首をかしげ困ったように笑う。
「さ、そろそろ一番店に行きませんとね。…私が今夜この短剣の真偽を知る前に、何かしら自衛の手段を得られると良いですね。では」
ささっとチャラ男から短剣を奪い返し、それを袋の中に戻して、男2人に背を向ける。
そしてまたいつ誰に絡まれてもすぐ落とせるように持って歩いた。
一番店までの道のりは長い。
途中でお昼食べていくつか必要な物も買って…夕方までにたどり着くかしら?いくらお高めな一番店だって夕方には部屋が埋まってしまうかもしれないもの。早く行かなくちゃ。
ショーウィンドウの奥に見える時計で時刻を確認する。
ドスン
「きゃっ!」
振り返るとがたいのよい大男が目の前に立っていた。
「おい、おい、おじょーちゃん。ちゃんと前を向いて歩かなくちゃだめじゃねーか?なぁ?」
にちゃにちゃとガムを口に含んだまま喋る男に不快感を露わにしゆっくりと距離をとりながらーーー
「何の御用でしょうか?
私、今急いでいるので」
カラン
短剣を落とした。
◇◇◇
日が西の山に姿を隠したころ一番店の酒場はいつもより多くの人で賑わっていた。
おお!予想以上ね!!みるからに情報屋らしき人が1、2…4人はいるわね。これは期待できそう。
部屋で着替えたネリは先ほどまでのワンピースではなく長いローブに身を包んでいた。髪も纏めてフードの中に納めている。室内でフードをかぶる行為は普通なら目立つものだがこんな場所ではかえって役に立つ。
「なあ、兄ちゃん。旅人かい?」
卓についた私に連れがいないのをみると先ほど見当づけた情報屋の1人が向かいに座る。
「…はい。…今日はいつもより騒がしいですね。…なにかあったのでしょうか」
喉に無理にならない程度のアルトでこたえる。イリアがあまりに上手く声を使い分けるので私もと特訓したのがこんなところで活かされるとはおもってもみなかった。グッジョブ過去の私!
「…2ダズで教えてやろう。…兄ちゃんも知ってるだろ?この街の情報屋は一箇所にとどまらない。知りたい情報があるなら必死こいて町中歩き回るか、運にまかせるか、だ。兄ちゃんは運がいい。今夜ここは情報の宝庫だぜ?しかも俺との取り引きだ。どこよりも安いと思うがな。…さ、どうする?」
にやっと笑った情報屋の男は指を二本立てる。それをみたネリは薄く笑い真似をするように指を5本立てた。悪いわね、多分あなたの持ってる情報は私が仕掛けたものよ。
「たしかにここは情報の宝庫です。特に今夜は紋様入りの短剣を持った運び屋がここを訪れると情報が飛びかっていますし。この騒ぎはそのせいですね。違いますか?…みんな確かめたいのでしょう、あの方が本当に帰ってきてるのかどうか。あなたもそうでしょう?実はとある筋からあのお方についての情報を仕入れたんですけど……あなたは運がいいですね。この情報を手にする最初の人になれる。いや、運がいいのは私でしたっけ?まあ、確かにそうかもしれませんね。ここにきて早々取り引き相手がみつかったんですから」
ばらばらと催促するように5本の指を動かす。ほーらほら5ダズよー。昼間に何度もした撒き餌行為が思った以上にしんどくてちょっとイライラしてるんです、私。そもそもあなたたち情報屋が他の街のように店をかまえてさえいれば、こんな回りくどいやり方で情報屋を集めなくてすんだのに…。そう、ようはあなたたちのせいなのよ!だから早く5ダズを私に!実はローブ買ったり剣研いだりしてもう6ダズほどしかお金ないんです!!
5ダズ5ダズ〜と男の手元をじっと見つめる私の上に盛大な舌打ちがふってくる。
「…ちっ、同業者かよ…おい兄ちゃん、その情報確かなんだな?」
「もちろん」
そりゃあ、私がその紋様入りの短剣を持った運び屋ですし、あのお方についてもよく知ってます。
正確な情報ですよ〜
「よし、買った!…だがここじゃあせっかくの情報も横取りされちまうな。兄ちゃん、部屋はどーした?」
「とりましたよ。でも部屋にお連れするほど馴れ合うつもりはありません」
部屋には明らか女物の服もある。もちろん件の短剣も。しまってあればわからないだろうが、ベッドの上にあっぴろげのままこの酒場におりてきている。…そこ!女子力ないなとか言わない!!一番店のセキュリティを信じてるってことですから!!とにかく、そんなところに連れて行けるわけがない。
「ずいぶん厳しいなぁ。だが7ダズ出すんだ。他の奴等に知られては困る」
ふ、増えてる…
これはつまり情報の専売希望か!!私としては同じ情報を何人かの情報屋に売ろうと思ってたから困るわね。5ダズの情報を数人に売るのと1人に7ダズで売るのとでは益が大きく変わる。
「…やっぱりこの話はなかったことに…」
「よし、ならこっちもとっておきをだそう!領主の娘に関する最新情報だ。勇者が動き出したのは知ってるだろう?」
「!!」
取り引きの取り止めを申し出ようとしたネリに思わぬ話がでてきた。
勇者と魔王の情報。それこそがネリが本当に知りたかったことだ。これに乗らない手はない。本当なら他の情報屋とも話して情報の内容に探りを入れたり値段交渉をしたりするのが普通だが、今日のここはあの方の帰還の真偽についての話題でもちきりだ。そんな中領主の娘の情報を聞いてまわるのは目立つ。
私今逃走中だものね。目立たないに越したことはないわ。というわけで
「3階の右奥の部屋です。後できてください」
「了解だ」
ネリが食いついたのが嬉しいのだろう。くくくっと笑って男は席を立った。
むぅ、なんか嫌な感じ。わかってないわねあの男。私はなにも7ダズで了承したわけじゃないのよ。ふっかけてやるんだから!!
こうしてネリも1人嫌な含み笑いをするのであった。
【一番店】街で一番有名な宿や店のこと
【狩り】森などに住むスライムや魔獣といった魔物を倒すこと
倒すとお金が手に入る
【ダズ】銀貨の単位
【専売】他には売らず特定の取引相手にだけ販売すること