第6話 開戦
川の水音が耳を洗い流す。
大地の温もりが心を温める。
太陽が世界に色を塗り始め、あらゆる命が動き始める。
ああ・・・なんて素晴らしき朝・・・・・
ゴスッ
「いったぁ!!!」
強烈な衝撃が頭部を襲った。
「起きたか!眠り姫さんよ!!」
声のほうを見ると、ブローズがにっこにこで空を飛んでいた。
地面には割れた木の実が転がっている。どうやらブローズは空からこれを僕にぶつけてきたらしい。
「頭にぶつけるのはやばいでしょ!?」
「すごいだろ!得意なんだぜ!」
「やっていいこととやっちゃだめなことってもんが・・・」
「この木の実はな、ミギノメのために採ってきたんだぜ!」
「ぼ、僕のために?」
「お前いつもメシはどうしてるんだ?」
「街のゴミ箱とか漁って食べてるよ。」
「げ、ま、まじかよ。お前すげえな。行くとこまで行っちゃってる感じだ・・・。」
カラスはそういうのは当たり前にやっているイメージだったけど、どうやら彼は違うらしい。
「ブローズは漁ったりしないの?」
「俺はそんなかっこ悪いことしないぜ。そういうのはなんとなく《《人間に生かされている》》感じがしてな。もっぱら森での狩りが基本だ。」
「狩り?」
「と言っても、狩るのはこういうものだ。」
ブローズは近くの茂みを何やらごそごそとする。
そうして持ち出してきたのはいくつかの木の実と数匹の芋虫だった。
「ぎゃあ!そんな!うねうねと!」
「なんだ!急に大声出して!」
「その虫だよ虫!気持ち悪いんだ!」
「虫が気持ち悪いって、そんなカラス見たことねえぞ!」
「気持ち悪いものは気持ち悪いの!無理だそれを食べるのは!」
「ちっ、なんだよ。肉厚なの選んできてやったのによ。」
「ありがとう!気持ちだけ受け取っておくから!ありがとう!」
ブローズは悲しげに芋虫を後方へとしまうと、僕の前に木の実を数個コロコロと転がした。
「さすがに木の実はいけるよな?」
「うん、さすがにね。」
「だよな。よし、食べていいぞ。
俺はこっちを頂くからな。さぁおいで芋虫ちゃん♡」
ブローズは目を細めながら至福の表情で口をチャムチャムと鳴らしている。
木の実か。人間だった頃も合わせて口にした経験はないが、果たしておいしいのだろうか。
僕は恐る恐る木の実を口の中に運ぶ。
舌で転がしたり甘噛みしたり。
そして、
ゴリッ・・・
「かた・・・・・」
「なーにやってんだ。そのままで食べれるわけねえだろう。」
ブローズが呆れ顔で諭す。
「いいか?木の実はこうやって食え。」
ブローズは僕の前に転がっていた木の実の中から一つチョイスすると、それをくちばしで突いたり足の爪でガリガリやったりした。
「こうすると・・・」
木の実は二つに割れた。
「ほらな!で、この中に入っている実を食べるわけよ。」
なるほどと僕は見よう見まねで木の実を襲う。
なかなかに難しいものではあるが、一応木の実を食料として扱えるようにはなった。
「・・・お前、いくつなんだ?体は大人カラスなのに、中身は子供見てえだ。」
「ほうはな?(そうかな?)」
「だって木の実の食べ方知らない大人カラス見たことねえぞ。なんか口ばしの使い方とかもうまくないし、まるでつい最近カラスになりましたーって感じだぜ。」
鋭い。
「いくつなんだ?」
答えるべきは人間としての年齢?
それともカラスになってからの年齢?
人間の年齢をカラスの年齢に換算したもの?
