エピローグ
選抜戦トーナメント、その全日程が幕を閉じた夜。
アイシード本部中央棟に設けられた大広間では、選手や教官、運営関係者が一堂に会する選抜戦終了を労わる祝宴が開かれていた。
天井には煌びやかな照明が灯され、壁際には色鮮やかな料理や酒が並ぶ長卓がいくつも設けられている。透明なグラスを鳴らして健闘を称え合う者、大会を振り返って大笑いする者、早くも来年の雪辱を誓う者。それぞれが戦いを終えた安堵と興奮を酒と料理と共に味わい、昼間まで殺気に満ちていた空間とは思えないほど穏やかな時間が流れていた。
そんな賑わいの中、会場の隅では一人の少年がジュースの入ったグラスを片手にどこか納得のいかない表情で会場を眺めていた。
フリントライズ。
今回の選抜戦最大の台風の目となった少年である。
準決勝では優勝候補筆頭とまで謳われたシエラクロスを死闘の末に破り、学院中を熱狂させた。
だがその代償はあまりにも大きかった。
全身の至る所を負傷し、特に最後の一撃で酷使した脚への損傷は深刻だった。医務班からは満場一致で出場停止を言い渡され、それでも決勝へ出ようと食い下がったものの、教官たちに止められ、最終的には本人も辞退を受け入れるしかなかった。
その結果、決勝戦はアルベルト・グレインの不戦勝により優勝。
フリントライズの今大会の戦績は準優勝という形で幕を閉じた。
誰もが惜しみ、誰もが納得する結末だった。
——本人を除けば。
「何そんなむすっとしてるのよ?」
聞き慣れた呆れ声と共にコツン、とグラス同士が軽く触れ合う澄んだ音が耳へ届く。振り向けばワイングラスを片手にしたオルタディナがどこか機嫌の良さそうな笑みを浮かべながらこちらを見下ろしていた。照明を受けた琥珀色の酒は静かに揺れ、その向こうに映る赤い瞳からは普段のような刺々しさよりも、祝宴という空気に心を解かれたような柔らかさが滲んでいる。
「準優勝なんて十分過ぎる結果でしょう? それとも、不戦勝でアルベルトに優勝を持っていかれたのがそんなに気に食わないわけ?」
その口元は完全に揶揄う側のそれだった。本人も答えなど分かり切っているのだろう。それでも敢えて聞いてくる辺りがいかにも彼女らしい。
「……酔ってるだろ、お前」
呆れ混じりに溜め息を吐くと、彼女は肩を竦めながらグラスを軽く揺らした。
「失礼ね。少し気分が良いだけよ」
「それを酔ってるって言うんだよ」
思わず苦笑が漏れる。
いつもなら面倒だと思うような軽口ですら今の彼にはどこか心地良く感じられた。殺気をぶつけ合うでもなく、勝敗を競うでもなく、ただ他愛もない言葉を交わして笑い合う。そんな当たり前の時間がこれほど穏やかで、これほど尊いものだったのかと、ようやく実感出来る。
胸の奥で、静かに息を吐く。
未来は進んだ。その事実だけで十分だった。
これまでの周回では決して辿り着けなかった場所へ自分はようやく立っている。
シエラクロスへ敗れた翌日、彼女は決まって命を落としていた。襲撃された場所も、状況も、犯人も、その度に違っていた。それでも”シエラクロスが死ぬ”という結末だけは何一つ変わらず、彼女の死を引き金に世界は再び巻き戻っていく。何度も、何度も、何度も。同じ絶望を繰り返し、その度に手を伸ばいても届かず、救えなかったという現実だけが積み重なっていった。
しかし今回は違う。
選抜戦は終わった。
シエラクロスは生きている。
学院ではこうして祝宴が開かれ、自分はオルタディナに絡まれながら他愛もない会話を交わせている。その何気ない日常こそがこの時間が確かに未来へ続いている何よりの証明だった。
もう群青の少女が死ぬことで時間が巻き戻ることはない。少なくとも今はそう信じることが出来る。
だからこそ胸の奥には長い間張り詰めていた糸がようやく緩むような安堵が静かに広がっていた。
「(ただ、わからねぇ)」
それでも、その穏やかな感情の裏側にはどうしても拭い切れない違和感が影のように居座り続けていた。未来は確かに変わった。だが本当にこれですべてが終わったのだろうか——そんな小さな疑問だけが祝宴の喧騒とは裏腹に静かに胸の奥で燻り続けていた。
——結局、シエラクロスを狙っていた連中は何だったんだ?
