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帝都の夜、禁欲の異能中尉は、闇の花嫁に口付けを  作者: じょーもん


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第十七話 呪符の爆ぜた先で

 静香が第三会議室に辿り着き、勢いよく扉を押し開けた瞬間――

 そこは、目を覆いたくなる惨状だった。


 入口からさほど離れていない床に、清晴と千景が折り重なるように倒れ込んでいた。

 以前、自分も“今後の参考”と称して嗅がされた、あの強烈な媚薬の匂いが鼻を刺す。

 静香は反射的に袖で口と鼻を覆い、後ろ手に扉を閉めた。

 この媚薬を、特務局の廊下へ洩らすわけにはいかなかった。


 何があったのか、詳細はわからない。

 だが、ひとつだけ確かだ。

 自分の相棒が、生理的衝動に抗いながら必死に耐え、苦しんでいる――それだけは、痛いほど伝わった。


「窓を……開けてくれ……空気の入れ替えを……っ」


 額を滝のように汗が流れ、荒い呼吸の合間に、清晴が掠れた声で懇願する。


「ええ、すぐ開けるわ!」


 静香は二人の脇をすり抜け、北向きの窓を思いきり押し開けた。

 冷たい外気が流れ込み、室内にさっと風が通り抜ける。


 その瞬間――


「……ん、っ……!」


 清晴の喉から、押し殺したような喘ぎが漏れた。

 普段なら心地よいはずのそよ風でさえ、今の彼には、過敏になった感覚をさらに逆撫でする刺激でしかなかった。


「――清晴、しっかりして。徳井が今、医療班を呼びに行ってるわ」


「……あ、あぁ……たすかる……」


 床にあおむけに倒れたままの清晴へ、静香は迷いなく歩み寄った。


「徳井が、陽の気を抑える護符をくれたの。胸に貼れって言ってたわ。

 ちょっと前、失礼するわね?」


「……陽の気……?」


 清晴がぼんやりと聞き返したその声を無視するように、静香は彼の軍服のボタンを手早く外し、シャツも指先で割いて胸元を開いた。


「これを胸に貼れって――」


「え――」


 清晴が目を見開いた時には、もう遅かった。

 静香は和紙製の護符を彼の胸に置くと、そのまま逃がさぬように手のひらで強く押さえつけた。


 瞬間。


「――あっ……ぐぁっ!」


 清晴の全身が弓なりに跳ね上がった。

 胸の奥底に沈めていた陽の気が、一気に押し流されたように暴走を始める。

 神威がざわりと立ち上がり、火の異能までもが引火するかのように暴れ出し――

 彼の内側で、すべての力が同時に咆哮した。


「えっ? ちょっ――どういうことっ!?」


 静香の目の前で、状況は明らかに悪化していた。

 しかも、その引き金が――どう見ても、徳井から渡された護符だった。


「あぁ……あぁぁ……!」


 清晴は、自分の力に内側から焼かれるように、床の上でのたうち回る。

 静香は血の気が引き、反射的に彼へ手を伸ばした。胸に貼り付いた護符をはがそうとする。


 和紙そのものは、べリッと音を立てて剥がれた。

 だが――


 護符に刻まれていたはずの邪悪な文様は、すでに清晴の素肌へと“焼き付いて”おり、赤い痕となって脈動していた。


 まるで、生き物のように。


「徳井――どういうつもりよっ……!」


 静香は呻くように呟きながらも、清晴を救おうと必死だった。


 神威と、炎の異能に焼かれるように苦しむ清晴の身体を冷まそうと、

 自らの水の異能で水を浴びせ、氷を抱かせる。

 だが水は瞬時に蒸発し、氷もまた、触れたそばから白い蒸気に変わっていく。


「どうしよう……どうしよう、どうしよう、どうしよう――!」


 士官学校時代。

 もし陽の気が暴走したら、君の陰の気で散らしてほしい――

 そう頼まれた、あの真剣な顔を思い出し、静香は震える指先を彼の肩へ伸ばした。


 触れるか、触れないか――その瞬間。


「――ッ!!」


 清晴の体から噴き上がった神威と陽の気が、逆流するように静香へ叩きつけられた。


 静香の身体は宙に浮き、

 次の瞬間には背中から壁へと激突し、そのまま床へ崩れ落ちた。


 呼吸が止まり、視界が白く明滅する。


 その間にも、清晴は獣のような咆哮をあげ、床の上をのたうち回りながら、自らの胸を爪で掻きむしっていた。


 ――どうしよう……清晴が死んじゃう……。

 だけど、私じゃ……止められない……。


 静香は痛みに震える体を動かせず、薄く目を開いた。


 そこにいたのは、いつもの冷静沈着な清晴ではない。

 人の形を保ちながら、まるで若い獣が持て余した力に振り回されているかのように、

 牙をむき――

 咆哮し――

 体を引きずり――


 そして、先ほどの衝撃で少し離れた場所へ吹き飛んでいた千景の方へ、

 ゆっくりと、這い寄っていく清晴の姿があった。


 ――ああ……千景さんが、喰われる……。


 これから何が起こるのか、想像することはさして難しくなかった。

 暴走した清晴なら、あの細い身体など、一瞬で――。


 ――こんな相手にも、物理的に近い自分じゃなくて……

 彼女を選ぶのね……。


 静香の脳裏に、蹂躙される千景の姿がよぎる。

 そして、その相手が“自分ではない”と胸がきしんだ、その瞬間の痛みを――

 静香は恥じた。


 そうしている間にも、清晴は千景へと間合いを詰めて、やがて無防備に転がる彼女へと躍りかかった。


 ――だめだ……


 静香は思わず目をつぶる。