「・・・・わからない。」
「は?」
「よくわからないんだ。」
「・・・・まあ生きてりゃいろんな事情があるもんな。でも、いつか聞かせてくれよ、お前の話を。」
「うん、いつかね。」
僕の事情を話したら彼はどんな反応をするんだろうか。
この世界がライトノベルの世界だと話したら彼はどんな反応をするんだろうか。
僕にはあまり前向きなイメージが浮かばなかった。
「ぐぐぅ・・・・」
「どうした?」
「この木の実硬すぎて全然開かないんだよ・・・。」
「へっへっへっ、そういう時にさっきのあの技術が役立つわけよ。伏線回収ってやつだ!」
「???」
「そろそろ時間もちょうどいいころだな。よし、王国に行くぞ。」
「・・・わかった。」
今日も引っ切り無しに客が往来する城下町の市場。
そこを見下ろすようにして、僕らは家の屋根に止まっていた。
「これはこの俺ですら習得には時間を要した。今ここで手本を見せるから、あとは自分で練習を繰り返すんだな。」
何をするつもりかはわからないが、頷くしかないから僕は首を縦に振る。
「よし、見てろ。」
ブローズは足に抱えていた硬い木の実を口にくわえなおし、空へと飛び立つ。
そのまま市場上空をふわふわと旋回している。
何かのタイミングを計っているようだ。
シュッ!!!
なんの前触れもなく、ブローズは熟練の速さで木の実を撃ち出す。
目で追うのがギリギリな速度で地面のほうへと向かう木の実。
そして、
バキッ!!
「あぎゃあ!!」
音速の弾丸はリンゴ屋のジョーイの後頭部を捉えた。
およそ人の頭から聞こえてはいけないような音を立てて。
ヒットを確認するや否やすぐさまブローズは直滑降で木の実の中身を搔っ攫っていく。そしてその勢いに乗ったままグインと滑空しこちらへと舞い戻ってきた。
「どうだ!すごいだろ!」
「あー!ちくしょい!またあのクソカラスだな!」
「あんたが石頭なのは、カラス界隈でも有名なんだねぇ。」
「やかましいわ!今度見つけたら鳥鍋にしてやるからな・・・・・」
「今のって・・・」
「そうだ。今朝お前を起こした時にも使ったテクだ!」
「くだらないことやってるんじゃないよ・・・」
「くだらないことじゃない。生きるために必要なことさ。ほら、あのリンゴ屋だってあんなに嬉しそうにしてるじゃねえか。」
「あれはどう見ても怒ってるでしょ・・・」
「そうか?まあどっちにしろ俺には関係ないことだ!」
僕はため息交じりでジョーイのご立腹を眺める。
「あのな、今日は、今日はというか今日も!お前を連れていきたいところがある。」
「どうせお城でしょ?」
「よくわかったな!今日は王様の部屋を見に行くぞ!」
「え、そんなところ見れるの?」
「人間なら難しいだろうがな。カラスからしたら朝飯前だ!・・・もう朝飯は食べたけどよ。」
権力者の部屋なんぞ見たことがなかった僕は、少々興奮の煮え立ちを感じた。
「あのお城。」
ブローズは城のほうを指差す。羽根で。
「あの城に三つの塔があるのが見えるか?」
ブローズの言う通り、カホーゴ城には三つの塔が等間隔でそびえたっていた。
「見えるね。」
「あの三つの塔は左から、王様の部屋、姫様の部屋、そして女王様の部屋になっている。もちろん女王様の部屋は、今は家具と本が数冊置いてあるだけで誰も住んではいないけどよ。」
「なるほど。」
「で、人間はあーんな高いところには簡単には登れないけど俺達カラスからしたらなんてことはないし、部屋の中に入るのも部屋を覗くのも石造りの窓から一発ってわけだ。」
「カラスって便利だね。」
「まあ確かにな。よし!じゃあ早速行こうぜ!うーん楽しみ!」
「行こう行こう。」
ほどなくして、僕らはダイナ王の部屋の着いた。
「(なんか・・・意外に・・・・・)」
木でできた家具の数々。
よく見ると全ての角が丸く削られている。
ベッドもその異常なサイズ感以外は比較的普通のものであり、その上にはダイナ王がいつも着ているローブとほぼ同色の濃緑の布団が敷かれている。
ダイナ王の部屋は、僕自身が想像していた権力者のそれよりもはるかに親しみと温もりを感じるレイアウトであった。
部屋の中ではダイナ王が机に向かって読書をしている。
「どうだ、王様の部屋は!」
ひそひそ声でブローズは聞く。
「・・・すごい本の数だね。」
