聖女に王太子を譲ってと言われたが、王太子から駄目だと言われた
突然だが、どうやら私は悪役令嬢らしい。
理由はよく分からない。ただ、そう言われただけである。
私の名前は、フェリシア・オルドリッジ。オルドリッジ侯爵家の娘であり、この国の王太子と婚約をしている。
そもそも、私を悪役令嬢だと言ったのは、異世界から来たと言う同い年の少女である。彼女は私と出会って1分も経たずに、声高らかに宣言したのだ。「あなたが悪役令嬢ね!」と。
正直、何を言われているのかよく分からなかった。多分、誰も分からなかったと思う。事実、その場にいた人全員が状況の理解不能で固まってしまっていた。
彼女いわく、王太子と婚約している令嬢は悪役令嬢らしい。その悪役令嬢とやらはヒロイン?とやらに様々な嫌がらせを行い、精神的・肉体的に追い詰めていくらしいのだ。ヒロインはそれに心を痛めながらも、王太子をはじめとする高位貴族の子息で構成される攻略対象者?たちに支えられ、最後は彼らと協力して悪役令嬢を成敗するらしい。
彼女は続けて「あたしがヒロインよ!あなたなんて成敗してやるんだから!」と宣言していた。よく分からないけれど、自分で自分のことをヒロインと言い張るのも凄いし、もし本当に彼女の言う悪役令嬢が実在するのなら、そんな人物対して真正面から宣言するのもどうかと思う。
それに、王太子や高位貴族の子息を攻略対象者だと言うのも、本来なら不敬罪で最悪処刑である。彼女の住む異世界がどんなところか知らないけれど、今後のためにも気をつけた方がよいのではないだろうか。
ちなみに、彼女が不敬罪に問われない理由はというと、彼女が聖女だからだ。この世界では、15年に一度、異世界から聖女を呼んで祭祀を行ってもらう伝統がある。
まあ正直、大した意味というか効力はない。昔は魔族やら魔王やらと戦う時に呼んでいたらしいが、今はそのどちらもと友好関係を築いているので問題ない。
強いていえば、聖女を呼ぶのはこの世界の12か国で順番を回しているので、「うちは聖女を呼べるくらいの魔法師を有しています」ということの証明と宣伝にはなる。異世界から呼ぶのはそれなりに魔力を必要とし、また、複雑な魔法なため、優秀な魔法師でなければ呼べないのだ。
ただ繰り返すけれど、祭祀自体は別にこの世界の少女が行っても問題ない。前回と前々回の担当国は異世界から聖女を呼べなかったらしく、自国の少女を聖女役に立てたようだが、全く何も問題なかったとの話である。
そして、今回は隣国の帝国が聖女を呼ぶ番だった。見事呼ぶことに成功し、祭祀の一貫として各国を巡ってもらう中で、帝国に戻る前、最後に訪れる国であった我が王国で、彼女は声高らかに宣言してしまったのである。
当然、周囲は困惑し、焦燥に駆られた。なにせ、聖女は1か月後に異世界へ帰すけれど、私と王太子の婚約はその後も続き、最終的に婚姻を結ぶ予定なのだ。私と王太子の婚姻は、国内の力関係やその他諸々の問題解決のために必須のものであり、反故にするのは不利益しか存在しない。
とはいえ、聖女の発言をなかったことにして流すのも難しい。聖女という地位にはそれなりの発言力があるし、聖女の扱いを疎かにして、彼女を呼んだ帝国と無闇に諍いを起こすのも避けたい。
よって、周囲は考えた。聖女がこの国に滞在するのは、たったの1か月。その短期間さえ乗り切ってしまえばよい、と。
要するに、聖女の言うことを多少聞いてあげようということになったのである。
正直、私は王妃なんて面倒……ではなく、私には荷が重いと思っていたので、婚約破棄をしてもらっても別に良かったのだが、周囲が全力で反対してきたのだ。
私も、私が王太子と結婚することの重要性を理解しているから面倒……いや、意を決して了承したのだから、反対されること自体は分かっていたし、婚約破棄は不可能だと思ったのだけれど……。
ただ、聖女の言う悪役令嬢を演じるには、私の性格を大分活発かつマメにして、やる気を溢れ出させないとならないことに、私は嫌気が差していた。
