7話 魔王らしく
大きなあくびをして、背骨を伸ばす。ポキ……ポキ……背中の骨を鳴らすと、口から盛大に息が漏れた。
手元の腕時計を見ると、針が7時の数字を指す。ゲンロウは『銘酒送り狼』を脇に抱えてイビキをかいているので、魔王は音をたてない様に家から出た。
冷え込みが和らいできたのか、思ったよりも外は暖かかった。橋の上は、既に働き始めた人々が足音を鳴らして通り行く。
そんな日常を一瞥した魔王は、まだ眠気の残る目元を擦り、川の水にて顔を洗う。
日課となっているラジオ体操を第2までこなし、体がほぐれた事を確認した魔王は、感覚を己の内側に向けてマナを操る。
「ふー……ふー……」
3ヶ月前には無かった感覚を、楽しみ味わう様に操る。
陶然とする程の万能感が、魔王の肢体を駆け巡り満たしていく。
胸の内で形を持たないマナに、イメージと言う手を使いゆっくりと型に嵌める。
「はー……はー……『コズミックイレブン』」
魔王が右手を突き出した先に、11個の黒球が生み出された。
慣れた手付きだが、その顔には魔法が使えた事に対する安堵の色が見える。
不安をぬぐい去る様に、手を振り払い黒球を消す。魔王の瞳には弱気な光が消え失せ、力強い意思に満ちた輝きが残る。
今日は、いつもと違う1日が始まる確かな予感が胸にあった。
衝動に突き動かされ、激情に身を任せ魔王は高らかに謳う。
「余は誰だ。――――余は、 魔 王 である! 魔とはなんぞ!? 恐怖! 絶望! 昏き淵より這い上がる混沌っ、目を背け逃げる事すら叶わぬ真の闇! 勝つのではない……奪うのだ! 今日、この時より、余は悪の道を進む。秩序を乱し、平和を壊し、もって支配する。これぞ、魔王の本懐と言うモノ! ふふっ、ふふふふっ、アァーーーーーーッハッハッハッハ!」
「朝っぱらからうるせーぞ! カス!」
「痛々しい妄想垂れ流すな! ゴミ!」
「すいません警察ですか? 変なのが橋の下に」
「お、己、矮小なる者めが! 特に最後の奴やめんか! 覚えておれよーーーー!!」
橋の上から怒声と罵声と通報を投げられ、その場から逃走する魔王だった。
無宿者が悪目立ちをすれば、全くもって当然の帰結だと言えた。
「ぅおのれ本当覚えておれよあいつ等めェ……しかし、勢いで出てきたが悪事か。いざと言うとなかなか思いつかんものだな」
本日は風がなく、空には雲一つない快晴だった。
小高い丘の一角、赤茶けた2階建ての家、その1階部分の屋根の上に魔王は居た。ここからは天守閣含む国が一望出来る。
変温動物が、早朝に陽の光りを浴びて体温を活動領域まで上げる様に、全身に日光を受けて眼下に広がる赤茶けた海を見下ろす。
海原よろしく、大空を舞う鳥と鳥人に、魔法で飛ぶ人々を視界に収めて憮然とした顔を作る。
「なんかナチュラルに色々飛んでて慣れん……」
当たり前の日常に、ケチを付けるも手にしたリンゴを齧り、不満と一緒に飲み込む。
屋根に突き立てられた1本の棒の上に、木枠の囲いが乗っかっている。
不思議な事に、朝にはその上に果物が置いてあった。
最初に発見した時は意味が分からず、警戒して遠巻きにして見ているだけだったが、次の日にまた来てみると昨日と同じ物がそのまま残っていた。
腐らせるには忍びないと思い、放置された果物をかぶりついた。
また次の日、同じ場所に赴くと、やはりか、果物が乗っかっていた。
首を傾げながらも、ヒョイと手に取り食べる。
空腹の前には疑問など然したる理由ではないと思って、横に置いたまま結局忘れてしまった。
味を占めた魔王は、早朝は余程の事がない限り、ここに訪れて果物を朝食代わりにするのだった。
「馳走になった。ではな――――『スカイラル・デルタ』」
5cmの黒い三角形を3つ生み出すと、魔王の体は中に浮く。
少し上昇した所で、ふと気になる箇所が目に入った。1階の屋根はそうでもないのだが、2階の屋根の一部の煉瓦が割れている。
強烈に気になった。言い換えれば、気に入らなかった。
この2階建ての家は、他の家より屋根の色がしっとりとした蘇芳色をしている。
軽薄な赤でもなく、重すぎる真紅でもない良い色調が目にとまったからこそ、惹かれた結果、不思議な果物の存在に辿りついた。
他には、窓の華美にならないくらいの植え込みに、壁を半分程覆う蔦、家主のセンスが全体的な調和を醸し出す家。
その均衡が崩れていたのだ。
そして、魔王は昼近くまでかかって、屋根の修復にマナを費やす。もちろん勝手に。
木枠の囲いの上に、何故か冷えた葡萄酒が置かれていたので、遠慮なく飲み干した。
一部の箇所だけかと思ったが、屋根の下地が大分傷んでいた為に、結構な時間を修復に費やした魔王は、どうせだからと、1階の屋根も点検し下地を補強する。
おかげで2月にも関わらず汗をかいた。