安堵とは裏腹にその疑問だけは胸の奥から消えようとしなかった。
これまで幾度となく自分を絶望へ叩き落としてきた存在。正体はおろか名前すら分からないままそれでも確実に巨大な意思だけは感じさせる謎の集団だった。白い外套を身に纏い正面から襲撃してきた者がいた。正直それ以外の連中なんて目撃すら叶ってないのもある。どれだけの人数が関わって実行していたのだろうか? 分かるのは到底個人では成し得ない規模の組織的な意図が働いていることだけは疑いようがなく、その度にシエラクロスは執拗なまでに命を狙われ続けてきた。
にもかかわらず、今回は何も起きなかった。
あまりにも静かだった。
まるで最初からそんな存在などいなかったかのようにあれほど執着していた気配が跡形もなく消えている。
彼女が生き残ったからなのか。いや、自分が彼女へ勝利したことで目的そのものが失われたのか。あるいはこの選抜戦そのものに何らかの意味があり、その結果さえ得られれば後は用済みだったのか。
どれだけ考えても理由が見えてこない。
もし本当に標的が群青の少女一人だけだったのなら、敗北した時点で利用価値を失い撤退したと説明することも出来なくはない。しかしそれではあまりにも話が出来過ぎていた。命を奪うためだけに何度も襲撃を繰り返し、学院へ潜伏するほど執着していた相手を、たった一度の敗北だけで諦めるものだろうか。それほどの規模を持つ組織なら選抜戦が終わった後を狙うことも別の手段で接触することも出来たはずだ。
だからこそ不気味だった。
静か過ぎて何も起きないという事実そのものが嵐の前に訪れる不自然な静寂のようで、返って胸の奥へ重く圧し掛かってくる。このまま終わるとは思えない。それほどまでにこれまで見てきた連中の執念は異常だった。
そして、もう一つ。
いや、本当は最初からずっと胸の奥へ引っ掛かり続け、今なお答えを求め続けている最大の疑問がある。
——最初の周回で俺へ声を掛けたあいつは何者だったんだ?
黒い外套。
顔の見えない仮面。
淡々とした声。
そして、たった一言だけ残された不可解な言葉。
現れたのは最初の一度きりだった。それ以降は姿を現すこともなく、まるで最初から存在していなかったかのように消息を絶っている。
ただ未来が狂い始めたのは間違いなくあの日からだった。
偶然で片付けるには出来過ぎている。あの邂逅こそが、自分の運命を大きく歪める引き金だったと考えた方がむしろ自然だった。
味方だったのか。
敵だったのか。
自分へ警告を与えたかったのか。
それとも最初から利用するつもりだったのか。
何一つ分からない。
一つだけ確かなことがあるとすれば本来流れるはずだった時間へ干渉し、自分という存在を”やり直し”へ巻き込んだ原因の一端である可能性が極めて高いということだけだった。
もちろんそれすら証明出来る事実ではない。
答えはどこにも存在せず、結局は今ある結果から逆算して推測するしかない。状況証拠はいくらでも積み重なる。それでも決定的な証拠は何一つなく、自分が辿り着いた結論さえ本当に正しいのかは分からなかった。
あれから今日までその人物は一度も姿を現していない。
もう二度と現れないのかもしれないとそう思う一方で、胸の奥では絶対にまた現れるという確信にも似た感覚が消えない。あの存在だけはまるで心へ深く刻み付けられた傷跡のように鮮明な違和感として残り続けている。
故に気を抜くことは出来なかった。今回で終わったと決め付けるには知らないことが多過ぎる。
もっと強くならなければならない。
戦う力だけでは足りない。
状況を見抜く洞察力、情報を集める力、固定観念に縛られず物事を多角的に考える柔軟さ。そして目の前で起きている出来事だけではなく、その裏側で誰が何を企んでいるのかまで見抜く視野。そのすべてを身に付けなければこの先また同じ絶望を繰り返すことになる。
そして最後に。
結局、一番理解出来ていない事柄だけが今もなお答えを与えられないまま残り続けていた。
それは——。
——何で、俺はやり直しが出来たんだ?
