第廿五話 神威の光、闇路の先へ
「消え……た?」
突入部隊の一人のつぶやきが、静まり返った室内に妙に響く。
室内で拘束された史郎の手勢は全部で五名――だが、その中に史郎自身の姿も、コウとして名乗り上げた徳井の姿もなかった。
「清晴っ! どうしたっ!」
入り口付近から、室井が倒れている清晴に駆け寄る。
「――っ」
清晴は返事もできず、ただ脇腹を押さえて丸まり込んでいた。
強く押さえた指の隙間から、血がじわりと滲む。
「クソっ、撃たれたか! おい、桃蘇姉妹を呼べっ!」
室井は指示を飛ばすと、自ら膝をつき、清晴の様子をうかがった。
「そのまま患部をしっかり押さえとけ。……大丈夫だ、気をしっかり持て!」
「――局長……千景は……」
清晴は、食いしばった歯の隙間から、吐き出すようにたずねた。
「わからん。だが、この邸の中に一個小隊三十名、外に二個小隊六十名を配備している。
簡単には逃げられんさ」
「……チクショウ」
やがて、外を警戒していた隊の中から、女性軍人二人組が駆け込んでくる。
「局長っ! 桃蘇紅葉、参りました!」
「桃蘇青葉、参りました!」
敬礼もそこそこに、駆けつけた“まるで瓜二つ”の二人は、清晴の周りに同時に膝をついた。
「斎部清晴特務中尉が撃たれた。得物は――小口径だ。貫通はしていない。意識はある」
室井の言葉を聞きながら、二人は同時に左右から両手を差し出し、清晴の上にかざした。
「斎部の若君ではありませんか。……これはちょっと厄介ですね」
「でも局長、わかっていて私たちを配備したのでしょう?」
「「私たちの神威なら、太古の神とは相性がいい」」
まったく同じ顔が、まったく同じ声で同じ言葉を発し、同じタイミングで室井に微笑みかけた。
「――まいったね……バレたか。
まあ、おまえらなら、絶対に特務局を裏切らないしな」
室井は苦笑しながら髪をかき上げ、わずかに身を引いた。
室井が十分に距離をとると、二人は息を合わせるように全身へ神威をみなぎらせる。
「清らけき癒しの御神・ミタギリの大神よ。
遠つ御祖の御魂を負ひし依り代を、
御手のまにまに、和らぎ癒したまへ」
小さな青い耳飾りを付けた方――青葉が唱える。
「無垢なる鎮めの御神・ホムラメの大神よ。
遠つ御祖の御魂を負ひし依り代を、
御手のまにまに、静まり鎮めたまへ」
同じく赤い耳飾りを付けた方――紅葉も、まったく同じ調子で唱えた。
すると二人の背後に、ぼんやりと光を纏った女神の影がそれぞれ立ち上がり、
その場で清晴へ向かって膝まづき、深く平伏した。
『おお……おお……。
我が、いにしえよりの主――戸神名神の依り代よ。
痛ましや、痛ましや……』
二柱の女神は声をそろえ、その光の輪郭をかすかに震わせる。
「ヒュゥ……まさか、大当たりだったとはな。
斎部の“神の縁者”とは……」
室井は手に汗を握りながら成り行きを見守り、思わず嘆息を漏らした。
二神は、音もなく清晴へとにじり寄り、その身体へそっと手を伸ばす。
『……痛ましや、痛ましや……』
呟きながら、清晴の身体を指先で“探るように”撫でまわし、
やがて銃創のあたりでぴたりと手を止めた。
『まこと、いたはしき御傷なり』
『いたましき御身に、かかる痛手を負はす者、
まこと、赦しがたきものなり』
二神はゆるやかに、しかし完全に同じ間合いでうなづき合い、
やがて神威を静かに、清晴へと流し始める。
『いま、御身を癒し奉らむ』
再び二つの声がぴたりと重なると、
その光はいっそう強まり、もはや目も開けていられぬほどとなった。
やがて光が収束し、室井が目を開けたときには、
二神の姿はすでになく、清晴がゆっくりと瞼を上げるところだった。
「局長。こちらが、斎部中尉殿の腹に入っていた弾です。
六・三五ミリ弾――小口径で正解ですね」
青葉が手のひらに弾を載せ、恭しく差し出す。
「傷はすっかり癒えましたが……安静は必要、です。
――と言っても、中尉殿は聞き入れませんよね?」
紅葉が苦笑まじりに肩をすくめた。
二人の視線の先で、清晴はむくりと身を起こし、
ゆっくりと脇腹を押さえていた手を外した。
その手には、べっとりと血が付いている。
軍服の腹には、焼け焦げた小さな穴と血痕が残っていたが――
その奥にのぞく皮膚は、傷ひとつなかった。
清晴が呆然とその光景を見つめていると、
部屋に、まだ民間人に扮したままの兵士が駆け込んできた。
「局長! 邸周辺を哨戒中の第六小隊より伝令!
九時の方向に、正体不明の飛行物を確認!
気球と推定されます。現在、十二名で追跡中です!」
「よし、そのまま追跡を続けたまえ!
