人形と
その日、僕の部屋に女の子がやって来たひどく寡黙な女の子だった。
時刻は今日と明日の境目の辺りで、当然の如く外の闇は深い。爪の切り屑みたいな形をした薄っぺらい月は、太陽から受けた光りをほんの少しだけ地に贈る。
頼りない光りは、しかし部屋に明度をもたらした。
僅かな月光は女の子が浴びていた。曖昧な光りだが、女の子の顔を照らし出すには、充分、事足りていた。 その映し出された顔は、不気味を極めた。
病的に白い肌は月光を受けて青白く染まり、その肌に埋め込まれた、宝石のような紅い瞳には、無機的な輝きが宿っている。少なくとも、常人が醸し出す雰囲気ではなく、人外に思えたくらいだった。
「君は?」
「……………」
女の子は黙ったまま、虚空に投げ出されていたその視線の焦点を僕に合わせた。
「僕はヒロだよ。ねぇ、君はなんていうの?」
僕の方から名乗ってみたが、まるで反応がない。無音のままである。
…………無駄か
僕は諦め、それきりしゃべるのを止める。 しかし、本当に不思議な女の子だ。感情の破片すら見せてはくれない。人形にしか思えなかった。
しゃべらない、笑わない、動かない。ある種の人形より人形めいていた。
場には、耳が痛くなるような重い静寂が満ちている。
まぁ、そんなのは、べつにどうってことない。静寂も沈黙も、僕の居場所であるし、住家である。女の子などまるで存在していないようで、僕が時々感じる孤独に全く作用しないものであった。
結局、僕の日常にはなんの影響も齎す事はなかった。
僕は変化を諦め――いや、べつに変化を望んだ訳ではないのだけれど――再びその場に佇む。女の子に話し掛けることはもうしなかった。する気も起きなかったのだ。
そして、それは、 突然だった。
部屋に人工的な光りが満ちて、静寂が唐突に消え去ったのだ。
「………どうだい?リカ。反省は、したかな?」
野太い、男声だった。父親が娘に話し掛ける如く、優しい声だった。いや、実際、そうなのかもしれない。この男は、目の前の女の子に話し掛けているのかもしれなかった。
「…………」
女の子――リカ、かな――は緩慢な動作で、男の方を向いて、僅かに口を動かし。
「………はい、父様」
と、答えた。どうやら、この男は、本当にこの女の子の父親らしい。「反省、しました」
とくに感情のない声で、リカはそう言う。決して、反省しているようには思えない。
「どうだい?怖かったろう?ここは明かりがないものなぁ」
逆光でよく見えないが、男は笑顔なのだろう、感覚的に察知した。
「父様、気になることが起きました」
と、リカは再び口を動かし、言葉を紡ぐ。
「しゃべる人形はいるのでしょうか?」
リカは男の方を向いたまま、僕を指差した。指先は緩慢に動いたけれど、なぜかそれは研ぎ澄まされていて、鋭利だった。
「あの人形がしゃべるりました。名前はヒロだと言ってました」
無機質なその声は確実に僕のことを指していた。
「……聞こえてたんだ……」
そんな台詞が、僕の口端から漏れた。ほんの、蚊の鳴くような小さな声だったのだけれど、それはリカまで届いたらしく。
「…………」
無言だが、彼女は僕をその視野に入れたようだった。
「ここはお仕置き部屋だからねぇ、そういう不思議なこともあるかもしれないなぁ」
男は、リカをあやすように言い、続ける。
「さぁ、もう出よう。夕食の用意が出来たんだ。早くしないと冷めてしまうよ」
男は、リカを部屋の外に促し、部屋の戸を閉めた。
室内が闇に落ちる。月光が先までリカがいたところを虚しく照らしていた。僅々たるその明かりは、虚しさを煽って止まない。
もう、彼女は来ないだろう。物わかりがいい子だろうから、お仕置き部屋なんかに、来る可能性は薄いと思われる。
でも、彼女は何だったのだろう? 彼女は、たしかに人間だった。けれど、人形である僕の話しが通じたのだ。
本当に不思議だった。願わくば、もう一度会って、話してみたいものである。
もしかしたら、人形である僕の孤独を、癒してくれるかもしれない。
こういったサイトなどに投稿するのは初めてなので、僕が気付かない矛盾があるかもしれません。もしあったら、遠慮なく指摘して下さい。心して受けるので。