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帝都の夜、禁欲の異能中尉は、闇の花嫁に口付けを  作者: じょーもん


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第丗四話 黒翼の抱擁

 その瞬間――誰ひとり、何が起こったのかを正確に捉えられなかった。

 コウが放った凶弾は、確かに清晴の左胸をまっすぐ貫くはずだった。

 軌道も、距離も、致命の角度も――すべてが揃っていた。


 だが。


 清晴の姿は、次の刹那にはもう、漆黒の大きな羽に覆われていた。

 まるで――闇そのものが形を孕み、彼を抱き取るように広がったかのように。


 その羽の持ち主は、千景だった。


 つい先ほどまで白布を被り、舞台の上で座り込んでいたはずの千景が、清晴の背後に立っていた。


 その背には、闇の異能で編まれた大きく、美しい漆黒の翼。

 親鳥がひなを庇うように、その翼は清晴を包み込み、抱き守っていた。


 凶弾が、ぽとり、と鈍い音を立てて地面へ転がった。


 祝詞を唱えていた黒曜会の会員ですら、声を喪ったようにその光景を見つめている。


 バサリ、と羽音を立てて、黒い翼が開かれた。

 無傷の清晴は、呆然としながら背後を振り返り、千景を見上げた。


 千景は――

 薄紫の神威と紫電を全身にまとい、その瞳までもが人のものではなく、

 黒目勝ちの紫光に妖しく輝いていた。


「――美都香比売だ!

