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帝都の夜、禁欲の異能中尉は、闇の花嫁に口付けを  作者: じょーもん


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第丗八話 空の色を宿した人

 初めて一線を越えた午後の、その夜も、二人は抱き合い、

 肌を重ねたまま静かに眠りへと落ちていった。


 思い返せば清晴は、熱海に着いてから早数日、

 好いた女と同じ部屋で寝起きしながら、

 千景の心がほどけるその時まで、ただひたすら禁欲を守り通した。


 けれど――ひとたびその禁を解いてしまえば、もう我慢を選ぶ理由などどこにもなく、

 心の赴くままに、言葉で、行為で、

 彼女への恋情と愛情を惜しみなく注いだのだった。


 そして、そんな深い眠りの底で――

 彼は再び、あの神と邂逅した。



『おめでとう、禁欲くん――いや、もう、そうは呼べない……かな?』


 寝乱れた浴衣のままの清晴の前に、

 あの日の夫神――戸神名神が、まるで当然のように立っていた。


 からかい交じりの声音とは裏腹に、

 その表情はどこまでも優しく、静かに凪いでいる。


 清晴は咄嗟に、はだけた浴衣の合わせをいそいそと整え、

 背筋をぴんと伸ばした。


『ははは。昼に夜に、お盛んなことだねぇ。

 “堰を切ったように”とは、まさに今の君のことだ。』


 からかいをやめる気配のない神に、

 言われている内容が事実であるだけに、清晴は反論のしようもない。


 結局、憮然と口をつぐむほかなく――

 その仕草がますます神の笑みを深くするのだった。


『それで――最終確認なんだけど。君の心は、もう決まったんだよね?

 あの娘を“一生の伴侶”にするって。』


「もちろんだ。

 千景以外、ありえない。」


 清晴が迷いなく即答すると、

 夫神はふっと笑みを引っこめ、

 次の瞬間には厳粛な光をその双眸に宿していた。


『あの娘は、もう異能はまともに使えない。

 神威も――かつてのように自在には操れないだろう。

 それでも、陰陽の気を整えるためには、君たちは常に寄り添っていなければならない。

 戦場では、彼女が足枷にすらなるかもしれない――それでも、彼女がいいんだね?』


「くどいぞ。そんなこと、些末なことだ。

 ――それとも、何だ?