これは果たして魔法の類なのか。それとも自分の知り得ない全く別の技術なのか。
何度考えても答えは出なかった。
この世界には魔法が存在する。常識では説明出来ない現象も数多く存在し、人智を超えた力を目の当たりにしてきた。それでも自分が経験した”やり直し”だけは、そのどれにも当てはまるようには思えない。
時間そのものが巻き戻っているのか。自分だけが過去へ飛ばされているのか。あるいは世界そのものがまったく別の形で再構築されているのか。
考えれば考えるほど可能性だけが増え、肝心の答えは霧の向こうへ消えていく。
結局、やり直しが起きる条件ですら確定した訳ではない。確かに今までの経験からある程度の憶測なら立てられる。
シエラクロスの死。
それが引き金になっているようには見えた。
何度も繰り返した未来は決まって彼女の死を境に終わり、そこから過去へ巻き戻っていた。それだけを見ればそう結論付けることも出来る。
しかし、それも本当に正しいのかは分からない。
ただ自分がそう思い込んでいるだけで、実際にはまったく別の条件が存在する可能性だって十分にあり得る。
もしそうだとしたら今後はどうなる?
今回、群青の少女は生き延びた。では、もし彼女がこの先どこかで命を落としたら?
その瞬間、自分はまた過去へ戻るのか?
それとも、もう二度とやり直しは起きないのか?
仮に巻き戻るとして、その起点はどこになる?
選抜戦の前か?
学院へ入学した日か? それとももっと以前か。
何一つ分からない。あまりにも分からないことが多過ぎる。
だからこれまで意識的に考えないようにしてきたことがあった。
いや、考えること自体が恐ろしくて無意識に避け続けていたと言った方が正しい。
もし。本当に、もしも。
シエラクロスではなく——。
自分が死んだら、どうなる?
その瞬間だけは思考が止まった。
答えを想像したくないし、考えたくもない。
これまで自分は何度も死を覚悟してきた。理由がそれは”やり直せるかもしれない”という希望がどこかにあったからだ。
もしその希望そのものが存在しなかったとしたら?
もし自分の死だけは本当の終わりだったとしたら?
もし逆に自分の死こそが新たなやり直しの条件だったとしたら?
どれに転んでもその答えを確かめる術は一つしかない。
そして、その方法だけは。
絶対に試してはいけないものだった。
「……考えても仕方ない、か」
胸の奥へ渦巻いていた思考をゆっくりと息と共に吐き出すように呟く。
「は? 何よ、いきなりぶつぶつと」
隣でグラスを揺らしていた赤短髪の少女が怪訝そうに眉をひそめる。
「いや、何でもねえよ。ただの、もしも、の話だ」
そう言って苦笑するとそれ以上は深く語らなかった。
今考えたところで答えは出ない。
未来はようやく動き始めたばかりだ。
だったら今だけは、その未来が確かに続いていることを素直に喜べばいい。
フリントは静かにグラスを持ち上げる。
「……とりあえず、この先の未来に」
小さくそう呟きながら、オルタディナの持つワイングラスへ自分のグラスを軽く合わせた。
コツン——。
澄んだ音色が祝宴の喧騒へ溶け込む。
一瞬だけ間の抜けたように目を丸くした少女は何故か照れ隠しをするように視線を逸らし、先ほどよりもほんの少し赤くなった頬を隠すようにグラスへ口を付けた。
「……何よ」
小さく呟きながら酒を少しずつ口へ含む姿は普段の勝ち気な彼女からは想像も出来ないほど年相応で、その様子がおかしくて少年は思わず口元を緩める。
そんな穏やかな空気が流れたその時だった。
ぽん、と肩へ優しく触れる感触。
振り返ると、そこに立っていたのは群青色の長い髪をゆるやかに結い上げ、普段とは違う装いへ身を包んだシエラクロスだった。