汗として出た水分を、アルコールで補った為に直ぐに全身に回る。
失敗したかと、魔王は勇者との対決まで橋の下で休もうと、赤くなった顔で戻ってきた時、事件が起こった。
「どけどけぇーーーー! 轢き殺されてぇのかーーーー!!」
野太い粗雑な怒声に、逃げ惑う人々の悲鳴。
橋に降りた魔王を迎えたのは、暴走する馬車だった。
目前に迫った2頭の馬に、ほろ酔い加減の為に反応が遅れ、魔王は空高く跳ね飛ばされた。
「ばぁぁかめぇぇぇぇ! とろくせぇやっつぁ死にさらせーーーー!」
見物人から一際高い悲鳴が上がった。
消費を考えず、咄嗟に張った障壁が魔王の身を守ったが、赤ら顔のこめかみにぶっとい血管が走る。
「おい、人が轢かれたぞ!」
「あいつ等、最近指名手配されたのじゃね?」
「春の期間が近いからって、物騒過ぎだろ……」
冬の期間から、春の期間が近づくと、自然と事件の件数が増加する傾向がある。
曰く「春に惑わされる」とされ、暖かくなる気候を歓迎する一方で、遠慮願いたい風物でもあった。
それにしても、指名手配が掛かる事案は余程の事で、例年通りと楽観を許すには度合いが超えていた。
「……のれっ、人が悪行で悩んでいると言うのに! よかろう、お前の悪を捩じ伏せれば、余の悪が上なんだろう! ――――『デイダラ・フィスト』!」
酔った勢いか、思考の怪しい魔王は、目の前で見せ付けられた立派な悪行に嫉妬し、その悪を潰しもって自身の悪を上書きにしようと目論む。
不可視の巨人の手が馬車を掬い上げ、車輪と2頭の馬は空中で虚しく足を回す。
突然の事態に、手綱を握って調子よく怒声を上げていた男が狼狽する。
すれ違い様に、中の様子を見た魔王は、縮こまる一般人と犯罪仲間であろう刃物を持つ男を確認した。
巨人の手の角度を少し調整し、着地と同時に叫んだ。
「顔を下げていろ! 『コズミックイレブン』!」
11個の黒球が、中に浮く馬車に襲いかかる。
木造のアーチに掴まる様にして立っていた刃物男と、暴走御者をまとめて吹き飛ばすと、馬車の幌は綺麗さっぱりと無くなっていた。
二人の男は、黒球を身に受け更に地面へと打ち付けられ気絶する。
ゆっくりと馬車を地面に下ろし、魔王は高らかに勝利を謳う。
「余の真の悪の前には、チンケな小悪党なぞ存在を許さぬ!」
「警察だ! そこのっ……貴様は」
騒動に駆けつけた警察官は、何時もの魔王の天敵だった。
風を操り着地した警官に、呼び付けられた魔王は反射的に及び腰になる。
「げぇ、ポリ公……」
「どう言う事か、話を聞かせて貰うぞ」
「えぇい、戦略的撤退! ――――『ブラックボックス・バック・ザ・トラベルタ』!」
目に見えてロクでもない状況を迎えると判断した魔王は、黒い四角を創り出し自身を覆う。
前回の遅れを取った影響も関係していたかもしれない。普段、顔を出すプライドはアルコールの為か、なりを潜め素早く逃げを打つ。
「待てっ! 今回は――――」
警官の制止は届かず、見慣れた黒い四角と共に見失った。
魔王が凶悪な犯罪行為に手を染めているなど、微塵も予想だにしていない警官は、純粋に参考人として話を聞きたかったのだが、素早い対応に今回は遅れを取った。
逡巡したが、応援の警官が到着するにつれ、現場の対応に切り替えて職務に励むのだった。
「ぜぇー……ぜぇー……れ、連続で使い過ぎた。死ぬ、しんどい……」
咄嗟に転移した先は、何時もの対決の場所。
殺風景な、けれど手入れが行き届いた広場にて、疲労と酔いに身動きが取れなくなる。
そして、そのまま倒れる様にして意識を放棄した。
政務を一旦終えて、何時もの対決に来た勇者が見たモノは、かすかにアルコールの匂いを発散させ、
仰向けにして寝ている魔王だった。
「え、えぇぇーー……」
困惑で戸惑う勇者は、どうすりゃいいのと言わんばかりに天を仰いだ。
ここまで読んで頂き、有難う御座います。
子供の頃にやった事がある人がいると思いますが、魔王が朝食代わりにしているのは、野鳥観察に使う『鳥の餌台』と呼ばれるモノです。
ここの家主は老夫婦で、奥さんの体が悪い為に、気晴らしにでもとご亭主が設置したモノだったりします。
ビックリしたでしょうね。野鳥が来るかと思ったら人が来るのですから。
奥さんが面白がった為に、結局魔王専用の餌台になりました。
観察を続けると、変な人間だけれど、悪い人間ではないと分かったので、(人が良い夫婦と言うのもありますが)今も続いていると言う訳です。
魔王に取って、結構重要補給場所だったりするようです。
ようやく悪の魔王として動き出しました。
悪を潰したので、魔王の悪行ポイントは+1ですね! 立派な悪党目指して、頑張っていきます。
さぁ、勇者と対決したり、悪行に精を出したり、その内、四天王とかも欲しいですね。やる事いっぱい!
ご指摘、罵倒ありましたらよろしくお願いします。