第廿四話 密室の宣告――黒曜会・後編
「黒曜会……ですか?」
清晴は、どう反応してよいのか判断しかねているように、あいまいに言葉を返した。
そんな清晴の逡巡など、はじめから見透かしていると言わんばかりに、史郎は口元の笑みをさらに深める。
「とぼけなくてもいい、清晴くん。
君が――異能特務局の将校として、黒曜会の捜査に加わっていることはね。
僕の“優秀な耳”からの報告で、とっくに把握済みなんだよ。」
「――!」
清晴は、驚愕を装うように目を見開いた。
その反応がよほど気に入ったのか、史郎は、すっかり冷めてしまった茶にやっと手を伸ばす。
「知った上で、君の叔父として――そして“異能者の未来”を憂う者として、
君に提案を……いや、勧告しているのだよ。」
茶で喉を湿らせると、史郎の語調には妙な熱が宿り、身振りさえも大げさになっていく。
「なあ、清晴くん……そして千景さん。
本来、異能者は、無能者よりも一段と優れた存在だ。新しい種族と言ってもいい。
その優等種が劣等種に遠慮し、本来の力を抑え、不当に評価され、やがては使い捨てられる――。
こんなことが、まかり通っていいと思うかね?
これは君たち二人だけの問題じゃない。
いずれ産まれてくる君たちの子どもたちも、その子どもたちも――、
ずっとこの先、劣等種に使い捨てられ続ける。それで、本当にいいのかね?」
「……良いというわけではないですが……」
清晴が言い淀むと、史郎はここぞとばかりに身を乗り出した。
「そうだろう、そうだろう。さすがは賢い清晴くんだ。
――先ほどの、君の神威と異能の件だがね。
無断で拝借したのは素直に謝ろう。しかしだ――」
史郎は、わざとらしいほどに肩をすくめる。
「君から“陽の気”とともにいただいたその力は、黒曜会の発展のため、大いに役立たせてもらっているのだよ。
そこで、相談というか……提案なのだがね――」
その言葉とともに、史郎の目が鈍く光った。
千景は、その光に本能のどこかを撫でられたような悪寒を覚え、思わず背筋を固くする。
「君は――“異能者の王”に、興味はないかね?」
「……“異能者の王”?」
清晴は眉をひそめる。
史郎は待ってましたとばかりに、再び饒舌になる。
「そうだ。繰り返しになるが、君ももう察しているのだろう?
斎部の夫婦神は、本気になれば、この国の“王”になれる。
なぜか――君は知らぬはずがあるまい。
あの二神こそ、四千年の昔よりこの国を治めていた、正当なる“主”なのだから」
「……俺は、天下取りも、統治も興味ありませんが……」
清晴が、あくまで穏やかに否定すると、
史郎は一歩も引くつもりがないらしく、すぐさま言葉を重ねてきた。
「政治が面倒なら、象徴でも構わない。
難しい調整は、この叔父がすべて引き受けよう。
君は――奥方を傍らに侍らせ、ただ“そこに座って”にらみを利かせてくれればいいのだよ。
どうだね?
君も黒曜会で頭角を現し、この国の頂点に立ちたいとは思わないかね?」
清晴は、じっと叔父の顔を見つめ返した。
肩に付いた陸軍特務中尉の肩章を、何気なさを装って指先でいじりながら、慎重に問いを重ねる。
「――そんなに簡単にいくものですか……。何か、方策でも?」
清晴の“食いつき”に気を良くしたのか、
史郎は上機嫌で新しい煙草を取り出し、
机の角でトントンと軽く叩いて形を整えた。
「もちろんだとも。
君が黒曜会を捜査していたなら、多少は知っているだろうが――
我々には、アストラルをはじめとした魔法薬や向精神薬、
能力や“気”を自在に操る護符や呪符がある。
国内外――医学、化学、呪術、軍事、諜報――あらゆる分野の専門家ともコネクションがある。
しかも表向きには製薬会社も経営しているからね。危険薬品でも禁制品でも、
積み荷に紛れさせれば輸入し放題だ。
そして、こうした薬を使って……
各界に、黒曜会の手駒となる要人は、既に“いくらでも”用意している。」
それから、史郎はマッチを擦り、三本目の煙草に火をつけた。
火の先が赤く瞬き、煙がゆるやかに立ちのぼる。
「――叔父さん。そんなに俺に話してしまって、大丈夫なのですか?
