第廿二話 極秘会議と白日の道中
極秘のうちに、斎部家の当主代行を務めているりよが呼び出されたのは、ガス事件から約一週間後のことだった。
その場では、ありうる限りの可能性と対応策が洗い出され、
――もし斎部史郎が黒曜会の幹部、あるいは深い関与があると判明した場合には、即時の拘束。
さらに会社の代表職のすげ替え案と、その候補者までが話し合われた。
「もう……皆さん、人使いが荒いわね。こう見えても、古希が目前のおばあちゃんなのよ……」
すべてが決まったあと、りよは肩をぽんぽんと叩きながら苦笑した。
「全然そうは見えませんよ」
清晴がしれっと言うと、りよはジトッと孫を睨む。
「そう言って……もっと私を働かせようって魂胆、わかってるんですからね」
「閣下も生涯現役、確定ですな。はははは」
「もう、室井さんまで。……だいたい私を“閣下”なんて呼ばないでくださいな。私の最終階級は大佐ですよ」
りよは今度は室井に噛みついた。
室井はむしろ嬉しそうに、懐かしむように目を細める。
「いいえ。清孝閣下の活躍も昇進も、りよ殿あってこそ。
我々としては――りよ殿を清孝閣下と同等に扱いたい。そう思っているだけです」
「……まあ! それじゃ、私があの人のところへ召されたら、二階級特進してくださるっていう話かしら?」
口を尖らせたりよに、室井は肩をすくめた。
「おや、それではだいぶ早とちりでしたかな」
「もうっ! ――そういえば、千景さん……」
りよは、今度は千景へと顔を向けた。
「は、はい……」
室井とりよの掛け合いを微笑ましく眺めていた千景は、急に呼ばれてビクリと背筋を伸ばす。
「私ね、ほんの少しだけど“闇の異能”があったのよ。
ほら、帝大の風張教授がサンプルが欲しいって、わざわざ調べに来たでしょう?」
目を輝かせて言うりよに、そばで書類を封筒にまとめていた清晴の母・時子が、むっと唇を尖らせた。
「そうなんですよ。それにね、お義母さまには闇の異能があったのに、私はまったく無し、ってね。
まあ、妻神の依代の適性には不要だってわかったからいいんですけど――
私だって、一度くらい“闇の技”を使ってみたかったわ」
「……母さん、まだ強くなりたいの?」
あきれたように言った清晴に、時子は当然よ、と頷く。
「軍人たるもの、その身の修練は生涯の課題よ。
それに、私たちは近いうちに“神威”をあなたたちに譲るのでしょう?
なら、手札は多いに越したことはないじゃないの」
「ふふふ、神威も水の異能も、時子さんには敵わなかったけれど――
一つだけ、あなたに勝てるものがあってよかったわ」
「もう……! 本当に悔しいったらないわ」
冗談めかして言ったりよに、時子も大げさに肩を落として悔しがった。
「で、千景さん。少しだけでいいのだけれど――
“闇の異能”って、どんなことができるのか、見せていただける?」
「あ、はい。もちろんです」
声をかけられた千景は、一瞬だけ考えると、
右の手のひらを胸の高さでそっと掲げた。
その掌から、こぽ、こぽ……と“闇”の球がいくつも湧き出してゆく。
「これは清晴さんと一緒に考えた、“闇の異能らしい見た目”のものです。
闇の異能の根本は空間操作でして……こう、光を空間の奥へどんどん落とし込む構造にしているんです」
「まあ! すごいわ。私にもできるかしら――」
目を輝かせたりよは、見よう見まねで千景の動きを真似する。
「コツさえつかめば、そんなに大きな力はいりません。こう……空間を巻き込むように、です」
「こう……かしら……」
りよは小さく唸りながら試行錯誤し、
やがて掌の上に――ぽ、と小さな闇の球が浮かび上がった。
「母さん……すごいな。そんなにすぐ、できるものなのか……」
傍で黙って見ていた清晴の父・清至が感嘆の声を漏らす。
「ふふふ、思い出してみたらね。私、小さい頃、庭の池の水を自在に操って、空中に浮かせたり――なんて芸当をしていたのよ……。
闇の異能って、物を浮かせたりもできるのでしょう?
