第16話 明晰夢
「・・・・ん?」
体感では朝を迎えた気がするのだが、なんだか日の差し方がいつもとは違う。
どこか曇った感じの差し方だ。
だがそれに反して体には幾分もの温かみと重みを感じる。
僕はゆっくりと瞼を上げる。
そこに映ったのは見慣れた天井。
いや、久しぶりに見た天井だ。
自分の身体の方を確認する。
見慣れた布団だ。
いや、久しぶりに見た布団だ。
「布団・・・?なぜ布団が・・・?」
僕は体を起こそうとした。
だがうまく動けない。
懐かしい気持ちとどこか新鮮な気持ちが脳内回路を往来する。
布団から手を出した。
それは手であった。
翼ではない。
「え・・・?」
僕の身体は、白鳥令に戻っていた。
何が起こったのか。
翼をもがれた僕は、頭を整理するためにベッドに座り込む。
まさか、戻ってきてしまったのか?
いやいやちょっと待ってくれ。
あまりにもそれは唐突すぎるだろう。
まだ明日があると思っていた。
まだ皆に会えると思っていた。
そこにこんな仕打ちである。
それはないでしょう神様。
僕は辺りを見渡してみる。
ここはどう見ても僕の部屋だ。
人間だった頃の僕の部屋だ。
だがなんと言えばよいだろうか。
空虚だ。
こんなにも寂しい感じであっただろうか。
それにどこかぼやけて見える。
僕は立ち上がり、
陽が漏れ出すカーテンを開けてみた。
パッと見ではあの日のままであるが、
やはりその輪郭ははっきりとしない。
それに車の走る音や人の声すら聞こえないのだ。
そもそも存在しているのだろうか。
僕は不思議な感覚に頭をかき回されつつも、
パッと机に目をやる。
小さな文庫本がそこには置かれている。
手に取ってみるとやはりそうであった。
『箱入りお嬢様はスパイになりたい!』だ。
表紙に描かれている元気いっぱいの可憐な少女。
ハンナ。
その元気は今も健在なのだろうか。
最後に見た時のハンナはメイディと馬が合わなくなり
かなり落胆した様子であった。
またあの子の笑顔が見たいな。
またあの子を笑顔にしたいな。
ハンナは僕にそう思わせてくれる、
かけがえのない存在だ。
実際に会い、話をし、時間を共有したことで、
ここに描かれているキャラクター達は僕にとっては替えのきかないものとなっている。
・・・・そういえば、僕はこの本を最初の数ページしか読んでいないんだった。
僕は本をパラパラとめくり
以前読み進めていた地点を探し求める。
あった。
ああそうだ。
最初は執事の視点から始まるんだったな。
この執事とは無論メイディのことだ。
さらに僕は読み進めてみる。
おっ、出てきた出てきた。
ハンナの登場だ。
思わず笑みがこぼれてしまう。
なんか卒業アルバムを開きながら懐かしんでいたあの日あの時の感覚によく似ている。
今まで読んだ本の中で一番面白いや。
ん。
『ハンナは森の中で一羽のカラスが倒れているのを見つけた』・・・・。
これ僕か?
僕のことが書いてあるのか?
元からなのだろうか。
僕はもとからこの世界の住人として描かれていたのだろうか。
もし元から描かれていたんだとしたら。
僕の本来の姿はミギノメで、逆に白鳥令が本当の姿ってこと?
・・・いやそれだけはない。
僕が白鳥令として生きてきた十数年間は何だったって話になる。
ではなぜここに僕が登場人物として書かれているのだろう?
・・・僕はいったい何者なんだ?
白鳥令じゃないのか?
ミギノメはなんなんだ?
・・・駄目だ。考えていたって仕方が、
・・・・いやこれは僕のアイデンティティに関わる部分だろう。
そこがぶれていてはっきりしないのは人として、いやカラスとして?良くないことだ。
もう少し読み進めてみよう。
なにか手がかりがあるかもしれない。
最初こそメイディの視点で書かれていた物語だったが、
途中からは完全にハンナ視点だ。
『ハンナはカラスのお友達に会いたいと伝えましたが、ダイナ王はそれを断ります。まったく王様の考えることはよくわかりません。』
・・・いや、わかる。
それはもう大切なものを失いたくなかったからだ。
『ハンナはカラㇲのミギノメでも着れるサイズの服をプレゼントしたいと思い、暇なときに編み物を始めました。多少ぐちゃぐちゃながらもやっとの思いで完成させましたが、渡そう渡そうと思いながらいつも忘れてしまいます。果たして渡せる日が来るのでしょうか?』
・・ええ?そうなの?
僕のために編み物を?
これは知らなかった。
『大好きだったはずの訓練。しかし、最近はあまりうまくいきません。訓練の内容が?違います。その他諸々の要因含めてです。』
・・・あれ、これは僕にとっても最近のお話ではないだろうか。
『風邪をひいたり、訓練の内容が合わなかったり。』
・・・そうだな、たぶんそうだ。
『ハンナはすっかり元気をなくしてしまいました。こんなに元気がないのは大好きなサーモンソテーを床に落としてしまった時以来です。』
そうなんだ。
『しかし、その落ち込みに陥る中で』
『ハンナは爺やに対して』
『一つの違和感を感じていたのです。』
・・・え?
『たしか爺やは、』
文章はそこで終わっている。
文庫本として正規に出版されたものなはずだが、
それ以降が全くの白紙なのだ。
メイディに違和感?
あれか。
妙に元気がないことか。
いや、朝迎えに来なくなったことか?
待て、訓練内容が急に楽しい感じではなくなったってのもあるぞ。
なんだろう。
まあでもきっとそんなところであろう。
これこそ気にしても仕方のないことだ。
僕は本を閉じ机の上に置きなおす。
そして後ろを向き、僕の部屋の扉の方へと向かった。
外はどうなっているのかと気になったのだ。
僕はゆっくりとその感触を確かめるかのようにしてドアノブを握り、
未知の領域へと足を踏み入れた。