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帝都の夜、禁欲の異能中尉は、闇の花嫁に口付けを  作者: じょーもん


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外-二 日傘と海の午後

 青く煌めく波がしらを、海鳥が鳴きながらかすめて行く。


 盆を過ぎても残暑は厳しく、太陽はじりじりと浜を焼いて、陽炎が立ち上った。


 浜に腰を下ろして、繊細なレースをあしらった白い日傘の影から、千景は寄せ返す波を見ていた。


 波打ち際では、清晴がズボンのすそをまくり上げて、裸足で波と戯れている。

 彼は無表情で、波が彼の足を舐めようと舌先を伸ばせば、からかうようにひょいっとかわす。

 時々不意打ちを喰らって、逃げ遅れ捕らえられ、運が悪ければまくり上げたズボンが濡れた。


 千景はそんな彼を目で追いながら、ぼんやりと考える。


 熱海に来て早半月が過ぎた。

 清晴の父から直接渡された熱海行きの切符と旅館の案内と紹介状。


 羽を伸ばしてくるように言われたが、つい数日前までは、旅館の部屋に二人で引きこもっていた。


 あの朝焼けの広場――、再起不能の痛ましい状態で、無数の人々が転がっているという地獄絵図を、

 千景は現実味もなく――、夢の中の出来事のように感じていた。


 本当は今だって、現実の事だったとは思えない。

 あの光景を生み出したのが、自分だと、いまだに実感はわいていなかった。



 沖を行く汽船が汽笛を鳴らす。

 海軍の巡洋艦が水平線の向こうへと滑って消えていった。


 波をからかうのに飽きた清晴が、千景の方へと引き上げてくる。

 彼の靴は千景の隣に揃えられて、靴下が捩じ込まれている。


「――ずいぶん楽しそうだったけれど……面白かったの?」


 彼を仰ぎ見ながら千景がたずねると、清晴は靴を取り上げながら彼女の横へと腰を下ろす。


「ああ、意外と面白い。濡れないように、動きを予測して、ギリギリでかわすんだ。

 時々波の奴、陽動なんてしてきて――、ずぶぬれになる。」


 彼は、まくり上げた形のまま、すっかり濡れてしまったズボンのすそを伸ばしてはらう。

 それから、腰に下げていた手ぬぐいで汗を拭き、ごろんと砂浜に寝そべる。


 高い位置にある太陽がまぶしくて、彼はすぐに持っていた手ぬぐいで目元を覆った。


 千景が横目で見やると、シャツがはだけて腹がのぞいている。


 鍛え上げられたしなやかな腹筋と、形の良いへそ――。

 普段はかっちりと軍服を着こんで見ることのない彼の素肌を、千景はつい今朝がたも見たばかりだった。


 ずくりと、千景の心で何かがうごめいて、慌ててそれに蓋をする。


 ――こんな、真昼間の太陽の下で思い出すことではないわ……


 千景は日傘を握り直すと、視線を波打ち際へと戻した。


 正午を告げるサイレンが鳴り、風向きが変わる。

 浜を歩いていた人々も、昼食へ向かうため次第に引きあげてゆく。


 けれども――、二人は浜から動かなかった。



「日傘を買って、本当に良かったよ。」


 唐突に、清晴がつぶやいた。

 千景が顔を向けると、いつの間にか彼は手で影を作りながら千景を見上げていた。


「――これも、清晴さんが、自ら選んでくださったんですよね?」


「ああ――」


 清晴はむくりと起き上がると、片膝を立てて肘を置く。

 その姿がたまらなく様になっていて、千景の心臓は再び跳ねた。


「百貨店の売り子に、熱海に行くと言ったら勧められた。

 夏の強い日差しは肌を焼くから、と。」


「ええ、そうですね。それに、頭があぶられないのでとても楽です。」


 得意げにまわして見せれば、清晴も微笑んで彼女の方へと手を伸ばす。

 素早くあたりに視線を走らせると、日傘の手を握ってそっと引き寄せ、

 傘の内で頬に口付けを落した。


「こうやって、目隠しにもなる。」


 不意打ちに真っ赤になっている千景をよそに、清晴は涼しい顔をして囁いた。