 まさか“陰の気”にも制限がかかるというのか。


 俺と交わることで、千景の身の安全に関わるというなら――」


 清晴がわずかに語気を荒らげると、

 夫神は慌てて両手をひらひらと振った。


『いやいや、それはない。

 彼女の“陰の気”の質は折り紙付きだし、君の身体との相性も、実に申し分ない。

 そこは――安心したまえ。』


 その言葉を聞いた清晴は、

 ようやく肩の力をふっと抜いた。


『ただね――僕としても、ひとつ誤算だったんだよ。


 まさか、あの子の異能が“薬物”によって底上げされていたなんて。

 あんな薬が、この世に存在するとは思いもよらなかった。


 ……でも、安心したよ。


 もし君が、異能を失った彼女を捨てるような男だったら――

 その時は、僕にも“考え”があったからね。』


 神の声音は、あくまでも柔らかかった。

 だが語られた内容の重さに、

 千景を心に決めた清晴といえど、背筋をひやりと冷たいものが走る。


 その怯みを知ってか知らずか、

 神は再びふっと笑みを浮かべ、一歩、静かに清晴へと歩み寄った。


『たとえ彼女に力がなくなっても――彼女を選ぶ。

 それでこそ、僕の“依り代”たる男だよ。


 そして……君のような依り代が、

 僕をまた一歩、あの楽園――

 トカプノヌプクシルへと近づけてくれる……』


 囁くような声音のまま、神はさらに一歩踏み込み、

 清晴の両の瞼を、そっと掌で覆った。


 にわかに視界をふさがれた瞬間、

 清晴の脳裏には、まるで幕が引かれるように鮮明な風景が立ち上がった。


 どこまでも続く青い空。

 その下に広がる、色とりどりの花が咲き乱れる果てしない平原。

 そして、その中心に――ひとり、女の影が立っていた。


 紫の髪を風になびかせるその姿は、

 清晴の胸に深く刻まれた、まさしくあの人。


「……千景」


 名を呼んだのは、ほとんど無意識だった。


 その瞬間、神は清晴のまぶたからそっと手を離し、

 幻の風景は、波紋のようにふっと掻き消えた。


 そして、彼がゆっくりと眼を開いた時――

 その瞳は、目の前の神と同じ、

 深く深く澄んだ“空の色”へと変わっていた。


『――僕は君を祝福する。純然たる愛を貫く君を祝福する。


 やがて祝言を挙げ、神威を完全に引き継いだ暁には、

 君は僕の力を十二分に行使できるようになるだろう。


 それで――君の妻を守ればいい。』


 そう告げたあと、

 神はふいに泣き出しそうな顔をして、

 清晴の頬にそっと指先を触れさせた。


『そして……僕は、君に感謝する。

 君が、僕を“ひとつ上の段階”へと引き上げてくれた。


 これからは――僕はきっと、いつでも、

 妻に……会いに行ける。』


 清晴は、呆然と神を見返した。

 神の言っていることは、半分も理解できなかった。

 けれど――

 そこに確かな“悲しみ”と“渇望”が宿っていることだけは、胸の奥に深く刻まれた。


『斎部清晴。あきらめないことだ。


 諦めずに励み続ければ……

 君の妻も、いつか異能を取り戻す“やもしれん”。』


 そう告げると、

 神は清晴の左右の手をそっと包み込み、静かに微笑んだ。


「そんな無責任な……――」


 恨みごとがこぼれた、その刹那。

 清晴の足元から、世界は音もなく暗転していった。




 そして――、

 清晴は、ぱちりと目を開いた。


 あたりはまだ深い暗闇に包まれ、

 窓の外から絶え間なく寄せては返す波の音だけが、静かに耳に届く。

 夏とはいえ夜は肌寒く、汗ばんだ身体に隙間風が触れて、思わず身震いした。


 そっと横を見ると、

 寝返りを打った千景が、しっかりと布団を抱きこんで独り占めしている。


 ――同じ布団で寝るのは、今日が初めてだからな……


 清晴は苦笑して、そっと布団を取り返すと、

 千景を腕の中へ引き寄せ、ふたたび眠りの体勢に身を沈めた。


 抱きしめた千景の身体は温かく、

 幸せそうに何やら寝言をつぶやきながら、清晴の胸へと頬ずりしてくる。


 清晴は、彼女の髪にそっと口づけを落とし、

 その香りを胸いっぱいに吸い込むと、

 大きく一度、息を整えて――

 ふたたび、静かな眠りの中へと落ちていった。



 +++++



「……」


 眩しさに、千景の意識がゆっくりと浮上した。


 薄目を開けると、

 あたりはもうすっかり昼の光に満ちている。


「おはよう。よく寝ていたな……」


 眩しさでくらんだ視界を凝らすと、

 目の前には清晴が肘枕をしたまま寝そべり、

 どこか照れ隠しのように苦笑していた。


 はだけた浴衣の襟からは、

 鎖骨からへそにかけての素肌が白くのぞいていて――

 千景は反射的に息をのむと、顔を赤らめて目をそらした。


 普段は軍服。

 熱海に来ても、着崩れた姿など一度として見せたことのなかった男の素肌。

 それは千景にとって、まだ“見慣れない”姿だった。


「……やだ、私ったら寝過ごして……。もう何時ですか?」


「昨日の今日だし、気にするな。

 昨夜は無理をさせたし――今日は、このまま部屋でゆっくりしよう。」


 彼の柔らかい声音に、

 千景の胸の奥へ、昨日の出来事が一気によみがえった。


 夜半過ぎまで互いを求め合い、

 最後は気を失うように眠りへ沈んだこと。


 思い返せば、身体のあちこちが

 かすかに痛みを訴えている――それすら、どこか甘く……。


 ふと、千景は胸の奥にかすかな違和感を覚えた。

 ハッとして顔を上げ、清晴の顔をまじまじと見つめる。


「……どうした?」


 糸のように笑みに細められていた清晴の瞳が、

 ゆっくりと――彼女の問いに応じるように開かれていく。


「清晴さん……瞳の色が――」


 千景は身を起こして、彼の頬に手を這わせる。


 昨夜まで、確かに黒みのある茶色だったはずの瞳が、

 今朝はもう、どこまでも深い“青”へと変わっていた。


 その色を、千景は知っていた。


 それは、斎部清至――

 当代の戸神名神の依り代である、彼の父の瞳と同じ色だった。


「……昨夜、夫神に夢の中で会ったんだ。

 君を一生の伴侶にすると、誓った。」


 清晴も身を起こし、千景の手をそっと掴むと、

 その指先に静かに口づけた。


「神は、祝福してくれた。

 俺は――正式に、後継者となった。」


「まぁ……! それで目の色が?」


 千景は思わず顔を近づけ、

 もっとよく確かめようとする。


 清晴は苦笑し、

 それから少しだけ困ったように視線をそらした。


「そんなに熱心に見つめられると……妙な気分になってしまう。

 それに――浴衣がはだけていて……

 君に“誘われている”と誤解してしまいそうだ。」


「えっ……や、やだっ!」


 千景は慌てて身を引き、襟をきゅっと閉める。

 その可愛らしい反応に、清晴は小さく笑うと、腕を伸ばしてそっと抱き寄せた。


「昨夜――あれほど可愛い声を聞かせてくれたくせに。

 今さら恥ずかしがるのか?」


 意地悪な声音に、昨夜のあれやこれが生々しくよみがえり、

 千景は耳まで真っ赤になる。


「?!! ちょっ……もうっ!」


 清晴は楽しそうに目を細め、

 けれど次の瞬間、ふっと真面目な声音で囁いた。


「――大丈夫だよ。襲い掛かったりはしない。

 君の“同意”なしにはね。」


 悪戯っぽくも優しいその言葉に、

 千景はますます顔を赤くしながら、


 ――この人、こんな冗談を言う人だったかしら……


 と、胸の奥でそっと思った。



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