そう周囲に伝えたところ、「フェリシア様はほとんど何もしなくて良いですから!」と頼み込まれたため、仕方なく聖女の言う悪役令嬢を演じてやろうと思ったのである。
だが、実際に演じてみたところ、悪役令嬢になるのは非常に簡単だった。
なんたって、彼女の前に立てば勝手に転んで悲鳴を上げてくれるし、彼女の横を通れば自分の持っている本を自分に投げて喚いてくれるし、もはや私がいなくても紅茶を飲んで倒れてくれた。
ちなみに最後の紅茶については、王城で一番淹れるのが上手な侍女に頼んだのだが、聖女は「あんな紅茶飲んだことないわ!偽物よ!」と怒鳴っていたという。多分、それは今まで聖女が飲んできたものの方が偽物だと思う。
まあそんな感じで、私としては意外と見てて楽しかった聖女との生活も、明日で終わりを迎える。彼女を異世界へと帰すため、帝国へと戻る日になったのだ。
我が国のお偉いさんたちは勿論、彼女と共に旅をしている帝国の皆さんも、恒常的に悩まされていた胃痛からようやく解放されると両手をあげて喜んでいた。そして、その晴れやかな気持ちで開催されているのが『聖女様さよならパーティ』。つまり、今、私が出席しているパーティである。
何時間も前からあれやこれやと準備をさせられ、パーティが始まる前から疲れたので、始まる前に王太子に「帰っていいですかね」と聞いたら、「それはちょっと……」と言われた。
8割くらいは冗談で言ったのだが、どうやら王太子は5割くらい本気で言ったと思ったらしい。パーティが始まってこの方、一切そばを離れない。少しでもそばを離れようものなら、「フェリシア?」とにっこり笑顔で威圧される。いやあの、そこらへんのメロンでもつまもうと思っただけですよ……。
大体、王太子の隣にいると、国のお偉いさんが続々と挨拶に来るので面倒……ではなくて、気が抜けないのだ。
私が口を開くのは、最初の「ごきげんよう」と最後の「ええ、また」くらいのものだけれど、王太子が政治っぽい難しい話をしているときには、さも理解していますというような真面目な表情を浮かべ、偶に王太子が「フェリシアはどう考える?」と聞いてくるときには「そうですね。非常に判断が難しいお話ですね」と返さなければならない。
ちなみに、王太子は私の性格を十分に把握しているため、私がそう答えてよい時にしかそもそも聞いてこない。私たちは幼馴染でもあるのだ。
そんな感じで一通り挨拶を終えた頃、
「あ!アルさま見つけた!!」
会場に明るく可愛らしい声が響き渡る。
艶やかな黒髪を……振り回しているなあれは。聖女が全力で駆け寄ってくる。
隣で王太子が「うわ来た」とこっそり呟いた。私としては、なんかちょっとわくわくしているなどということは、申告しないに限る。
私たちの前でキュ、と音を立てて止まるつもりだっただろうに、止まりきらずにずっこけた聖女。侍女たちの努力でピカピカに磨かれた床が、まさかここで真価を発揮するとは。
ガバリと身を起こして私を指差すと、
「図ったわねこの悪役令嬢!」
いや私はまだ何もしていない。
だが、これが彼女の通常運転である。怪我もなく元気な様子に頑丈な子ねと感心した。
「あなた、まだアルさまにつきまとっているのね!いい加減あたしに譲りなさいよ!」
「譲られると我が国が滅びます……」
聖女の後ろで未だ胃痛に悩む帝国人が弱々しく言った。
我が王国の方が帝国よりも力があるので、彼女の懸念はもっともである。我が王国の誇る優秀な王太子を誑かす女を呼んだことに怒り狂った、王族をはじめとする重鎮たちに叩き潰されてしまう可能性がある。
「あたしがヒロインよ!あなたなんかよりあたしの方が王太子にふさわしいんだから!!」
「あ、じゃあどうぞ」
「いやちょっと待て」
王太子から制止された。
両肩に手を置かれ、王太子と向き合わされる。
「フェリシア」
「はい、殿下」
「悪いが、少し黙っていてくれないか?」
「分かりました」
黙っておくのは得意である。
幼い頃から、あなたはもう黙って立っていたら大丈夫だから、と何度言われたか分からない。王太子妃教育は完璧なのになあとぼやかれるが、それはそれ。これはこれである。スペック高く産んでくれた両親に感謝だ。
