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第一章 火花

 医療区画の白い天井は、どうにも落ち着かない。

 真新しい照明が等間隔に並び、無機質な光が室内を均一に照らしている。

 消毒液の匂いと、機械の静かな駆動音。外界から切り離されたような空間だ。

 ベッドに腰掛けた金髪の少年は、無言で肩の湿布を押さえた。

 鈍い痛みがじわりと広がる。

 模擬戦用とはいえ、衝撃は本物だ。安全装置は働くが、負荷は消えない。

 それがこの場所での方針だった。


「ほら見ろ、言ったじゃん。模擬戦っていっても痛いって」


 横から軽い声が飛ぶ。

 椅子を逆向きに跨いだ茶髪の少年――レオン・カレイドが、背もたれに腕を乗せながら楽しそうにこちらを覗き込んでいる。包帯の端を指でつまみ、退屈しのぎに弄んでいる様子だ。


「うるせぇ。別に平気だ」


 金髪の少年――フリントライズはぶっきらぼうに返す。

 押さえた瞬間、ほんのわずかに顔が歪む。それを見逃すほど、レオンは鈍くない。


「はいはい。平気平気。あの程度で済んだなら上出来だろ。審判も“技あり”判定だったしさ」


 身を乗り出し、声をひそめる。


「しかしあの青髪の彼女、やばくね? 魔法陣の置き方。あれ“勝つため”ってより、“負けさせるため”だったぞ」


「……見てた」


 短く答える。

 負けた。それは事実だ。

 地面に叩きつけられた瞬間の衝撃も、視界の端で光った魔法陣も、胸を貫いた一撃も、はっきり残っている。

 だが――。


「本番なら違う」


 フリントは金色の前髪をかき上げ、視線を逸らした。

 その言葉に、レオンは一瞬だけ黙る。

 それから、ふっと笑った。


「出た。『本番なら違う』」

「馬鹿にしてんのか」

「してないって。お前がそれ言うと、なんか安心するんだよ」


 レオンは拳を握り、勢いよく前に突き出す。


「ほら、あの感じ。勢いで全部ぶち抜くやつ。理屈とか関係なしに“行ける”って顔して突っ込むだろ? あれ反則」

「反則じゃねぇ。競技だろ」

「競技だけどさ。普通は考えるって。距離とか、間合いとか、相手の癖とか」

「考えてる」

「いや絶対勢いだろ」


 軽口が続く。

 医療区画の硝子窓の向こうには、この施設の中庭が見える。

 広大な敷地。複数棟に分かれた訓練施設。魔法演算塔と呼ばれる尖塔。屋外競技場の観客席。

 アイシード――。

 正式名称は長く、堅い。

 だがここでは、誰もそんな呼び方はしない。

 複数国家が共同出資し、若者を集め、育て、競わせ、選抜する場所。

 代表選抜大会は年に一度。

 その勝者が各国の推薦枠を得る。その場に立てれば将来も安泰と言われるくらい誇りある事だ。

 今は平和だ。

 だが、過去に世界が揺らいだ時代があったからこそ、この施設は存在している。

 レオンが急に真顔になる。


「なあ、フリント」

「なんだよ」

「目、ちょっと怖いぞ」

「は?」

「さっきの顔。負けた直後のやつ。スイッチ入ってる。ほどほどにしろよ?」


 金髪の少年は一瞬だけ言葉を失った。

 怖い顔なんてしていない。

 ただ、次は勝つと決めただけだ。


「……分かったよ」


 短く言い、立ち上がる。


「おーい、ちゃんと治療終わってからなー。無理すんなよ、英雄候補」

「誰が英雄だ」

「俺の中ではな」


 背後から笑い声が追いかけてくる。



 教室棟は中央塔の二階にある。

 硝子張りの廊下からは、屋内演習場が見下ろせ、下では別クラスが魔法演算の訓練をしていた。

 教室の壁面の用紙には、模擬戦の順位が書き記されている。

 勝ち負けは即座に数値化される。順位は可視化され、誰の目にも晒される。それがアイシードの空気だ。競い合いを促す為に自身の実力を明確にする。そして自身に何が足りないかを見極めて自由講習を受けたり出来るのだ。