水の異能の力の一部だと思っていたけれど、少なからず闇の異能も使っていたのかしらって……。
教授にそう言われてから、ふと、思い返していたのよ」
少女のように笑うりよの傍らで――
「いい? 絶対に千景さんを――
一日も早く、斎部家の“嫁”に引き込みなさい!」
千景の生み出した“闇”にすっかり興奮した時子は、
そばにいた清晴の腕をがしっとつかみ、強く言い含めていた。
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「……やっぱり、ついてくるのか?」
史郎の私邸へ向かう道すがら、
清晴は再三、千景に念を押した。
護符の不具合を口実に、彼の私邸で会う約束を取り付けたのは――会議から間もなくのことだ。
陽の気を抑える機能を壊した護符を身に着ける以上、
いつでも“気”を整えられるように、と。
同行を申し出たのは、千景自身だった。
「だって、私がいなくて困るでしょう? 現に、市ヶ谷を出立してから、もう二度も“陰の気”を補充しましたよ?」
胸をそらした千景に、
清晴はきまり悪そうに視線をそらす。
「……護符の効果なしに暮らす、ということが、こんなに難儀だとは思わなかったんだ」
市ヶ谷の局舎から目白の私邸までは、約五キロメートル。
徒歩で一時間ほどの道のりだが、
あと半分弱を残した地点で――既に二度の休憩を必要としていた。
「しかしな……何の辱めだろう……。口づけが必要なことは確かなんだが……」
清晴は周囲をきょろきょろと見回してから、深くため息をついた。
別に、物陰で口づけを交わしたり、手を繋いで“気”を整える行為そのものが気まずいわけではない。
問題は――
彼らの周囲に、“一般人に扮した異能者の一個小隊”が、認識阻害の護符で異能を隠して随行しているという事実だった。
今回の随行部隊は、黒曜会の息がかかっていないと確定した精鋭のみで構成されている。
そして史郎の私邸に着き次第、すでに邸内を取り囲んでいる別動の覆面小隊と合流し、
清晴の合図ひとつで突入する手筈になっていた。
つまりは――
いくら物陰に身を隠したところで、
彼らの視線を逃れられるはずもなく。
二人の、恋人のごとき触れあいは、
逐一、随行している小隊の目に晒されていたのである。
「……まあ、いいじゃないですか。私は清晴さんの恋人で、ゆくゆくはお嫁さんにしてもらえるんでしょう?
責任は取っていただける、ってことで――」
千景はさらりと開き直ったが、
清晴はそれでも強く抵抗を示した。
「いや……行為を見られるのは、致し方ないとわかっている。
あいつらだって、こちらの事情はある程度知らされているし……。
問題なのは、おまえの――その、そういう顔を見られるのが……だな。
男として、その……嫌なんだ。」
頬を染めた彼のその一言は、
千景に致命傷を負わせるには十分だった。
「――清晴さん……急にそんな……卑怯ですよ。
あぁぁ……目白に着くまで、最低二回は“気”を整えなきゃいけないのに――
平常心でいられないじゃないですか……」
ほてった頬を両手で包み込んで、千景はうめいた。
「いい気味だ」
清晴は涼しい顔でそう言ったが、
その額に浮かんだ汗が、初夏の陽射しだけのせいではないことは――
千景にも、もうわかっていた。
それから、きっかり二回――
ことに最後の一回は、十分すぎるほどしっかり“気”を整えてから、
いざ、史郎の私邸の門前へと立つ。
史郎の私邸は、和館の母屋に応接用の洋館が連接した、
大会社の社長らしい邸宅だった。
黒服の執事に案内された洋館は、
幕末に建てられた中野の斎部宗家の屋敷よりも、はるかに豪奢だった。
国内有数の画家の絵画に、巨大な焼き物の壺、珍しい動物の剥製、
さらには海外の遺跡から運ばれた彫像まで――。
万国博覧会もかくやとばかりに珍品が並ぶ様子に、
清晴もそっと視線を走らせた。
「旦那様、清晴さまと、そのお連れ様をお連れしました」
一番奥の重厚な扉の前で、執事がノックと共に静かに声をかける。
「入れ」
短く返答があったその室内――。
螺鈿の応接セットの向こう、
仕立てのいい背広を着て、窓の外を眺めていた男がゆっくりと振り返った。
以前、中野の斎部邸で会った男――斎部史郎が、
人懐こい笑みを浮かべ、清晴と千景を迎え入れた。