王太子は聖女に向き直り、「聖女どの」と呼びかけた。
「1年にわたるお勤めお疲れ様でした。自国へとお帰りになった後のあなたのご活躍を、遠い地からお祈りしております」
すごい他人行儀な言葉を告げる王太子。
「いいんだよ、アルさま!素直になろうよ。王太子としての重責に耐えられないんでしょう?逃げたっていいの。あたしが許すよ」
すごい脈絡のない言葉を放つ聖女。
でも、もうすぐこの世界からいなくなる人に許されても、この世界の人からは許されない気がする。
それと大事なことを言うと、王太子はプライドが高い。大切なことだから2度言う。王太子はプライドが高い。
「王太子という立場は、責任のある地位です。それは確かだ。ですが聖女どの。私はこの地位を、重責だと感じたことはありませんよ」
「いやそれは嘘」
ぼそりと突っ込んだ。王太子が私を見た。
「フェリシア?」
「はい、殿下」
「少し黙っていよう」
「ええ、勿論です」
黙っておくのが得意なのは本当だ。けれど今のは、さすがに嘘が過ぎたのでつい口を出してしまった。
王太子が仕切り直すように咳払いをする。
「それに聖女どの。私は、フェリシア以外の者を私の隣に立たせたいとは思わないのです」
まあ、私以外との婚姻は国を乱すだけですからね。
真っ直ぐに聖女を見据えての宣言に、周囲で見守っている参加者たちは「おおー」と拍手している。だが、肝心の聖女には上手く届かなかったらしい。
うるうると瞳を潤ませた聖女は、ギュッと両手を胸の前で握る。
「……アルさまかわいそう。そんなことを言わされるなんて」
「それは違う、聖女どの。これは私自身の気持ちです」
「そんな……っ。本気で言っているの!?」
目を大きく見開いてグッとこちらへ身体を寄せ……ようとするが、帝国人に「後生ですから」と腕を掴まれ阻止されていた。同じ頃、横で王太子が指を鳴らした。
諦めることを知らない聖女は、腕を掴まれたまま、キッと私を睨みつけると、
「最低よ、悪役令嬢!アルさまを洗脳し……って、ちょ、あなたたち、なに……っ…」
突然わやわやと寄ってきた侍女と騎士と重鎮たちとその家族たちが、聖女の周りを取り囲む。
彼女たちは口々に「まあ聖女さまお会いしたかったです」やら「おお聖女様。ぜひ貴国のお話を聞かせてください」やら「わー聖女様とっても可愛いー」やら、聖女に口を開く間を与えずに言い募り、私と王太子の前からじわりじわりと離していく。
これぞ、我が国の誇る臣下たちのチームワークだ。王太子が指を鳴らすと、彼女たちは待っていましたとばかりに登場する。いっそ初めから彼女の周囲を固めておけばよいのでは?と思うが、それでは燃費が悪いらしい。燃費ってなに?
それに、仮にも彼女は聖女なので、呼んだ帝国の面子を保つ意味でも、聖女という名前に敬意を示す意味でも、最初から見えないように囲むのは良くないらしい。正直、仮にも、って付けている時点で敬意があるか怪しいものだと私は思うけれど。
それと、王太子が小さい声で「洗脳するほどフェリシアにやる気があれば俺だって苦労しない……っ」と嘆いていた。
まあ落ち着いてくださいよ。とりあえずメロンでも食べますか?
気を取り直した殿下が私を見つめる。
「いいか、フェリシア」
「はい、殿下」
「俺は、何があっても君と結婚するからな」
「ええ、殿下。承知しておりますわ」
だから殿下。とりあえず今日はそろそろ帰ってもいいですか?
「……そうだな。俺も疲れた」
「あらまあ。大変ですね」
「ものすごい他人事感」
君はもう少し当事者意識を持つべきだ、と文句を言われるのを右から左へと流しながら、私たちはパーティ会場から外へ出た。そしてそのまましばらく歩くと、私がいつでも帰れるようにと待ち構えていた我が家の馬車に辿り着く。
馬車に乗り込む前に、王太子が私の手を取り、軽く口付ける。
「では、またな」
「はい、殿下」
「おやすみ、フェリシア」
「ええ、おやすみなさい。ーーーアルバート」
そっと落とした名前に、王太子は満足そうに頷いた。
ありがとうございました。