第廿一話 揺れる血筋
「以前、清晴さんのご実家でもお会いしましたが……。
斎部史郎って、どういった人物なんですか?」
千景がそっとたずねると、篠崎も興味をそそられたらしく、清晴へと視線を移した。
「俺もぜひ聞きたい。知っておけば、おまえに助言の一つもできるだろう」
「……わかりました」
清晴は一拍おいてから、静かに口を開く。
「斎部史郎は、俺から見ると“祖父の弟の子ども”に当たります。
祖父には腹違いの弟が何人かいて……」
そこまで言って、ほんのわずか眉根を寄せた。
「今でこそ斎部家の当主は一生に妻は一人、妾など作りませんが、曾祖父の代までは違いました。
……生涯で片手では足りない妻と、数えきれない妾を持つのが“普通”だったんです」
「まあ!」
思わず千景が声を上げた。
自分でも驚いたらしく、恥ずかしげに肩をすくめる。
清晴は小さく頷き、話を続けた。
「祖父の代で──それまで斎部の縁者の男子すべてに分散されていた“神威”を統合し、宗家の跡取りだけに集約したんです。
その結果、一族の多くの男は“神威による異能の強化”を失い、仕事を変えざるを得ませんでした」
言いながら、清晴の声音はわずかに沈む。
「神威を失ってもなお異能に優れていた者は、異能特務局へ出仕しました。
そうでない者は、養蚕業や製糸業に転じたり、公職に就いたり、教師になったり。
中には……赤坂で洋食屋を繁盛させている分家もいます」
一呼吸おき、清晴はふっと目を伏せた。
「祖父は特務局の軍人として働く傍ら、斎部家当主として、彼らへの資金援助をはじめ様々な支援を続けました。
“神威を奪ってしまったのだから”──その代償だと、そう思っていたんでしょう」
「では、史郎氏の製薬会社も……?」
室井が口を挟むと、清晴は深くうなずいた。
「はい。史郎叔父は、祖父のいちばん下の弟の子です。
最初は、史郎叔父の父親が、ごく小さな貿易会社から始めたと聞いています。
西欧の優れた医薬品や魔法薬、さらには護符まで輸入するようになり……それらの需要が高まるにつれ、会社も大きくなっていきました」
清晴は少しだけ姿勢を正しながら続ける。
「今では、一族の中でも屈指の規模を持つ事業に成長しています」
「魔法薬に護符かぁ……匂うねぇ……」
篠崎は無意識に唇を湿らせ、顎をさすった。
職業的な嗅覚が働いたときの、癖だった。
清晴は小さく息をつく。
「はい……もっと早く気づくべきだったのでしょうが……。
異能者の――性と言いましょうか。
……身内は、どうしても無条件で“信じてしまいたくなる”もので……」
「だが、史郎氏は異能者ではないのだろう? 徳井との関係はどうなんだ?」
室井が先を促すと、清晴はわずかに言いよどんだ。
「徳井……ですか」
短く息をつき、言葉を選ぶように続ける。
「徳井家は、斎部を取り巻く“五つの分家”のうちの一つで、史郎叔父の家とはとくに近い関係にあります。
貿易会社を立ち上げた当初から付き従っていますし……たしか、史郎叔父の母も徳井家から嫁いだはずです」
清晴はそこで一度目を伏せ、ぽつりと続ける。
「……つまり、事業でも、血縁でも、かなり深く結びついている家ですね」
「そうなると……失踪中の徳井隼人が、史郎の庇護下に入っていても不思議じゃない、というわけだな」
室井は椅子の背にもたれ、天井を見上げたまま長い吐息を漏らした。
その表情には、官僚としての“算盤”が一気に回り始めた気配がある。
「資金力、流通網、海外とのコネクション……。
どれを取っても、黒曜会がどうしてあれほどの規模に膨れ上がったのか――“斎部医薬化学商会”が背後にいると考えれば腑に落ちる。これ以上の後ろ盾はない」
室井は眉間を押さえ、苦く笑った。
「だが、参ったな……。
あの大商会の“裏の顔”が黒曜会だと世間に知れたら、斎部家そのものの信用が地に堕ちる。
まして特務局としては――筆頭将校にこんな醜聞が降りかかれば、組織全体が揺らぐ……」
「そんな――清晴さんやご両親は、何一つ悪いことなんてしていないのに……!」
千景が声を上げると、室井は苦々しく首を振った。
「そうなんだがな。世間ってのは、そういう“理屈”では見てくれんのだよ……」
室井は深く息をつき、肘掛けに重く身を預ける。
「問題は、斎部史郎の“立場”だ。
あれだけの商会の総帥だぞ。強制連行も家宅捜索も、やった瞬間に記者が押し寄せて、大騒ぎになる。
……特務局ごと吹き飛びかねん」
その空気を切り裂くように、清晴が一歩前へ出た。
「局長。
それでも――容疑をかける“前”に、史郎さんとお話しする機会をいただけませんか」
室井が目だけで「危険だぞ」と告げる。
だが清晴は、真正面から受け止めるように続けた。
「黒曜会の呪符と、叔父の護符が酷似していたとしても。
……限りなく黒に近いとしても、俺にはどうしても聞きたいことがあります」
清晴は一瞬だけ息をのみ、低く言葉を足した。
「……俺は、本当は叔父さんを信じたいんです。
ですが、疑念を抱いたまま目を背けるわけにはいきません」
