第四話 目覚めの誓い
救護室に戻ると、ベッドを囲むカーテンが半ばほど開けられていた。
ベッドサイドの丸椅子には、静香が腰かけていたが、清晴の姿を入り口に見つけると、彼へと近づいてくる。
「おかえり。あの子、あなたが出て行ってから、ずっと寝ているわ。
で――、局長とは話はついたの?」
「ああ。やはり、昨日見たあの力は異能の一種だった。」
救護室の引き戸を後ろ手に閉めながら清晴は言う。
ベッドから離れた場所で会話する――。それは、千景を起こさないための配慮だった。
「でも。私も資料を見せてもらったけれど、十二歳の徴用検査の時には“無能”って判定が出ていたのでしょう?
七つまでの小さいころまでならともかく、徴用検査以降に異能が発現するなんて――聞いたことないわ。」
静香の言葉に、清晴は声をさらにひそめた。
「……まだ確定ではないが――もし彼女の異能が、火・水・風・土……いわゆる“四大属性”の外だったら、徴用検査では検出されない。その可能性を指摘された。」
「え? 四大属性以外って……光とか、闇とか?」
「……ああ。」
静香は眉をひそめ、思わず清晴へと一歩近づく。
「ちょっと待ってよ。光や闇の属性は、私たち日本人には現れないはずでしょう?
じゃあ、この子、外国人なの?」
「いや、名前も聞いた。――深山千景。生まれも育ちも東京だ。
一応これから戸籍を取り寄せるが、西欧人には見えないだろう?」
「そんなの、わからないわよ。……で、処遇はどうするの? 民間人をいつまでも省内に置いておくわけにもいかないでしょう?」
静香は眉をひそめ、腕を組んだまま清晴を見つめた。
「もし正式に異能者と認められれば、“ぜひ軍属に”との局長の意向だ。
まあ彼女の返答次第だが、軍が嫌だというのなら――俺が個人的に女中として雇おうかと。」
「……ちょっと待って、清晴。女中ってどういうこと? まさか自分の官舎に住まわせるつもり?
それ、軍紀違反だってわかってるのよね? 局長はそれでもいいって言ったの?」
「いや――……やはり、ダメだろうか……」
清晴が眉間に指を当てて考え込むと、静香はここが救護室だということも忘れ、思わず声を荒らげた。
「ダメに決まってるじゃない! 何考えてるのよ。
何も、あなたが一から十までこの子の面倒を見る義理なんてないの!」
「わかってる、だが、千景は俺の処置が必要で――」
「『だが』じゃない。だいたい、何? 『千景』って名前で呼んで――
ちょっと、清晴。あなた、この子に肩入れしすぎよ?
そりゃあ、命を助けたって自負はあるでしょうけど――
ちょっとどうしちゃったのよ……冷静になって?」
ふたりの声は、もう遠慮のないものになっていた。
その響きは、千景の眠りを妨げるには十分だった。
ベッドのほうから、衣擦れの音がして――
かすかなうめき声が上がる。
清晴は反射的にベッドへ駆け寄った。
静香はその背中を、呆れたような表情で見送る。
何か言いかけたようだったが、結局、口をつぐむと――
静かに引き戸を閉めて出ていった。
「……誰か、来ていたのですか?」
ベッドの脇の丸椅子に腰かけた清晴に、
首だけを向けて千景が声をかけた。
「ああ。今、局長のところへ行っている間、俺の――同僚に、君を見ていてもらったんだ。」
清晴は一瞬、言葉を探すように目を伏せ、それから愛想を浮かべた笑みを作った。
「――そんなことよりも……君、ここを出たら、行くあてがないと言っていたね?」
「ええ……」
目を伏せた千景に、清晴は深呼吸で気持ちを整えると、身を乗り出した。
「とりあえず数日――身体が動くようになるまでは、ここにいていいと許可を得た。
で、問題はその後だ。……君は、陸軍――異能特務局に、興味はないかな?」
「異能特務局……そこって、異能がないと入れない特殊な機関ですよね?
私も女学校へ上がる前に徴用検査を受けましたが、適性なしと判断されていますよ?」
千景がいぶかしげに問い返すと、
清晴は布団の下で脱力している彼女の手をそっと取り上げ、指先を包み込んだ。
「ああ、その件なのだが――君には少々特殊な異能が備わっている可能性が浮上している。
その可能性は限りなく確定に近く、特務局としてもぜひ君に協力してもらいたい、と。
……軍属にならなければ、詳しいことは言えないのだが。」
清晴は、ゆっくりと彼女の手の甲をなぞるようにさすりながら、ぽつりぽつりとつぶやいた。
彼の指先から伝わる温もりに合わせて、千景は体の奥にわずかな“熱”が戻ってくるのを感じた。
「おそらく――昨日投与された薬で、君の異能が活性化したのだろう。
今後の不測の事態に備えるためにも……軍に籍を置くことを、考えてもらえないだろうか?」
「私が……軍に、ですか。
まあ、行くあてはありませんので、ありがたいお話ではありますけれど……
何も専門教育を受けておりませんし、兵隊さんになるほど体力もありませんので――」
困ったように言葉を濁した千景に、
清晴は“今しかない”と覚悟を決めたように身を乗り出した。
彼は彼女の手を自らの口元へと導き、その指先にそっと口づけを落とす。
次の瞬間、これまで動かなかった千景の指が、かすかに震えて――わずかに、動いた。
「……まあ、そのあたりはどうとでもなる。
どのみち、君の異能の属性で教えられる人間は、軍にはいない。
士官学校に行っても仕方ない――というのが本音なのだがね。
局長からは、君がもし入営を承諾すれば、俺の下につけてくれると確約ももらっている。」
「……将校さんの下なら、心強いですが……本当に、私に異能が――」
千景はまだ信じきれない様子で、しばしのあいだ思案した。
――たしかに、ここを出ても行くあてはない。
もし本当に、自分に異能があるというのなら、
異能特務局に属してみるのも、悪くないかもしれない。
ええ、きっと――花街で春をひさぐよりも、
ずっと、面白いに違いないわ。
そう決め込むと、なぜだか急に力が湧いてきて、
今度は手のひらをさすっていた清晴の手を、自分の力で握り返した。
「私でよければ、ぜひ協力させてください。」
千景が微笑むと、清晴は一瞬、虚を突かれたように表情を失った。
だがすぐに、その言葉の意味を呑み込み、うれしげに口元をほころばせる。
「本当か? なら、手続きに入るが――本当にいいんだな?」
「ええ。……いろいろ教えてくださるんですよね? 将校さん?」
「清晴――清晴と名前で呼んでくれ。
ここには斎部が何人かいるから、名前で呼んでもらったほうがいい。」
清晴は、妙に熱のこもった調子で、彼女の手を握り返した。
「わかりました。では――清晴中尉、よろしくお願いいたします。」
千景も微笑み、彼の名をかみしめるように口にする。
そして、自分の中の何かが、静かに動き出したのを感じていた。




