み、水をくれぇ!
その店主はおかしなヒゲ選手権があれば優勝できそうだった。
いかにも頑固店主という顔をしており、その顔にピンと両端が反り上がったヒゲが、ヤバいひとの雰囲気を既に醸し出している。
そして頭には王冠を乗せていた。
『王様カレー』という店名の由来はコレだったかと、入店して初めて私は気づき、しまったかなと思っていた。
「激辛ビーフカレー、お待ち」
一人でお店を切り盛りしているらしい。
注文してから25分経って、ようやく私の前のカウンターにその一皿が置かれた。
お客は私一人だった。
まぁ……でも、美味しそうだ。
大きめの白いお皿に盛られたピカピカの白飯にドロっとしたカレーがかかり、ゴロッとした牛肉がところどころから顔を出している。
私はセルフの水をコップに汲むと、スプーンを持った。
「おっと、お嬢さん」
店主がカウンターの向こうから声をかけてきた。
「言っとくが……、カレーを食ってる合間に水は飲まないでくだせェよ?」
えっ? と店主のほうを見ると、厳しい目で睨みつけている。金色の王冠がキラーンと輝いた。
『食事中の水飲みお断り』と書かれた貼り紙をばん! と叩きながら店主が怒鳴る。
「合間に水を飲むと、味も辛さもリセットされちまう! そんなことされちゃ、俺のカレーが台無しだ!」
しかし……私が頼んだのは激辛ビーフカレーだ。
果たして水なしで完食できるものだろうか?
いや、私は知っている。
激辛なものを食べている時、水はよくない。その通りだ。
せっかく辛さに慣れた口の中をリセットしてしまい、やり直しになるだけだ。それよりは乳製品のほうが良い。
しかしメニューを見ると、乳製品の類いはなかった。
私は覚悟を決めて、カレーにスプーンを入れた。
大丈夫だ。私はココイッチの5辛を完食したことのある女だ。この程度──
かっら!
ヤバいな、コレ……。ココイッチの5辛超えてるよ、間違いなく。
しかも熱い! マグマのように熱い! 口の中が焼けただれる! すかさず私が水に手を伸ばすと──
「コラッ!」
叱られた。
仕方なくはふはふと空気を入れて冷まし、耐えた。
辛さは大丈夫だ。私はポユングの地獄やきそばセミファイナルを完食したこともある女だ。1日じゅう内臓が痛かったけど。激辛には強いつもりだ……
後からキターーー!
時間差のあるタイプだった。
3掬めを口に入れたあたりでようやく激辛が襲ってきた。
涙がボロボロと出はじめた。
ポユングの地獄やきそばファイナル級だよコレ。
私はメニューを見た。
何か辛さを軽減できるものはないか──
飲み物は食後のホットコーヒーだけだった。
「何を見てるんでェ?」
腕組みをしながらじっと私を見ていた店主が、言った。
「食ってるものに集中しろッ! 浮気でもするつもりかッ!」
涙が止まらなくなった。
鼻水も出はじめた。
このままこれを食べ続けていたら、私は死ぬ──そんな気がした。
5口めを食べると私はスプーンを置き、席を立った。
自動販売機が近くにあったはずだ。食べ残して、外へ出て、何か飲もう。
そんな私を、敵国の異教徒でも見るような表情で、王様が見ていた。
「ごちそうさま。あの……、お勘定を……」
「俺のカレーがまずいというのか?」
「いえ、すみません。美味しいんですけど、辛さが無理でした。ごめんなさい」
口の中がカッカと熱くなっていた。
内臓が既にぶるぶると悲鳴をあげていた。
頭を下げると汗がぼっとぼっとと滴った。
「不敬罪だ」
王様の眉が吊り上がった。
「店を出た瞬間に処刑するぞ?」
「800円ですよね? はい!」
カウンターに叩きつけるように五百円玉と百円玉3枚を置くと、私は急いで王様に背を向けた。
「ケムシっ! 出口を押さえろ!」
ひとつしかない出口を毛虫のような男が塞いでいた。
「け……、警察を呼びますよ!?」
「俺が何したってんでい!? マナーのなってねェ客のほうが悪りィに決まってるだろ!」
スマホを取り出し、110番した。
通じなかった。
見ると圏外になっている。
何か特殊な妨害電波でも店内に流されているとでもいうのだろうか。
「カレーの食い方のなってねェやつを俺は許さねェ……」
王様が、私の食べ残したカレーを手に持つと、命令してきた。
「座れッ! 食えッ! 食い切ったら水が飲めるんだぜッ!?」
逃げたかったけど出口を塞がれてる。毛虫、怖い。
泣きながら、私は再び席に着き、スプーンを持った。
そうだ。完食すれば水が飲めるんだ。
鬼のような形相の王様に監視されながら、私は──
はあぁあーーーッ!!!
食った……。
気合いと根性で、食いきった。
口の中はもうボロボロで、内臓は既に死んでいた。
それでも食い切った。
やり切った……。
王様が優しく笑った。
「よく頑張ったな。褒美をとらす」
そう言って、冷たい水を──
いや、違った。
おかわりのカレーだった。
「これは特別サービスだ。お嬢さんの食いっぷりに感動した。さっきの2倍の辛さの超激辛カレー、食いな」
出口を毛虫のような男が塞いでいた。
悟った。私はここで死ぬのだな、と。