 黒夜女(くろやめの)美都香比売命(みとのかびめのみこと)が、顕現なされたぁっ!」


 黒曜会の幹部の一人――消息を絶っていた帝大の民族学教授が、わななく声で叫んだ。


「天使だ……。

 亜細亜(あじあ)の黒き、天の御使いだ――!」


 史郎は、傷の痛みも忘れてその姿に見入った。

 恍惚とした笑みが、頬へゆっくりと浮かび上がっていく。


 一方コウは、その一瞬、完全に我を失っていた。

 拳銃を構えたまま呆然と千景の姿を見つめていたが――

 ハッと我に返るなり、ふたたび銃口を清晴の胸へ向け、迷いなく引き金を引いた。


 発射音は、確かに響いた。


 だが、弾丸は再び、ぽとりと鈍い音を立てて地面へ転がった。


 千景の視線が、ゆっくりとコウへ向けられる。


「……くっ」


 その表情を見て、コウは初めて焦りを滲ませた。

 次々と拳銃の引き金を引く。

 だが今度は、黒い翼に庇われていなくとも、弾丸は何かに阻まれたように失速し、

 清晴の足元へと落ちていった。


「クソっ、ばけものがっ!」


 拳銃はとうとう弾切れを起こし、カチャ、カチャ、と空しく音を立てる。

 コウは装填しようと懐へ手を突っ込んだ。


 その間にも、千景を包む紫の光はいや増し、膨張するように輝きを強めていく。


 千景は――音もなく右手を横薙ぎに払った。


 同時に、黒い翼が大きく動き、衝撃波を生み出す。

 凄まじい風圧が押し寄せ、コウの身体は宙へと吹き飛ばされた。


『――我が愛しき夫を害するものは……なにものぞ?』


 千景が――いや、女神が口を開いた。

 放たれた声は、幾百、幾千もの女の声が層を成し、

 高音から低音まで、あらゆる周波が重なり合って――

 場の空気そのものをビリビリと震わせた。


『――我が愛しき夫を……奪わんとするは、なにものぞ』


 女神は左腕をゆるやかに薙ぎ払った。

 瞬間、紫電を孕んだ衝撃波が舞台の平場を駆け抜ける。


 閃光が触れた黒曜会の会員たちは、

 悲鳴を上げる暇もなく、次々とその場へ倒れ伏した。


『許さぬ――。

 (わらわ)から愛しき夫を引き離さんと欲するもの、

 愛しき夫の依り代を(しい)さんと欲するもの――

 妾は……決して許さぬ』


 女神が両手を天へ掲げると、黒い翼が大きくはためいた。

 夜明け前の群青の空へ、紫の光を淡く帯びた漆黒の羽が、無数に舞い上がる。


 地に臥した者たちは、その神秘的な光景に、口々にどよめきを上げた。


 やがて、羽はふわり、ふわりと、人々の上へ降り始める。


 その瞬間――

 女神は清晴をそっと胸に抱き寄せて、そして。


『――――――――――――――――――――――――――』


 女神が大きく口を開け、喉の奥から力いっぱい“叫び”を絞り出した。


 幾百、幾千もの女の甲高い叫び声。

 それは、もはや声ではない。

 音の暴力――音波の兵器だった。


 同時に、宙を舞っていた羽がさく裂し、

 鋭い閃光が、あたり一面を白く焼くように照らし出した。


 清晴以外――その場にいた者すべてが、その光を見て、その声を聴いた。


「うわぁぁぁぁっ、目がっ……!」


「耳が――耳が聞こえない――!」


「痛い、痛い、痛い……ッ!」


 視界を貫かれた者たちは、目から血の涙を流し、

 耳という耳から鮮血を滴らせて地面をのたうち回った。


 さらに、皮膚には唐草のような無数の文様が浮かび上がり、

 それは燃えるような激痛とともに人々を苛んだ。


 あたり一面、地獄絵図――。


 やがて、人々の口からぽろぽろと歯が零れ落ち、

 言葉をまともに発する者はもう誰ひとり残らなかった。


 やがて、女神は抱きしめていた腕をほどき、

 そっと清晴を見つめた。


 黒く染まりきったその瞳は、もはや人間のものとは呼べなかった。

 それでも――そこには確かに、清晴を慈しむ光が宿っていた。


 清晴はゆっくりと立ち上がり、あたりを見回す。


 百名あまりの男女が、うめき声を上げながら地面をのたうち回っていた。

 もう誰ひとり、正気を保っている者はいない。


 史郎は目を押さえ、転げ回りながら悲鳴を漏らしている。

 コウは全身を掻きむしり、声にならない叫びを喉の奥から絞り出していた。


 帝大の教授も、財界の名士も、華族でさえも――


 皆、無惨に地を這っていた。


 その地獄の光景を一巡して見回した後、

 清晴はゆっくりと女神へ向き直った。


 その刹那――ほんの一瞬だけ、

 清晴の胸を“恐怖”が支配した。


 そのかすかな表情の揺らぎを、

 女神は見逃さなかった。


 女神は、傷ついたように眉根を寄せ、

 そっと半歩……後ずさった。


 清晴は、自分の過ちにすぐに気づいた。

 胸の奥がひどく冷え、いても立ってもいられなくなって、

 彼女へ歩み寄ると、その華奢な身体をそっと抱きしめた。


「――違う、怖かったんじゃない。ただ……驚いてしまって……」


 言い訳を口にしながら抱き寄せると、

 腕の中で、彼女の肩がかすかに震えているのが分かった。


「……大丈夫だ。俺は、君を嫌ったりしない。

 でも――そろそろ戻ってきてくれ……千景」


 そっと顔を覗き込むと、

 女神はまっすぐ清晴を見つめ返していた。

 その瞳の奥には、千景の色と、女神の深い闇が入り混じっている。


『……あなたは、この娘が大切?』


「ああ……」


『あなたは、この娘が……必要?』


「ああ。」


『あなたは、この娘を……欲している?』


「もちろんだ。」


 清晴が一つひとつ迷いなく答えるたびに、

 女神の黒い瞳から、緊張の色がゆっくりとほどけていく。


 やがて女神は、ふっと安堵の息を吐き、

 目をそっと閉じた。


『私はこの娘。この娘は私……

 千景も、私――

 だから……あなたに返してあげるわ』


 顔がわずかに上向き、

 誘うように、彼女の唇がそっと緩められる。


 清晴はその意図を正確に汲み取り、

 ためらいなく、しかし静かに――

 その唇へ口づけを落とした。


 その刹那、千景の背に広がっていた翼は、

 淡い光の粒となって弾けるように散り、

 暁の薄明へと静かに溶けていく。


 やがて、彼女を包んでいた神威の光が

 ゆっくりと消え失せると同時に、千景の身体からふっと力が抜けた。


 崩れ落ちるその華奢な身体を、

 清晴は慌てることなく――


 胸の中へそっと抱きとめた。

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