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「本姫」

僕は夏が心底嫌いだ・・・じゃあ他に好きな季節があるのかと聞かれれば無いと即答する。他の季節は幾分かマシなだけであって好きなことはない。現在暦は八月、世の中は夏真っ盛り。町中のあちこちで陽炎が立ち上り、スイカや瓶ラムネがスーパーに立ち並ぶ。世の中の大半が浮足立ち理性を失う季節。僕はそんな季節が嫌いだ。

 今日も最高気温は35℃を超えている。本当にどうしようもない暑さである。この現代のコンクリートジャングルな町の構造が悪いのであれば今すぐにでもこのビル群を爆破したい気分である。まぁ実際そんなわけにもいかないので、少しでも暑さをやわらげようとビルの日陰を重い足取りで歩く。陰鬱とした気分の僕なんか目に止めずに日当たりのいい場所を走り抜けていく子供たち。まぁ僕も高校生なので子供なのだが・・・

 高校に入って一年と四か月。それなりにうまくやれている気がする。教室で独りぼっちということもないし、成績の低迷とかもなくクラスメイトとワイワイ楽しく学校生活を送っている。いじめられているアイツだったり、教室でずっと突っ伏しているあの子なんかよりはよっぽど良い日常を過ごしている。だが・・・漠然と乾いているのだ。満足しないこの心・・・原因不明のこの満たされない気持ち悪さ・・・厄介である。満ち足りているからこその贅沢な悩みというのは理解している。

「何なのだろうか・・・」

人気のないビル街の中ぽつり呟く。そんな小さな声は蝉の大合唱でかき消される。午後の水泳の授業による塩素の匂いがふわりと香ってきた。


次の日

「ふぁ~」

あくびをしながら学校を出る。グラウンドのほうから部活に勤しむ声が反響して聞こえてくる。一方の僕は帰宅部である。この高校は特に部活動を強制はしていないため、僕は迷わず帰宅部に入った。多くの生徒がそうするであろうかと思っていたが、逆に大半の生徒が何かしらの部活に入って、汗水流し動いている。最初はそんなに気にならなかったが、周りが何かにひたむきに頑張っていると何もしていない自分は大丈夫であろうかと不安になってくる。だが今更何かを始めるのも億劫に感じる自分もいる。そんなこんなで悩みながらいつもの帰宅路を辿る。

「ん?なんだあれ?」

ビルの間にぽつんと建てられた看板を見つける。看板には「古本屋 善生堂」と書いていた。今までこんな看板を見たことはなかったが、新しくできたのだろうか?少しの好奇心に引かれ、僕はふらふらとビルの隙間を歩く。突き当りには平屋の古い日本家屋があった。正面には木の板に善生堂と書いてある看板と、古本が綺麗に敷き詰められた棚がずらりと並んでいた。外から見る限り普通の古本屋なようだ。警戒心を持ちながら少し外から様子を見てると後ろから、カランカランと足音が聞こえてきた。それに気づき振り向くと、下駄を履いて髪を後ろで一つ結びにした、半袖柄シャツでワイドパンツの眼鏡のお姉さんが居た。属性が盛られすぎた人が来て固まってしまった。

「そこの少年、私の古本屋に何か用かの?」

「え?あ、あぁ店主さんですか、すいませんお店の前できょろきょろしちゃって、今帰るので。すいませんでしたぁ〜」

僕は早足に帰ろうとするも、通せんぼされてしまう。

「まぁ、待ちなされ。せっかくの縁ですし、お店で少し飲み物でも飲んでいきなさいな。興味があるのであれば本も読んでいきなさいな」

そう言われ断るのも申し訳なく、お店のほうに歩いていく店主さんについて行った。 

「ここにはどういう経緯で来たのか覚えておるかの?」

ゆったりとお姉さんはな話す。言葉の端々に古風な趣を感じるが、なんとなく違和感も同時に感じていた。

「そこのビルの隙間に看板出ていたので、気になって入ってきました。それにしてこんなビルの間に古本屋さんがあるなんて知りませんでした」

「それは運の良い少年だ。ここを解放するのは私の気まぐれによるところが大きいからね。今日はゆっくりしていきなさんね」

店主さんは狭い本棚の間をカランコロンと音を立ててゆっくり歩く。時折本棚から本を取り、題名を見ると腕に抱えていく。4冊ほど手に取ったあたりで、少し開けた空間に出た。正面にはカウンターがあり、その奥にもは木製の椅子と平積みされた書籍があった。カウンター手前には向かい合ったソファーと低めのテーブルがあり、配置としては応接室だが、雰囲気はお洒落なカフェである。

「少年そこに座るといい」

店主さんはソファを指差し言う。僕は言われるがまま座る。

「少年はコーヒー飲めるかい?」

「はい。飲めます」

「今日は暑いからアイスコーヒーにしておくね。あミルクと砂糖はいるかな?」

「お願いします」

「素直でよろしいじゃないか」

カウンター裏で店主さんがカチャカチャと茶器の準備をしている。下に冷蔵庫か保管庫があるのか、しゃがんで立ち上がったらコーヒーの入ったピッチャーが出てきた。中にはコーヒー豆の入ってあるであろうパックが浮いていた。

「水出しコーヒーだよ。最近コーヒーを飲み始めたんだけど、ドリップとかペットボトルはどうにも合わなくてね。コレが一番まろやかで美味しかったから気に入ってるんだ。昔は苦いだけで美味しくなかったのに、いつのまにか好物だよ」

そう言うと店主さんはコーヒーを淹れたグラスを僕の前に置いてソファーに腰掛けた。

「ありがとうございます」

「いえいえ」

静かに微笑む店主さんは不思議なくらい美しく見えた。

「少年、唐突だがここのルールを君は知ってるかな?」

本当に唐突だった。

「古本屋にルールなんてあるんですか?」

なんだろう?ローカルルール的なモノがあるのだろうか?それとも独自の掟のようなものか?