深い群青を基調とした上品なドレスは彼女の透き通るような白い肌をより一層際立たせ、胸元から肩へ流れる繊細な刺繍は照明を受ける度に淡く煌めいている。普段は後ろで一つに束ねられている長髪も今日は柔らかなウェーブを描きながら肩口へ流れ、耳元には小さな蒼い宝石が揺れていた。その凛とした立ち姿は剣を握る戦士ではなく、一人の年頃の少女そのものであり、静かな微笑みさえどこか儚く、美しかった。
もちろん、隣にいるオルタディナも負けてはいない。
普段の動きやすさを重視した制服姿とは違い、黒を基調に赤い意匠を織り込んだドレスは彼女の勝ち気な雰囲気をそのまま気品へ変えたような装いだった。短く整えられた赤髪も丁寧にまとめられ、普段なら鋭く見える瞳も酒のせいかどこか柔らかい。
それでも。目の前へ現れたシエラクロスから漂う空気は、また違った。
戦場で見せる鋭さを一切消し、一人の少女として微笑むその姿は少年にとってあまりにも新鮮だった。
思わず目を丸くする。
そんな反応を見た彼女は少しだけ不安そうに視線を伏せる。
「……似合わない、かな?」
「……いや」
フリントは首を横へ振る。
「剣士以外のシエラを見るのが初めてだっただけだ。新鮮で……その、似合ってる」
短い言葉だったがその一言だけで十分だったのだろう。彼女は安心したように小さく笑みを浮かべる。
その穏やかな空気は、まるで祝宴の喧騒だけが二人を避けて流れていくかのようだった。
——と思われたが。
「——ッッ」
フリントの背筋へ突き刺さるような視線が一本。
ゆっくりと冷や汗が流れる。
振り返らなくても分かる。
少し離れた背後ではオルタディナが笑顔のままグラスを傾けている。
笑っている。
笑っているのだが——何故か妙に怖い。
少年は何事もなかったように平静を装いながら咳払いを一つした。
「強かった」
そんなところへ静かに切り出したのはシエラだった。
「ん? ああ、試合のことか。それはお前もじゃねえか」
「ううん」
彼女はゆっくりと首を横へ振る。
「フリントが私の実力を限界以上に引き出してくれたからだよ」
真っ直ぐな瞳だった。
嘘も遠慮もない。心からそう思っていることがその表情だけで伝わってくる。
だからこそ、金髪の少年は照れるより先に頬を引き攣らせた。
それは本人だけが知っている。
あの一戦へ辿り着くまで自分がどれだけ敗北を重ね、何度も精神を擦り減らし、ようやく掴んだ勝利だったのかを。
終わった今だから笑える。
改めて思い返しても勘弁してほしいくらい強かった。
もしもう一度あの試合を最初からやり直せと言われたら正直、勝てる自信はない。
「ねえ、フリント?」
「お? 何だ?」
シエラは一歩だけ距離を詰める。
その表情は柔らかい。
けれど、その瞳だけは試合の時と変わらない真っ直ぐな光を宿していた。
「また、本気で戦ってくれる?」
あまりにも自然な口調だった。
だがその一言には何一つ冗談が混じっていない。
軽く息を呑む。
その問い掛けはあまりにも自然で、まるで「また一緒に食事でもしよう」と誘うくらいの気軽さだった。しかしその瞳だけは違う。群青色の双眸は一切逸れることなく真っ直ぐフリントを見つめ、その奥には試合中と同じ熱が静かに宿っていた。
戦うことが好きだからではない。
勝ちたいからだけでもない。
あの一戦で見た景色へ、もう一度辿り着きたい。
そんな純粋な願いだけがそこにあった。
フリントは思わず頬を掻く。
「勘弁してくれよ」
苦笑混じりにそう返すと、シエラは不思議そうに小首を傾げた。
「どうして?」
「どうして、じゃねえよ。お前、自分がどれだけ強かったか分かってんのか?」
「……分からない」
「分かれ」
