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帝都の夜、禁欲の異能中尉は、闇の花嫁に口付けを  作者: じょーもん


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第十五話 閉ざされた光、侵入する闇

「……清至中将、君も食堂は久しぶりだろう?

 実は最近、料理人が代わってね。帝国ホテルで三十年も腕を振るった男だ。――ああ、期待していい。

 やはり、食事の質は将兵の士気に直結するからな。妥協はできんよ、はははは」


 局長室の扉が開き、室井局長と、その盟友でもある斎部清至特務中将が並んで現れた。

 清至の声は低く抑えられ、廊下の隅にはほとんど届かない。

 明るく響いたのは、室井の笑い声だけだった。


 やがて二人分の足音と共に声も遠ざかり、

 吊り下げ式の電球が照らす廊下に、静寂が戻った。


 ――さて、一仕事行きますか……。


 柱の影に身を潜めていた徳井は、何でもない顔で局長室の扉へ歩み寄る。

 胸ポケットから合い鍵を抜き取り、周囲を一瞥してから、素早く鍵を回した。

 そのまま、体を滑り込ませる。


 ――今日も、さっさと済ませちゃいますよっと。


 後ろ手で扉を閉め、鍵をかける。


 室井局長が出張帰りの旧友を食堂に誘うのは、あらかじめ織り込み済みだった。

 上級職専用ラウンジを局長名で予約してあることから、少なくとも一時間は戻らない。


 彼は迷いなく局長のデスクへと歩み寄った。

 机の周囲には、さっきまで室井が吸っていた煙草の残り香と、

 整髪料のほの甘い匂いがまだ漂っている。


 徳井はためらいも見せず、デスクの上に無造作に置かれた

「局長決裁済」のラベルが貼られた箱に手を伸ばした。


「……下北沢の件は……ははぁ、ちゃんとミスリードに乗ってくれましたか。

 ええ、ええ、それでいいんですよっと。

 ――おっと、赤坂のアジトはまずいな。

 大沢商会の資金経路も嗅ぎつけられたっと……

 これは早急に、総帥にお知らせしておかないと……」


 徳井は次々と書類を繰り、重要そうな箇所では一瞬だけ手を止めて、記憶に刻みつけていった。


 ひと箱を終えると、今度は「局長決裁待ち」と書かれた箱に手を伸ばす。


 そのとき――。

 扉の向こうから、かすかな足音が近づいてきた。

 続いて、短いノックの音が室内に響く。


 徳井はピタリと動きを止め、息を殺した。


「局長! 小林です。……失礼します」


 ノブが軽く回り、すぐに止まる。

 鍵が掛かっていることに気づいたらしい。


「――留守か……」


 低い呟きのあと、足音は遠ざかっていった。


 足音が完全に消えるのを待って、徳井はようやく胸をなでおろした。

 それから素早く「決裁待ち」の箱を見分し終えると、

 デスクの上をざっと見廻した。


「……おや?」


 目ざとく見つけたのは、いくつかの書類束の下敷きになっていた一枚の封筒だった。

 どうやら室井が、わざとそこへ押し込んだようにも見える。

 左上には、「マル秘」の朱印が赤々と押されていた。


 徳井は書類の山を崩さぬよう慎重に引き抜き、ためらいなく封をしていた紐をほどいた。


 中から現れたのは、特務局所属の将校たちの調査書。――十余名分に及ぶ。

 一番上の書面によれば、局内で「As」の使用や取引が疑われ、

 近く拘束を検討している将校のリストだった。


「As」――それが陸軍における、魔法薬・アストラルの隠語だと、徳井にはわかっていた。

 そして、その十余名のうち何人かの顔も、よく知っている。


「あちゃー……室井さん、子飼いの部下がリスト入りしちゃったから悩んでたのかな。

 でも、この人はシロですよー。……でもなぁ、こりゃ、俺もそろそろ潮時かぁ……」


 徳井は、リストの中に挙げられた得意先の氏名をもう一度確かめ、

 そして、自分の名前がないことを確認すると、

 注意深く、封筒を元の場所へと戻した。


 それから、もう一度机の上に視線を走らせ、

 静かに扉の外へと出て行った。




 +++++



「“見かけがある”って、そんなに大事ですかねぇ……」


 昼下がりの会議室。

 千景は、己の異能を別方向に発展させる試みを行っていた。


 闇の異能は、空間に作用する。

 他の属性のように、目に見えるわけではない。


 それを、あえて目に見える形にした方がいい――

 そう提案したのは、清晴だった。


「人は見えないものを恐れる。

 今後、“闇属性”の異能が一般化したとき、

 発動しているのか否かが第三者に判別できなければ、

 手柄を取られ、あるいは罪を擦り付けられる。

 ……そんな不利益を被ることになりかねん。」


「とは言いましてもねぇ……。

 重力や空間のゆがみなんて、どうやって目に見えるようにすればいいんだか……」


 まず千景が考えたのは、影を作るもの――すなわち光をどうにかする方法だった。

 光は波動である。いや、粒子である。

 物理学会は二分していたが、どちらにしても千景の異能程度では、

 それらを直接どうこうできるほどの出力はなかった。


 次に、時空を圧縮し、その密度差によって蜃気楼のような光の屈折を生み出す方法を試みた。

 これはある程度の効果を発揮したものの――

「地味だ」という理由で却下された。


「闇の異能って言うくらいなんだから、影とか操れたら、それっぽいですよね。

 影から武器を取り出すとか、斬撃を飛ばすとか……」


 千景は机の上で、手をかざしては両掌の間の空間を伸ばしたり縮めたりしてみる。


「清晴さん、疑問なんですけど、なんで闇魔法って、“闇”魔法って言うんでしょうね?