――どうする、清晴。追うか?」
伝令を見送った室井が清晴に向き直ると、
彼の両脇に膝をついていた桃蘇姉妹が同時に立ち上がり、左右から首を振った。
「局長。美都香比売の依り代をお探しでしたら、
空にはいないと――“ミタギリ”が申しております」
「局長。美都香比売の依り代を害する者、
まこと、ゆるしがたしと――“ホムラメ”が申しております」
「「我ら二人を、斎部中尉殿にお付けください。
夫神の御許へ、妻神を取り戻す。
――我が神は、それを望んでおられます」」
二人で声を合わせて言い終えると、
紅葉の方が、迷いのない足取りで部屋の奥へ歩み出た。
やがて暖炉の前に立つと、
壁や装飾をためらいなく撫でまわし、指先で仕掛けを探り当てる。
「妻神の依り代は――この先に行きました」
紅葉が暖炉の紋章をカチリと押すと、
ズズッ、と重い音を立てて暖炉脇の壁が動き始めた。
そこには、ぽっかりと人ひとり通れる暗い通道が、
奥へ奥へと続いていた。
「……君たちは、一体何なんだ……」
清晴が呆然と問いかけると、
彼のそばに立っていた青葉が、にこりと微笑んで答えた。
「私の“ミタギリ”、紅葉の“ホムラメ”は、
桃蘇の木花咲耶比売の面を頂いておりますけれど、
時と場合によりまして、その面をいったん外し、
直にその力を行使することがございます」
「斎部殿、さあ早く。
私の“ホムラメ”と青葉の“ミタギリ”は――元は、斎部の夫婦神に仕える神でした。
我らがあなたに従属することはありませんが、
我らの神は、あなた方を助けよと望んでおります」
暖炉の脇にいた紅葉も、声を張った。
「よし、清晴。その奥へ行こうじゃないか。
武井大佐、君に本作戦の指揮権を預ける。
捕縛者の連行と、屋敷内の取り調べを引き続き行ってくれ。
第七小隊――松田、井出、有沢の三名は、俺についてこい」
室井は清晴に手を貸し、ゆっくりと引き上げて立たせながら命じた。
指名された武井大佐は、即座に敬礼すると部屋を後にして捜索へ向かい、
呼ばれた三名も、迷いなく室井の下へと駆け寄ってきた。
真っ暗な通道を前に、
清晴と紅葉が先頭に立ち、いくつかの火球を浮かべて足元を照らした。
捜索隊のうち、火の異能を持つ者は、この二人だけだった。
「……では、行きましょう」
――どんな危険が待っているかわからない。
……慎重に行かねば……
清晴は、はやる気持ちを必死に押さえつけながら、
暗闇の先へと足を踏み入れた。
通道はしばらく、壁裏の狭い空間をゆるやかに下りながら続き、
やがて、そのまま地下のトンネルへと潜り込んでいった。
最初は、屋敷の熱気がこもって息苦しいほどだった空気が、
進むうちに、ひんやりとした乾いたものへと変わっていく。
コンクリートで固められていた壁面も、いつの間にか姿を変え、
礫まじりの岩肌がむき出しになっていた。
指先で触れれば、ごつごつと不規則な石の感触が返ってくる。
「……これ、どこまで続いてるんですかね……」
室井のすぐ後ろを歩いていた井出少尉が、
少し不安そうに声を潜めて尋ねた。
「さあな……暗くて狭いから、実際にはそれほど進んでいないはずだが……」
室井が答えると、最後尾を歩いていた青葉が、前方へ声を張った。
「美都香比売の依り代は、まだ近くにいると申しております。急ぎましょう」
暗闇と、手彫りの通道が放つ圧迫感から、
一同の足取りは自然と速まっていった。
部屋を出て、十分ほどが経っただろうか――。
道が急に上り坂に変わり、
空気が、一気に“外気”のものへと変わった。
その瞬間、清晴は気づけば駆け出していた。
やがて通道は、粗末な木の扉に行く手を阻まれる。
板の隙間からは淡い光が漏れ、外からは自動車のエンジン音がかすかに響いてきた。
慌てて扉を押し引きするが、びくとも動かない。
「――クソっ」
吐き捨てるや否や、
清晴は脚を大きく振り上げ、その扉を力任せに蹴り破った。
「おいっ! 追いつかれたぞ! 急げっ!」
慌てふためく史郎の怒号が、清晴の耳へ届いた。
次の瞬間、清晴は強烈な日差しの下へ飛び出し、
一気に視界が白くくらむ。
その明滅の向こうに、数台の自動車が列をなし、
土煙を巻き上げながら走り出そうとしていた。
清晴は、無我夢中で駆け出した。
「チクショウ! 待てっ! 待つんだっ!!」
追いすがる清晴の足元で、
車の後部から撃ち返された銃弾が、地面を弾いて火花を散らす。
ようやく一同が外界に飛び出し、
暗闇に慣れた目で視界を取り戻したとき――
史郎の自動車の隊列は、
もう遥か彼方へと土煙を上げて走り去った後だった。