即答だった。
そのあまりの迷いのなさにシエラは小さく瞬きを繰り返し、オルタディナは思わず吹き出しそうになるのを堪えて肩を震わせる。
「本当に死ぬかと思ったんだからな、俺」
「でも勝ったよ?」
「だから余計に怖ぇんだよ」
少年は頭を抱えるように額へ手を当てた。
「普通、一回勝った相手とはしばらく戦いたくねぇだろ」
「私は、また戦いたい」
返事は即答だった。
迷いも照れもない。ただ真っ直ぐな本心。
「次はもっと強くなってるから」
そう言って微笑むシエラの笑顔は戦場で見せた鬼気迫る表情とはまるで別人だった。
その姿を見ていると、不思議とこちらまで釣られてしまう。
「……はぁ」
肩の力を抜くように息を吐き、彼は小さく笑った。
「そういうところだよ、お前は」
「?」
「いや、何でもない」
その真っ直ぐさが、何度も自分を追い詰めた。
だからこそ、その真っ直ぐさに救われた部分もある。
何度敗れても諦めず、自分の背中を追い続けてきた少女。そして最後には自分と同じ景色へ届くところまで登ってきた少女。
もし今回で終わりではなく、この先も未来が続くのなら。きっと彼女は、また強くなる。
今度は追われる側になるかもしれない。そんな未来を想像すると自然と口元が緩んだ。
「……分かったよ」
フリントはゆっくりと右手を差し出す。
「また今度な。次は試合じゃなくてもいい。修練でも模擬戦でも、好きなだけ付き合ってやる」
一瞬だけ目を丸くした群青の少女はやがて花が咲くように柔らかな笑みを浮かべると、その手を両手で大事そうに握り返した。
「うん。約束」
その一言だけで十分だった。
もうそこには、勝者も敗者もいない。
ただ互いを認め合い、次はもっと高みで拳と剣を交えることを約束した二人の剣士だけがいた。
——そんな穏やかな光景を。少し離れた場所からワイングラスを傾けながら眺める赤短髪の少女が一人。
「……へぇ」
オルタディナは笑っていた。
笑っている。笑っているはずなのに。
何故だろう?
フリントの背中をぞくりと悪寒が駆け抜けた。
———
祝宴も終盤へ差し掛かった頃。
賑やかだった会場に不意に澄んだ鐘の音が響き渡る。
それを合図に談笑してい院生達や教員達が次々と視線を正面へ向け、大広間の中央へ設けられた壇上へ注目が集まっていった。
壇上へ姿を現したのは、アイシード運営本部・代表選考局の責任者だった。厳かな空気を纏ったその人物は一歩前へ進むと、会場全体をゆっくりと見渡し、静かに口を開く。
「これより、今大会——選抜戦トーナメントの総括、ならびに代表推薦者の発表を執り行います」
先ほどまで響いていた笑い声は自然と消え、広間は静寂に包まれる。
「本大会において優秀な成績を収め、各国視察団および学院運営による総合審査の結果、国際代表候補として推薦される者をここに発表します」
誰もが息を呑む。
選抜戦は学院最強を決めるだけの大会ではない。ここで認められた者だけが各国代表が集う本当の舞台へ足を踏み入れる資格を得る。
「優勝——アルベルト・グレイン」
真っ先に呼ばれた名前へ大きな拍手が送られる。堂々と壇上へ歩み出るアルベルトは静かに一礼し、その称賛を受け止めていた。
そして次は。
「準優勝——フリントライズ」
一拍遅れて会場中から再び盛大な拍手が巻き起こる。
その拍手は決して優勝者へ劣るものではなかった。むしろ今大会最大の激戦を演じた少年へ向けられる敬意は先ほど以上だった。
彼は少し照れくさそうに頭を掻きながら立ち上がると、会場中から降り注ぐ拍手を受けながら壇上へ向かう。
途中、視線を横へ向ける。
少し離れた場所ではオルタディナが腕を組みながらこちらを見つめ、ニヤリと口角を上げて顎をしゃくった。
