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帝都の夜、禁欲の異能中尉は、闇の花嫁に口付けを  作者: じょーもん


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第丗二話 白布の下で息づく誓い

「――若様……若様、目を覚ましてください。」


 耳慣れない男の声に揺り起こされ、清晴はゆっくりと瞼を上げた。

 視界はまだぐらぐらと揺れ、なかなか焦点が合わない。それでも、気を失う直前のあの酩酊じみた混濁は幾分か薄れている。


「……ここは……おまえは……」


 頭を動かした途端、鋭い疼痛がこめかみを突き、清晴は思わず額を押さえた。


「私は――徳井幸助。若様が東京で会われました、慎太郎の父にございます。

 誠に勝手ながら、鎮静剤を打たせていただきました。これよりしばらくは、正気を保てましょう。」


 幸助は、上体を起こした清晴の姿を目にした途端、胸をなでおろした。

 そして、部屋に控えていた数名の男女とともに、清晴の前へと進み出ると――畳に手をつき、深々と土下座した。


「清晴さま……。

 此度の件、徳井の一分家の身とはいえ、まこと平に――平にお詫び申し上げまする。

 元より徳井家は、代々、斎部宗家の“薬事”を預かる家筋。

 それでありながら史郎の口車に乗り、その立場、その知識を悪用し、若様並びにご婚約者様を傷つけ、あまつさえ国家転覆の企てに与したこと――。

 到底、許されることではございませぬ。」


 清晴は深々と下げられたその頭をしばし見詰めてため息をついた。


「……斎部宗家への忠誠を捨てなかったこと、感謝する。が、今は悠長に頭を下げている場合ではない……。

 この手枷は外せるか? 史郎は――、この屋敷の状況は、今どうなっている。」


「は、はいっ、手枷の鍵の写しは、私どもも持っておりますので、すぐにでも外せます。

 わが一族は若様とご婚約者様の契りを見届け、事が成したらお二人を裏山の中腹にある祭壇までお連れする手はずとなっております。」


 幸助はそう答えつつ、背後に控えていた家人の一人へと目配せし、清晴の首輪と手枷を外すよう命じた。


「そうか……。千景は?

 彼女にも鎮静剤を投与できるか」


 清晴は外されたばかりの皮膚を無意識にさすりながら、そばで意識を失っている千景へ視線を落とした。


「はい。ただ……すでに“三度”アストラルを投与されておりますゆえ、効き目はほとんど期待できませぬ。

 それでも――お打ちいたしますか?」


「ああ。頼む。

 それから、彼女の枷も外してやれ。

 …………さて。これからどう動くか……。

 どう落とし前をつけてやろうか……」


 無意識に指先を噛みしめた清晴の顔つきを見て、幸助は途端に血の気を失い、慌てふためいた。


「若様……まさか、戦われるおつもりですか!?