ダイナ王の体のサイズに合わせたかなり広めの間取りながら、その部屋の壁一面には大量の本がぶわーッと本棚に敷き詰められていた。
「なんか、豪華とかそういう感想じゃないのか?」
「豪華?豪華・・・うーん豪華・・・・?」
「もしかして、お前結構なお坊ちゃまカラス・・・?」
コンコン
部屋に優しくノックが響く。
「入ってよいぞ。」
ダイナ王はその音の主を迎え入れる。
入ってきたのは
「(メイディだ!)」
「おっ、あいつ姫様といつも一緒にいる爺さんじゃねえか。」
「どしたんメイディ、話聞こうかー?」
「(なんかこの王様めっちゃフランクだなぁ・・・・)」
「ええありがとうございます。実はハンナ様の件なのですが」
「なんじゃとー!!??」
「まだ何も言っていません。」
「ああそっか・・・」
「実は、ハンナ様がかなりしつこくおねだりをしておりまして・・・」
「おー!なんじゃなんじゃ!我が子が欲しがる物を与えるのはマジ至福の喜びって感じーー!」
「それが・・・おねだりしているのは物ではないのです。」
「?」
「ハンナ様は、スパイになりたいと言っております。」
「なんじゃとー!!??」
「えぇ!?」
「おわぁっ、なになに?なんて言ったんだ?」
いや、冷静になって考えてみればこれは驚くようなことではない。
僕が転生したのは『箱入りお嬢様はスパイになりたい!』の世界。
そのタイトルが既にこの未来を物語っていたではないか。
いつか訪れるとわかりきっていた、その時がとうとう来ただけのことである。
「な、なぜ急にそんなことを言い出したのじゃ・・・?」
「はい。ダイナ様は以前ハンナ様が森へ行くことに反対されておりましたが、その影響でハンナ様は自室で退屈そうにされておりました。なので私は市場で読み物を数冊仕入れてきたのですが、どうやらその中にスパイを題材とした物語があったようでして・・・」
「それでその本に影響を受けて、ってことじゃな・・・・」
「申し訳ございません、私が確認を怠ったがために・・・」
「なーにを言っておる。元を辿ればわしの親バカが祟ったのじゃ。娘の自由を奪ってしまったわしの責任じゃ。」
「・・・・・・」
「よしわかったぞ。メイディ、ハンナをスパイにしようではないか!」
「なっ!??」
「えぇ!?」
「おわぁっ、なんだよずっとなんの話をしてるんだよあの二人はよ!!」
僕はブローズに話を要約して伝える。
目玉が飛び出そうになっていた。
「しょ、正気でございますか?」
「慌てるでない、メイちゃん。」
「「(メイちゃん・・・?)」」
「よいか。狙いはハンナを本当にスパイにすることではない。スパイの訓練を受けさせ、その中でスパイになることを諦めさせる。それこそがわしの真の狙いじゃ!」
メイディは感心した様子で頷く。
「なるほど。では、その訓練は誰が担当するんです?」
ダイナ王は目で答えを出す。
「・・・私では力不足でございます」
「お主で力不足なら、この国で他にその役が務まるような者はおらんよ。ミスター元スパイ。」
「・・・わかりました、やれるだけやってみます。」
「うむ。じゃっ、なんかあったらまた呼んでね~♪」
メイディが退室した後も、ダイナ王はしばらく物思いにふけっていた。
メイディに一任したものの、やはり親としての葛藤や苦悩がそれなりにあるのだろう。
「とんでもない場面に出くわしちまったな。」
森の寝床に帰ってきた僕とブローズは、今日の出来事の感想戦に興じる。
「なあなあ、ほんとにあの温室育ちなお姫様がスパイなんかになるのか?」
「王様とメイディは諦めさせるつもりだろうけど、どうだろうね。」
「訓練はいつ始まるんだろうな。」
「ハンナは行動力お化けだから今日始まってもおかしくなかったけど、メイディ側も準備があるだろうし明日の朝からになるだろうね。」
「うっひょーこれはおもしろくなってきたぜ!なあ!」
「うーん・・・心配だけどなぁ・・」
「なーんだよお前も王様と同じで心配性だなぁ全く。」
「とりあえず明日から様子を伺いに行こう。」
「おう!もちろんだぜ!」
・・・・・・ん?
「じゃあまたなー」
「ちょ、ちょっと待って」
「なんだ?」
「今なんかそっちのほうで何か動かなかった?人のような何か・・・」
「はぁ?いや、別に何も気にならなかったがな。」
「そう・・・それならいいんだけど・・・」
「じゃ、帰るぜ。」
「うん、また明日」
・・・?