「……やるじゃん」
たったそれだけ。
それでも十分だった。
そしてその隣ではシエラクロスが優しく微笑みながら静かに拍手を送っている。その表情には悔しさも未練もなく、ただ純粋に自分を打ち破った好敵手を称える温かな笑みだけがあった。
壇上へ並んだ二人を見届けると、代表選考局責任者は再び一枚の書類へ目を落とす。
「続いて本大会において最も優秀な功績を残し、各国視察団から最高評価を受けた選手へ贈られる特別表彰を発表します」
会場の空気が変わる。
ざわめきが静かに広がり、多くの視線が優勝者であるアルベルトへ向けられる。
だが、読み上げられた名前は違った。
「本大会最優秀賞——フリントライズ」
一瞬だけ静寂が訪れる。
次の瞬間、今日一番とも言える拍手と歓声が大広間を揺らした。
驚きの声。
納得するような笑み。
賞賛。
誰もがその名前に異論はなかった。
優勝こそ逃した。しかし準決勝で見せたシエラクロスとの歴史に残る死闘。そしてその戦いを通して各国代表団へ強烈な印象を残した存在。
その価値は、一つの勝敗だけでは測れなかった。
優勝に匹敵する評価。
いや、それ以上にフリントライズという少年はこの大会で最も高く評価された人物として、その名を学院中へ刻み付けた。
最強。
その称号へ最も近い男であると、各国が認めた瞬間だった。
壇上から見渡す景色は眩しく、惜しみない拍手と歓声。仲間たちの笑顔。そのすべてが自分へ向けられている。
素直に少年は嬉しかった。
ここまで積み重ねてきた努力が報われる。
何度倒れても立ち上がり、何度絶望しても前だけを見続けた日々が確かに認められたのだ。
だからこそ胸を張ってその賞賛を受け止める。
だが、その心はもう次を見ていた。
「……まだ、俺の知らない世界が沢山ある」
小さく呟く。
誰にも聞こえないほど静かな声だった。
脳裏へ浮かぶのは幾度となく繰り返した悲劇。
救えなかった命。
届かなかった手。
絶望の果てで流した涙。
今の自分では、まだ足りない。
この程度の強さでは。
この程度の実力では。
誰一人として守り切ることなど出来ない。
だから、立ち止まる理由はない。満足する理由もない。この先にどれほど険しい道が待っていようと、まだ見ぬ強者がいようと、まだ知らない世界が広がっていようと、フリントライズは歩みを止めない。
ただひたすらに前へ。
誰よりも強くなるために。
誰もが憧れる頂へ辿り着くために。
「最強を証明し続けてやるよ」
眩しく感じる景色の中で一人静かに誓いを立てていた。
フリントライズ。その名はまだ歴史の途中にある。
敗北を知り、絶望を知り、それでもなお立ち上がり続けた一人の少年。その歩みは決して順風満帆ではなく、何度も壁へ叩き付けられ、その度に傷付き、その度に立ち上がり、誰よりも強くなることだけを信じて前へ進み続けてきた。
拳がぶつかる度に散った火花は決して一瞬の輝きでは終わらない。
それはやがて大きな炎となり、炎は雷光のような閃光へ姿を変え、世界中へその名を轟かせる。
誰よりも高く。
誰よりも遠く。
誰よりも強く。
その果てに待つものが希望なのか、それとも再び絶望なのかはまだ誰にも分からない。
それでも少年は歩みを止めない。止まれない。
何度敗れても、何度絶望しても、何度運命へ抗うことになろうとも。その拳は決して下ろさない。
目指す場所は、ただ一つ。
誰にも届かない高み、誰にも敗れない頂。
最強。
それこそがフリントライズという少年が生涯を懸けて証明し続ける存在理由。
だから今日も。
明日も。
そして、その先も。
一人の少年は火花を散らしながら未来を切り拓き続ける。
その名が、本当の意味で世界へ轟く、その日まで——。