 無茶でございます! どうかお逃げを――先ほどだって、多勢に無勢で――!」


「ふん。逃げて何になる。

 廃人同然にされた千景を抱えて、どこへ逃げ切れるというんだ……」


 清晴は、女たちの手で鎮静剤を打たれ、乱れた着衣を整えられている千景を横目に、低く吐き捨てた。


「ならば――この手で、己の命に代えても、あいつに引導を渡してやる。

 先ほどは、千景を庇って狭い室内で遅れをとっただけだ。

 ……今度は、そうはいくまい。」


 それから清晴は、幸助たちと儀式の段取り、そして史郎から下された指示の内容を一つひとつ照合し、

 今の自分に取りうる手立てを、綿密に詰めていった。


「――慎太郎から頼まれているし、今宵の働き次第では、幸助の一族の助命嘆願に助力する。」


 清晴はそう口約束を交わすと、幸助らを下がらせ、千景と二人きりの時間を設けた。


 鎮静剤を打たれた千景は、話し合いの最中にうっすらと目を覚ましていた。

 だが、敷かれた布団の上に、ただちょこんと正座したまま――

 異様なほど無表情に、正面だけを静かに見つめ続けている。


 その瞳には、光が……戻っていなかった。


「おそらく、自我が焼き切れてしまったか……あるいは、自らを守るために、深く眠りについているのでしょう。

 後者なら、まだ望みはあります。ですが――前者であれば……」


 幸助は、痛ましげに首を振っていた。


「千景……」


 清晴は、彼女の丸い肩にそっと手を置き、静かに呼び掛けた。

 しかし千景は何ひとつ反応を示さず、ただ虚空を見つめ続けている。


 その様子に、清晴は今日になって初めて――泣き出しそうな顔をした。

 彼女の背へ腕を回し、ひしと抱きしめる。


「……千景。神が、な……俺に“選ばせた”んだ……」


 彼女をかき抱く腕に力をこめながら、清晴は耳元で続けた。


「君を諦めるか、取り戻すか――。もちろん、即答した。だが同時に、思い知らされた……。

 俺はもう、君なしでは生きていけない。

 たとえ……君と同じ役割を担える女が現れたとしても、俺には……君じゃなきゃダメだ。

 君が、いい……」


 その頬を、一筋の熱い涙が伝った。


 清晴は、抱擁をゆっくりと解くと瞳を閉じ、そっと彼女へ口づけた。

 己の中の陽の気を千景へ流し込み、代わりに彼女の陰の気を吸い上げる。


 彼女は無反応のまま――のはずだった。

 それなのに、清晴はその陰の気の奥に、ごくごく微かな“揺らぎ”を感じた。


 息を呑み、そっと口づけを解き、彼女を見つめる。


 千景は相変わらず無表情だった。

 けれど――その目尻からも、一筋の涙が静かにこぼれていた。


「俺は、最善を尽くす。

 君と生還して……君を元に戻す方法を、必ず探す。

 軍だって、やめたってかまわない。――でも」


 清晴はもう一度、千景を抱きしめた。

 胸に押し寄せる焦燥を押し殺すように、彼女の耳元へ唇を寄せる。


「もし、本当に……本当にダメな時は――

 君が、他の男の手に堕ちることなど、俺には到底、許せない。


 その時は……千景。

 俺と、一緒に……死んでくれ。」




 それからしばらくして、幸助たちが戻り、支度がすべて整えられた。

 一同は静かに部屋を後にした。


 史郎の指示で、清晴と千景は――まるで貴人の埴輪を思わせる、貫頭衣風の古代衣装を身にまとい、

 その上から白布をすっぽりと被せられていた。


 先頭には、うやうやしく“血の付いた白布”を掲げる幸助が立つ。

 契りが成ったことを示す証としての白布――もちろん偽装である。


「屋敷の者は皆、すでに儀式の舞台へ移っております。

 我らが最後です……が、どうか慎重に参りましょう」


 幸助の静かな進言とともに、部屋を出た瞬間、空気にぴんと緊張が張りつめた。


 一行はしずしずと山を登り、やがて山腹の開けた広場へとたどり着いた。


 広場には――百名は優に超えるであろうか。

 斎部の縁者、そして東京の反乱に加担しなかった黒曜会の有力者たちが、ずらりと顔をそろえていた。

 財界の名士、大学の知識人、政治家、華族の姿まであり、

 その中には清晴も知る顔がちらほらと混じっている。


 篝火が焚かれ、揺れる炎の間を進んだ先には、真新しい白木の舞台が据えられていた。

 その上には――豪奢な螺鈿の椅子が二脚。

 さらに卓上には古式の祭具が整然と置かれ、そこには清晴たちと同じ古代風装束を身に纏った史郎、コウ、そして黒曜会幹部たちが待ち受けていた。


「おお、幸助。――契りは、無事成ったか。」


 史郎は、幸助が掲げ持つ畳まれた白布の“血痕”を目にした途端、あからさまな喜色を浮かべた。

 祭壇の舞台から自ら降りて来ると、白布をしげしげと眺め、抑えきれない笑みを歪める。


 そして、白布を被せられたままの二人に視線を向けた。


「ふはは……。いくら豪語してみせても、清晴くんも所詮は“ただの男”。

 己の欲望には勝てなかったようだな。

 よし――これでようやく儀式が始められる。

 さあ、この夫婦をあの椅子へ」


 史郎の指示で、清晴と千景は螺鈿の椅子へと座らされた。

 血の付いた白布は、祭壇へと恭しく捧げられる。


 やがて、巫女の舞が納められ、祭壇には生贄の供物が捧げられた。

 神官の声に合わせて、黒曜会の信者たちが祝詞を唱える。そのざわめきの中、杯になみなみと酒が注がれる。


 それは――祝言の儀であった。


 ――社会的和合の儀式。

 その、盃を交わす最中に新郎が清晴から史郎に入れ替わり、神の目をくらませて神威を乗っ取る。

 それが史郎の計画だと、清晴は幸助から聞かされていた。


 一献目が差し出され、白布の下で清晴が盃に三度口を付ける。


 杯は千景へと手渡され、何かの暗示が効いているのか、彼女も白布の下で静かに口を付ける。

 そして盃は再び、清晴のもとへ戻ってきた。


 二献目――今度は千景が先に手を伸ばす。

 彼女が口を付け、盃が清晴へ渡り、そして再び千景へ戻った、その刹那。


 史郎とコウが動いた。


「斎部。君の役目は終わりだよ。――ご退場いただこう」


 コウが腰の直刀を抜き放ち、清晴へと振りかぶる。

 白布を被った史郎は、その下で「良い生贄ができた」と歪んだ笑みを浮かべ、ただその瞬間を待っていた。


 巫女が淡々と酒を盃に注ぐ中、清晴に凶刃がせまるその刹那――


 清晴の神威が爆発した。


 白布が風圧で吹き飛び、怒りと誇りをみなぎらせた清晴の顔が露わになる。

 青白い神威で編まれた鎖は、コウの身体や刃をがんじがらめにしてその場に縫い留めていた。


「クソッ、はめやがったなっ! なんで正気なんだっ!」


 コウは悔しげに悪態をつく。

 眼下の信者たちがどよめき、祝詞が途切れた。


「祝詞を絶やすな! お前たちの祝詞も、我が力となる!

 ――遷座は失敗させぬっ!」


 史郎は怒鳴ると、慌てて白布を脱ぎ捨て、祭壇へ駆け戻り、何かを掴み取ろうと手を伸ばした。


「――させるかっ!」


 史郎の指先が祭具に触れた、その瞬間。


 清晴の右の人差し指が、クイ、と軽く曲げられた。


 ――次の瞬間……


 ドンッ。


 鈍い爆裂音。

 たたまれていた白布が爆ぜ、衝撃波が祭壇を薙ぎ払う。

 史郎の身体は宙へ跳ね上がり、壇下へと転げ落ちた。


「チッ……仕留め損ねたか」


 清晴が舌打ちする。


 ――白布の中には、あの“清晴が腹に巻きつけていた爆弾”が仕込まれていたのだった。


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