 席に着いた瞬間、隣からため息が落ちた。


「で?」


 赤い短髪の少女が頬杖をつく。

 冷静で、どこか達観した視線。


「負けたのに、まだ勝てるつもりなの?」


 辛辣な言葉を躊躇なく投げる少女。


「模擬戦だろ。次は勝つ」

「便利な台詞ね、それ」


 ペンを回しながら、彼女は冷めた声を落とす。

 そこへ後ろからレオンが割り込む。


「オルタディナやめとけって。今日のこいつ触ると燃えるぞ」

「触ってないし。勝手に燃えてるだけ」

「ほらな?」

「うるさい」


 周囲の数人がくすくす笑う。

 だがオルタディナは、ふと真面目な目になる。


「あんたさ。負けたのに負けてない顔するの、癖だよ」


 その言葉は、思ったより深く刺さる。


「……何が言いたい」

「強がるの。悔しいなら悔しいって顔しなよ」


 フリントは黙る。

 悔しい。

 だが、それを見せるのは違う気がした。


「まあ別に、嫌いじゃないけど」

「……は?」

「何でもない」


 彼女は視線を落とす。

 その横顔に、ほんの少しだけ迷いが見えた気がした。



 昼休み。

 食堂へ向かう廊下は人で溢れている。


「シエラクロス、本命だろ」

「予選免除あるんじゃね?」

「魔法の精度が異常」


 青髪の彼女の名前があちこちから聞こえる。

 アイシードでは、評価は静かに広がる。

 噂は実力を追いかける。

 金髪の少年は聞かないふりをして歩く。

 だが足は止まった。

 廊下の壁際。

 腰まで伸びる青髪が、光を受けて揺れている。

 人の輪の中心ではない。だが自然と周囲が距離を取る。

 静かな圧。

 彼女が顔を上げる。視線が交差する。

 ほんの数秒。時間が止まったように感じた。


「次は――」


 言葉は用意していたはずだった。

 次は勝つそれだけでよかったはずなのに、喉がわずかに乾き上手く言えない。

 すると彼女が先に口を開く。


「……痛む?」


 低く、静かな声。

 勝者の誇りでも、挑発でもない。ただ、事実を確認するだけの問い。


「別に」


 フリントライズはそっぽを向く。


「模擬戦だし」


「そう」


 それだけ。

 再び距離が戻る。

 誇らない。見下さない。ただ、強い。

 腹立たしい。

 いや、それだけじゃない。

 追いつきたい。越えたい。並びたい。

 金髪の少年は拳を握る。

 新たなる目標を胸に。



 日が暮れ、暗闇に染まる屋内訓練場は静まり返っていた。夜の訓練場に立ちながら、金髪の少年はふと思い出す。

 ――故郷。

 小さな街だった。

 国境に近い辺境地帯。

 特別な施設もなければ、有名な指導者もいない。

 それでも、彼は街一番だった。

 同世代に負けたことはない。年上とも渡り合えた。力はあった。直感もあった。自信は勝手についていた。

 “いける”と感じた瞬間、本当にいけた。

 だから、疑わなかった。

 もっと上に行けると。

 ある日、地方に出た際にアイシードの生徒と立ち合いをして勝利を得た。そこでスカウトされた。

 演習場の隅で、黒い制服を着た大人が言う。


「君は未完成だが、可能性がある」


 未完成。

 その言葉が、なぜか気に入らなかった。

 だが続けて言われた。


「アイシードに来るか?」


 世界規模の育成機関。代表選抜へ直結する場所。

 故郷で一番でいるより、世界で一番を目指した方が面白い。

 そう思った。

 両親は驚いたが、止めなかった。


「行ってこい」


 それだけだった。

 金髪の少年は迷わなかった。

 自分は強い。どこに行っても勝てる。

 そう信じていた。

 アイシードがある中央都市ヴァルディアに来た初日。巨大な中央塔を見上げた時、胸が高鳴った。

 強いやつが集まる場所。

 だったら、俺が一番になる。

 単純な理由だった。

 そして――今日。

 初めて、自分より"上”かもと感じた相手がいた。

 深い群青の髪に淡い銀灰の瞳。白を基調としたアイシードの制服も、彼女が着るとどこか騎士服のように見える。

上着はきっちり留められ、袖も乱れていない。

姿勢は真っ直ぐで、背筋が自然と伸びている。

 飾り気はない。だが、整いすぎている。

 金髪の少年にとって、彼女は腹立たしい存在だった。

 勝っても誇らない。負けた相手を見下さない。喜びも、焦りも、ほとんど表に出さない。

 なのに強い。

 剣を持つと、その無駄のなさが際立つ。

 踏み込みは正確。剣筋はまっすぐ。魔法陣は乱れない。

 動きに迷いがない。それが一番、癪に障る。

 フリントが勢いで押し込むなら、彼女は整えて詰める。

 彼が火花なら、彼女は研がれた刃だ。

 だが、ほんの一瞬。

 彼女がフリントを見るときだけ、視線がわずかに柔らぐ。

 他の誰にも向けない目。それを本人は自覚していない。

 シエラクロス。


「(……だからなんだ)」


 天井に浮かぶ演算陣が淡く光り、床面の強化板が衝撃を吸収する。

 フリントは一人、拳を振る。

 空気を裂く音。踏み込み。跳躍。着地。

 何度も繰り返す。

 脳裏に浮かぶのは、決着の瞬間。

 足元の光。一瞬の浮遊感。胸を打ち抜かれた衝撃。


「(……そんな差だったか?)」


 悔しい。だがそれ以上に、違和感が残る。

 本当に、あれで決まる差だったのか。

 拳を振る。振る。振る。

 負けは負けだ。なら勝てばいい。

 それだけのはずだ。

 それだけで、いいはずだ。

 それでも――この敗北は、どこかおかしかった。

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