 とても見ていられなかった。

 見てしまえば、次の光景を一生忘れられないと分かっていた。


 身体のぶつかり合う鈍い音が、会議室に響いた――。


 しかし、それきりだった。

 その後の室内を支配したのは、奇妙なほどの静寂。


 異変に気づいた静香は、恐る恐る目を開いた。


 そして――息を呑む。


 千景が、清晴を抱きしめ、

 その唇に静かに口づけていた。


 音ひとつない室内で、

 千景だけが、異様なほどの“圧”を放っている。


 彼女の身体からは、闇の異能を示す紫の電光が瞬き、

 さらに、陰の気が昂ぶりすぎて、

 紫の陽炎となって目に見えるほどに揺らめいていた。


 その“量”も“質”も――

 清晴と、勝るとも劣らないほどに。


「は……ぁ……」


 触れあった唇が離れ、どちらからともなく吐息が漏れた。

 その息が誰のものだったのか――判然としない。


 気がつけば、千景も、清晴も、

 ゆっくりと、同時に目を開いていた。


「きよ……はるさん……」


「ちか……げ……」


 稲妻のような紫電と、燐光がきらめく壮絶な光景の中で、

 二人だけが、不思議なほど静かに互いを見つめ合っていた。


「今、あなたを……助けます……」


 千景はたおやかに微笑んだ。

 そっと身をかがめ、まぶたを閉じる。


 そして――

 清晴の胸で脈動する、あの呪符へと

 そっと、やさしく口づけた。


「ぐぁあぁぁぁっ!」


 清晴が獣のように叫んだ。

 逃れようと、身体が本能的に後ずさる。


 だが千景は、その暴れる清晴を逃がすまいと、

 自分の全身で抱きしめて押さえ込んだ。


 そして――


 清晴もまた、本能のどこかで“逃げてはならない”と悟ったのか、

 苦悶のまま千景の頭を抱き寄せ、

 まるで縋るように腕を回した。


 次の瞬間。


 気が――、爆ぜた。


 凄まじい閃光があたり一面を包みこむ。


 静香は目を見開いたが、

 何が起こったのか――理解が追いつかなかった。

 ただ、白い光と轟音に飲み込まれ、身動きできずに呆然と見守るしかなかった。



 やがて閃光が収まり、

 場を支配していた圧倒的な力の気配がふっと消えたのに気づくと、

 静香は息を呑んで立ち上がった。


「どうしたっ!」

「今の音はなんだっ!」

「敵襲かっ?!」


 轟音を耳にした将兵たちが、

 半ば武器を抜きかけながら、次々と会議室へ駆け込んでくる。


「チッ……」


 静香は苛立つように舌打ちし、

 素早く指を鳴らした。

 すると床に倒れる清晴と千景を中心に、

 水の幕で形成された半球のヴェールが瞬時に展開され、

 二人を完全に視界から隠した。


 静香はくるりと振り返り、

 舞い上がったスカートのほこりを落としながら、

 いかにも“何でもなかった”と言わんばかりの表情を作る。


「訓練中の、ちょっとした事故よ。

 音はすごかったけれど――実害はないわ。」


 その落ち着き払った声音に、将兵たちは互いに顔を見合わせる。


「……そうか」

「なら、いいんだが……」

「びっくりさせやがって……!」


 静香は軽く会釈しつつ、

 野次馬たちを手際よく追い払っていった。


「さあ、持ち場に戻って――。

 ……あなた、医務室へ行って医療班を呼んできてちょうだい。

 それと――」


 静香は胸ポケットから小さなメモ帳を取り出し、

 その場でさらさらと、最低限の要点だけを走り書きした。


「これを軍医殿に。

 見れば状況はわかるはず……お願い。」


 兵は緊張した面持ちで頷き、

 メモを胸に抱えるように持って走っていった。


 部屋が再び静けさを取り戻すと、

 静香はもう一度、指を鳴らした。

 水のヴェールがすっと消え、

 二人の姿が露わになる。


 先ほどの閃光の衝撃で、清晴も千景も、

 軍服がズタズタに裂け、ところどころ焦げ、

 素肌がむき出しになっていた。

 その無防備な姿を人目から隠すための水幕だった――が、


「……なんで、この子の髪が……紫に変わっているのよ……」


 思わず漏れた自分の声に、静香ははっとする。

 千景の髪は、確かに先ほどまで茶色がかった黒だった。

 だが今は――

 闇を吸ったような、深い紫に染まっていた。


 静香は、その色の意味を知っていた。


 それは――

 千景が、清晴の“伴侶”として選ばれた、

 動かぬ証だった。


 彼女は唇を噛みしめた。

 握りしめた拳に、爪が深く食い込む。

 胸の奥で、鈍い痛みが弾ける。

 熱いものが、喉の奥までせり上がってくる。


 ――泣きたくない。

 ここで泣きたくなんて、ないのに。


 涙が落ちる前に、静香は踵を返して走り出した。


「うわっ!」「あぶねぇっ!」


 駆けつけた救護班とぶつかりそうになったが、

 彼女はひとことも発さず駆け抜けた。


 廊下を抜け、局舎の裏手まで走りつづけ――

 ついに、膝から崩れ落ちる。


「う……わぁぁあぁあぁぁぁぁぁ……!」


 押し殺せなかった声が、堰を切ったように溢れた。


 失って、

 手遅れになってから、

 ようやく気づいた。


 自分が――

 どれほど彼を想っていたのか。

 どんな未来を、無意識のうちに信じていたのか。


 静香はただ、泣いた。

 泣くしか、できなかった。

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