「目隠しになるって――、何をしているかバレバレじゃないですか……

 破廉恥だって、叱られますよ?」


「バレやしないさ。ほら、もう浜には俺たちしかいない。

 遠くから見てるやつには何をやっているかわからんさ。」


「それでもとがめられたら――」


 言っているはじから清晴は再び唇を寄せる。

 今度は彼女の顔をそっと引き寄せて、大胆にも唇を重ねる。


「ん――」


 慌てた千景を素早く解放し、清晴は何もなかったかのような涼しい顔を作った。


「もしとがめられたなら、目に入ったゴミを取っていた――とでも言うさ。」


「……もう、清晴さん、いつからそんな不良になったんですが……

 品行方正な、禁欲中尉の名が泣きますよ?」


 千景がむくれながら身を引くと、清晴はカラカラと笑いながら彼女を開放する。


「ははは、上等だよ。旅の恥はかき捨てだし、ここには俺が将校だって知っているものは誰もいない。

 俺は、ただの青年で、新婚気分に浮かれてる愚かな男でしかない。」


 ひとしきり笑うと、清晴は視線を海の方へと移した。


「――俺の人生で……こんなに長い期間、ろくに考えず、ぼんやりしている時間は、初めてなんだ……」


 千景は、海を見つめる清晴をじっと見つめる。

 彼の横顔はかつてないほど晴れやかで、なんだか目が離せなかった。


「思えばずっと、物心ついてから追い立てられるように生きてきて、

 身体が大人になってからは、常に欲の節制に張り詰めて、仕官してからは軍務に追われて――」


 彼は伸ばしていた背中を丸めると、膝頭を抱きこむようにして続けた。


「熱海に行くって決まったとき――、気が付いたんだ。

 熱海にいる間だけは、君のことだけ考えてればいいって……」


 ちらりと向けられた清晴の視線と、千景の視線が絡み合う。

 彼は頬をかすかに染めて、嬉し気に目を細めていた。


「――だから、百貨店で、君のことだけ考えて服を選んで、

 そしたら、不埒な妄想が止まらなくなって……、

 でも、君の気持ちが整うまで待つって決めていたから――、新聞や雑誌で気を紛らわせていた。」


「そう……だったんですね……」


 今度は千景が、あたりに視線を走らせて、そっと日傘ごと、清晴へと身を寄せる。


「じゃあ――、私も浮かれた新妻にでもなりましょうか……」


 言うと、彼の頬に唇を落とす。

 清晴は一瞬、目を見開いて固まったが、次の瞬間にはしっかりと彼女を抱き寄せると日傘の影で口づけを交わした。


「――これは、煽った君が全面的に悪いんだからな……」


「はいはい、そうですねぇ。」


 動揺を隠し切れず、濡れた口元をぬぐった清晴に、千景はくすくす笑う。



 それから二人は肩を寄せ合い、いつまでも海を見つめていた。

 夏の午後は穏やかで、ゆっくりと時間は過ぎていった。



 +++++



 昼営業のラストオーダーぎりぎりの遅い昼食を、街中の食堂で済ませたあと、

 二人が旅館へ戻ると、特務局からの書簡が届いていた。


 旅館の主人によれば、届けに来たのは郵便局員ではなく、

 軍服姿の若い将校だったという。

 主人は清晴たちを呼び出そうかと申し出たが、

 将校は「用のついでだ」と軽く断って帰っていったらしい。


 封を切ると、局への出頭日時が記されており、

 さらに――今後は二人に“夫婦用の官舎”をあてがう旨が書かれていた。


「――ああ……この休暇も、とうとう終いか……」


 封筒に通達書を戻しながら清晴が言った。

 その声音には、未練とも安堵ともつかない揺らぎがあった。


「まあ、でも、まだ数日あるじゃないですか。」


 千景が明るく返すと、清晴はふっと微笑んで首を振る。


「だが、期限が有る無しでは、心持ちがまるで違う。

 ……電報は、明日だな。」


 言いながら部屋の掛け時計を見上げる。

 針の進みを気にするのは、本当に久しぶりのことだった。

 清晴は自分でも可笑しくなったのか、苦笑を漏らしたのだった。

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