喉の奥が震え、それでも言葉はまっすぐだった。
「どうして、陽の気だけでなく……“神威や異能”までも転送したのか。
叔父の口から、直接問いただしたいんです」
「……本気か、清晴?」
室井が低く問いただす。
その声には、“やめておけ”という警告も、“見誤るな”という願いも含まれていた。
「……はい」
清晴は視線を逸らさず、静かに答えた。
「たとえば――体質に急な変化が出た、とか。
叔父の護符に“不具合”らしきものが生じた、とか……。
そういった“身内だからこそ通る口実”を使えば、彼の元を訪ねることは可能です」
息を飲む室井と千景を前に、清晴は続ける。
「直接会うことさえできれば……本当に何かあるのなら、何かしら“揺らぎ”は見せるはずです。
黒曜会との繋がり――その端緒だけでも掴める可能性があります」
「危険すぎる……」
篠崎が首を振る。
だが清晴は、ためらう気配も見せずに一歩踏み込んだ。
「でも――もし俺の異能や神威が黒曜会の手に渡り、悪事に使われているのだとしたら……。
放っておくことなんてできません」
拳を握りしめ、言葉を続ける。
「ただ、こちらが“気づいた”と悟られれば、叔父はすぐに姿を消すでしょう。
雲隠れされれば……その瞬間に、もう追えなくなる」
清晴の声は静かだが、どこまでも切実だった。
「だからこそ、自分の足で確かめたいんです。
逃がしてしまったら――すべて終わりですから」
沈黙が落ちた。
その場にいた全員が、言葉を失ったまま難しい表情で考え込んでいる。
空気が重たく沈み、時計の音すら聞こえるような静寂だった。
やがて、室井が喉の奥で低く唸り――
覚悟を決めるように、ゆっくりと顔を上げた。
「……そこまで言うのなら――おまえに賭けようじゃないか」
一拍置いて、言葉にさらに重みを乗せる。
「これは危険任務だ。最悪、生還も保証できん。……それでも、いいんだな?」
清晴は迷うことなく顔を上げ、
瞳に芯の通った光を宿した。
「はい。望むところです」
きっぱりと言い切るその声は、震えも迷いも一切なかった。
千景が息を呑み、篠崎は腕を組んだまま眉を寄せる。
室井もまた、清晴の眼差しをしばし黙って見つめていた。
若い将校の決意を前に、誰も軽口を挟める雰囲気ではない。
やがて室井は、大きく一つ息をついた。
現実と責任を引き受ける者特有の、重い呼吸だった。
「……よし」
静かにだが確かな声で言い、室井は姿勢を正す。
「そうとなったら、清至・時子夫妻と――今は、斎部家の取りまとめは、斎部りよ閣下がされておられるのか?」
「はい。実質、祖母が取りまとめております」
清晴が答えると、室井はうなずき、
一気に軍務の顔へと切り替わった。
「では――りよ閣下にも来ていただこう。
ありとあらゆる可能性を踏まえ、斎部家を交えた正式な作戦会議といく。
……清晴、方針が決まるまでは相手に悟られぬよう、護符は今まで通り使用しておけ」
その言葉に、清晴はわずかに眉をひそめた。
しかし反論する余地がないことも理解している。
静かにうなずいた。
「篠崎。これを持ち帰れ」
室井は机に置かれた護符を指先で弾く。
「一つだけ“軽い不具合”が出る程度に細工をしろ。
……あくまで疑われぬ範囲でだ」
「了解しました」
篠崎が短く返事をすると、室井は立ち上がり、
部屋の空気を断ち切るように宣言した。
「会議の日程は追って伝える。
――忙しくなるぞ」
次の瞬間、室井はニヤリと口の端を吊り上げ、
懐から煙草を一本抜き出して火をつけた。
火の先が赤く点り、部屋にかすかな煙の匂いが広がる。
重苦しい空気のなかで、その仕草だけは妙に落ち着いて見えた。
まだ室井と話があった篠崎を残して、
清晴と千景は局長室を後にした。
思い木製の扉が閉まると同時に、
清晴は大きく息を吐き──力が抜けたように、その場へズルズルと膝をついた。
「清晴さん……大丈夫ですか?!」
千景は慌ててのぞき込む。
両手で顔を覆ったその背中は、いつもの彼よりもずっと小さく見えた。
「……本音を言えば……全然大丈夫じゃない……」
くぐもった声音が、指の隙間から漏れる。
「……そう、ですよね……」
千景はそっと膝を折り、清晴と同じ目線の高さに降りた。
少し迷い、ためらいがちに手を伸ばし、そっと彼の肩に触れた。
「……私は味方ですから。
一緒に、考えましょう?」
千景の声に、小刻みに震えていた清晴の肩が、ふっと止まる。
彼女は素早く周囲を確かめてから、
思い切ったように腕を回し──
そっと、ぎゅっと、彼を抱きしめた。
その抱擁は一瞬だった。
けれど、清晴の呼吸がぴたりと静まるのが、確かにわかった。
すぐに身体を離すと、千景は彼の手をそっと取った。
引くというより、導くように。
「……行きましょう。
あまりここで座り込んでいたら、篠崎さんに見つかります」
「……そうだな」
清晴は短く返し、ゆっくりと立ち上がった。
まだ少し重さを残す足取りのまま、
千景と並んで暗い廊下を歩き始める。
二人の影が、無音の廊下に寄り添うように伸びていった。