俺、まだ“参加する”とも“しない”とも申し上げていないのですが――」
清晴が、内心を読ませない無表情のまま問いかけると、
史郎は鼻で短く笑い、指を軽く鳴らした。
その刹那――。
史郎がうまそうに煙を吐き出す間に、
清晴たちの背後の扉が、勢いよく叩き開かれた。
重い足音が床を揺らし、何人もの顔を薄布で覆った男たちが部屋へとなだれ込む。
「私はね、清晴くん。
君は賢い子だと思っているのだがね?」
史郎は椅子に優雅に背を預け、
今しがたの“微笑ましい家族の会話”の続きであるかのように言った。
「こんな素晴らしい話を――
断るなんて愚かな選択肢が、君にあるはずがないだろう?」
「……っ」
清晴は反射的にあたりを素早く見回した。
「きゃっ……!」
見ると、男の一人が――
千景の後頭部に、無造作にピストルの銃口を押し当てていた。
引き金には、もう指がかかっている。
「千景に……何をするっ!」
清晴が思わず立ち上がろうとした瞬間、
自分の背中――心臓の真裏にも、冷たい銃口がぴたりと押し当てられたのに気づき、
歯噛みしながら、再び座るしかなかった。
史郎は、そんな二人を愉快そうに眺めながら、肩をすくめる。
「まあ、君が承諾しなくても、それはそれで構わなかったのだよ。」
「……なんだって?」
「君が“異能者の王”に興味がないのなら――
私がなってやろうと言っているのだよ。
私が代わりに夫神の依り代となり、この国を“正しい方向”へ導いてやろう、と。」
史郎はそう言いながら、煙草の灰を静かに落とした。
そして、千景と、その背後の男へ向けて手招きをする。
「かわいそうにねぇ。君と一緒に来てしまったばかりに、こんな怖い目に遭って……」
声色は優しい。だが、そこに慈悲の欠片はない。
「さあ、千景さん。こっちへおいで。
君の可愛い頭に風穴なんて、開けられたくないだろう?
大丈夫――叔父さんが、悪いようにはしないさ。」
千景は、背後の銃口に追い立てられるようにして渋々立ち上がり、
テーブルを回って、史郎の傍らへと誘導されていった。
「清晴くん。
君が千景さんを連れて来るかどうかは、五分五分の賭けだったが――
どうやら、私の勝ちのようだね」
「――千景をどうするつもりだっ!」
清晴が悔しげに唸ると、
史郎は勝利を確信した目で、まるで玩具を弄ぶように嬉々として口を開く。
「清晴くん。
君は彼女を“妻神の依り代候補”に決め、
何度もその身体を抱いたのだろう?」
「……っ」
「そうするとね――君の陽の気は治まるが、
遷座は進み、神威の所在が揺れ始めるのだよ。
そのくらい、当然ご存じだと思っていたがね?」
「……は?」
初耳だ、とばかりに返した清晴に、
史郎はますます勝ち誇ったように饒舌になる。
「君が“王”にならないのなら、
千景さんは――私がもらい受けるよ」
史郎は、千景の肩に触れようと指先を伸ばしながら、
最後の通告を滑らかに続けた。
「さあ、最後の勧告だ。
私と手を組むか――それとも拒んで、千景さんを手放すかだよ」
「なぁ、斎部。迷うことはないと思うがな――」
突然、千景の頭に銃口を押しつけていた男が口を開いた。
その声――
聞き覚えがある。
清晴は、思わず目を見開いた。
男は、顔を覆っていた薄布をゆっくりとまくり上げる。
下から現れたのは、見慣れた顔。
特務局から姿を消した、徳井隼人だった。
史郎は満足げに立ち上がり、徳井の肩へ手を置くと、親しげな調子で言葉をかける。
「清晴くん、紹介しよう。
黒曜会幹部で――私の参謀でもある“コウ”だ。
君は、彼とも親しかったんじゃないかな?」
「なぁ、斎部。一緒に行こうぜ? 一緒に、異能者の未来を切り開こう!」
徳井――いや、“コウ”の呼びかけに、
清晴は一瞬、目をつむって沈黙した。
そして、決意を宿した目をゆっくりと開く。
「――断る。」
短く。しかし、揺るぎない声だった。
その瞬間――
再びドアが乱暴に押し開かれ、先ほどとは別の一団が室内へ雪崩れ込んだ。
「なっ……なにっ!?」
「ちっ、まさか特務局を呼びつけていたか!」
史郎が悔しげに吐き捨てる。
コウはといえば、取り乱すどころか妙に落ち着き払ったまま、
懐から筒状の装置を取り出し、カチリとピンを引き抜いた。
直後――
室内に白い閃光が炸裂し、視界は一気に白煙に覆われる。
「伏せろっ!」「撃て!」
なだれ込んだ一団と史郎の手勢が入り乱れ、
異能がさく裂し、火花が散り、誰かが銃を放つ乾いた音が響く。
窓ガラスの割れる破砕音。
壁に叩きつけられる衝撃音。
調度品が崩れ落ちる鈍い破壊音――。
あたり一帯は、たちまち修羅場と化した。
やがて、白煙がゆっくりと晴れてゆき、
特務局の小隊がようやく室内を制圧した、その時――。
部屋にはもう、史郎の姿も、千景の姿も、
そしてコウの姿すら、忽然と消えていた。
残されていたのは、拘束された史郎の手勢と、
床の上に、腹を撃ち抜かれてうずくまり、
荒い呼吸の合間に低く唸り声を漏らす清晴だけだった。