 だって、別に闇を作りたいって願ったって、闇ができるわけでもなし――

 見えない魔法だから“闇雲”の闇って、西欧では“闇雲”なんて言葉ないだろうし……」


「闇魔法は、ドイツ語で“dunkle Magie”――やはり“闇の魔法”と記されている。

 そして、最初の“偉大なる闇魔法使い”は、

 闇を自在に操り、手から闇を溢れさせ、最後には爆ぜさせたとある。

 その後、彼ほど強力な魔法使いは現れなかったが、

 同じ“黒紫の魔力”を持つ者を闇属性とみなすようになった――と。」


 清晴は、風張教授から贈られた西欧魔法史の一節を指でなぞりながら、淡々と読んだ。


「うーん……闇を作り出すのには、やっぱり強い魔力が必要なんですかね?

 異能検査ですり抜けた私なんかに、できるのかな……」


 千景が肩を落とすと、清晴は小さくため息をついた。


「軍の行ってきた異能検査は、四大属性のみに反応する仕組みだ。

 闇の異能をどれほど持っていても、検出はされん。

 それに――おそらく、儀式の際に盛られた“アストラル”の服用が、

 魔力生成器官と伝導器官の接続回路を強制的に開いたのだろう。

 ……それ以外に説明がつかん。」


「じゃあ、“アストラル”って薬を飲めば、

 誰でも異能者になれる可能性があるってことですか?」


「……千景、それは非常に危険な考え方だ。

 君が非常に幸運だっただけで、誰もが同じ結果を得られるとは限らない。

 ――以後、口にしないように。」


 清晴の表情が険しくなる。


「了解。」


 千景は“アストラル”のことをすぐに意識の外へ追いやり、代わりに“闇”について考えた。


「闇……というのは、光がない状態のことですよね?」


「光源が存在しない場合はそうだ。

 光源があり、それでも黒く見える場合は、

 その物体が光を吸収し、反射していない――つまり、光を放っていないということになる。」


 清晴は本をパタンと音を立てて閉じ、腕と足を組んだ。


「黒く見えるのは……光を吸収……光を――閉じ込め……」


 千景は呟きながら、はっと顔を上げる。


「空間を曲げて、屈折を最大にしたら、

 光が逃げ出さない空間を作れると思いません?

 光が出てこないなら、その空間は――外から見れば“暗黒”です。」


「……何だって?」


 清晴が身を乗り出したときには、

 千景はすでに両の掌のあいだに異能の力を込め始めていた。


「おいっ、やめろ――大丈夫なのか?!」


 焦る清晴の目前で、千景の掌のあいだから黒い点が生まれる。

 それは瞬く間に膨張し、空気を歪ませながら大きくなっていった。


「あはっ、見てください! 闇が――作れましたよ!」


 その“闇”は、水風船のようにふよふよと空中で形を変え、

 水の玉のように、いくつかに分かれたり、再びくっついたりした。


 やがて千景は手を上げ、“闇”を天井近くまで浮かべると、

 両の掌を打ち鳴らして異能の力を断った。


 その瞬間――闇の玉が爆ぜ、

 まばゆい閃光があたりを照らす。

 室内の空気が一気に熱を帯びた。


「……閉じ込められていた光は、空間を元に戻すと一気に放出される。

 その一部が熱エネルギーへと変換されて――

 千景……すごいぞ! すごいが――使い方を誤れば、とんでもないことになる……」


「……はぁ……ぁ。ちょっと疲れました。

 けっこう、集中力が要るんです……」


 千景は椅子の背もたれに身を預け、くったりと脱力して天井を仰いだ。


「――よし、今日はここまでだ。よくやったぞ。

 さっきのをもう少し洗練させて、技として体系化できれば……

 おまえの任官は確実だ。昇進だって、約束されたも同然だ!」


 清晴は興奮気味に立ち上がり、千景の肩にそっと手を置いた。


「えへへへ……」


 千景の表情が、だらしなく崩れる。

 偉業を成し遂げた部下が、疲労の中で呆けた顔を見せるのが、清晴にはほほえましく思えた。


 ……が――次の瞬間、異変に気づく。


「……な……なんだ……この、匂い……」


 甘く、重く、わずかに苦い――。

 それは脳をゆっくりと溶かしていくような、魅惑的な匂いだった。


 清晴は反射的に顔をしかめ、室内を見回す。

 会議室の鍵穴から、白い霧状のガスが――

 まるで生き物のように、静かに噴き出していた。

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