「古本屋というより、ここだけのルールだ。大丈夫、そんな難しい事じゃないし、ルールもひとつだけだよ。ここでは通貨の価値はないよ。つまり私は通貨による本の販売はしてない。」

店主さんが微笑みながらおかしなことを言い始めた。

「お金に価値がないのなら、ここで価値あるものってなんですか?」

率直な疑問が飛ぶが、何となく答えの分かっている疑問である。

「ここでの価値ある物は本だよ。もし本が欲しいなら私の気にいるような本を置いていくだけで良い。あとは私の気まぐれだよ」

なかなかに攻めたルールだ。貨幣経済が回るこの世の中でどうやって生きていっているのだろうか?だが、このソファーに来るまでに店主さんの本好きの度合いの一端を垣間見た自分としてはありえない話ではない気がする。

「まぁこのルールと、少年が本を買うかどうかは別の話だよ。本を置いて行かなくても、好きなだけくつろいで行くと良い。じゃあ私は本を読んでるから、少年も好きなことしなよ。本の立ち読みも歓迎だよ。ただ帰る時は一声かけておくれよ。無言で帰られたら寂しいからね」

店主さんは眼鏡の位置を少し直すと、本に目を落とした。僕はコーヒーを少し飲む。コーヒーはとても美味しかった。確かにまろやかで飲みやすくおいしい。無言の空間にページをめくる時にでる、紙の擦れる音だけが鳴る。とても心地のいい空間だ。様々な音に溢れる現代にも、こんな静かな空間があったのかと少し感心する。ただ問題が一つだけあり、僕は本というものをほぼ読まない生活を送っているため、どの本を読もうか、この中から探しだす方法を持ち合わせていない。しばらくきょろきょろしていると、店主さんが気づいたのか話しかけてきた

「何だい?少年?どの本を読むか迷っているのかい?それともコーヒーが口に合わなかったかな?」

僕は慌てて答える。

「いや、そんなことはないです。ただ、恥ずかしいことに僕は本をほぼ読まないもので、どう選ぶのかよくわからなくて・・・」

「なんだ、そんなことなら私に聞けばよかったのに。少年、聞くことは恥ではないよ。皆誰しも最初はそんなものだ。どれ、私と少し本を探しに出ようか」

店主さんは読んでいた本を閉じコーヒーを飲み干すと、立ち上がり本棚に向かっていった。

僕はついてこいと言われたわけではないが後ろに続いて歩いていく。ゆっくりとした足取りでカランコロンと下駄を鳴らしながら歩く店主さんは妖艶だった。

「そういえば本を選ぶ前に少年に一つ聞かなきゃいけないことがあるね。少年は本を読まないのか、読めないのか、どっちだい?」

「読まない・・・ですかね?」

店主さんは何を聞いているのだろうか?この識字率ほぼ100%の国で本を読めない人間は少ないのではないのだろうか。

「そうか、少年は本を読めるけど読まないというタイプか」

何か含みのある物言いに少し不安になる。

「少年に少し昔話をしよう・・・最近はもう文章の読み書きというのは当たり前になってきていて、この国では当たり前のように一般人が文字を書き、物語を紡ぐ一般人だっている。とても素晴らしいことだ。ほんの少し昔では考えられないことだった。文字は偉い人のもので、文化が一般人まで下りてくることだってほぼなかった。昔の文化の担い手は上流階級の人間がしていたが、今はすべての人間がその権利を持っている素晴らしい世界だとは思わないかい?だから現代に生きる人間は例外があるにせよ幸せだよと、私は思う」

「店主さんは何が言いたいのですか・・・」

僕の警戒心が強まる。

「あーそう警戒しないでくれ。人の話は最後まで聞くものだよ・・・私はね、女だからという理由で教養から遠ざけられていた人を知っている。その人は割といい家系の人だけど、獅子奮迅の如く勢いで、運命とか規律とか理不尽さというものにあらがっていた。結局その子は教養を得るチャンスをつかみ取ったんだ」

「良い話ですね」

そっけなく僕は答える。

「そうだろ」

店主さんは嬉しそうに答える。

「では、ここからが本題だ」

店主さんが突然立ち止まり、振り返る。

「少年は、なぜそんなにつらそうなんだい?」

「・・・何を根拠に言っているのですか?」

「根拠?私の直感だよ。それにそう聞くということは、あながち間違いじゃないのだろ。話してみなよ。この充足感で満ち溢れたはち切れそうな現代での不満を」

僕は店主さんから目をそらし、最近感じていることを駆け足で話し始めた。

「何かが欠けている気がするんです。それは明確にはわからないし、現状どこかに不満があるわけではないけど、何かが満たされていないんです。何をしてもこれじゃない感がある・・・それだけです。でも人生ってそんなものでしょ」

店主さんの顔に目線を戻す。少しも笑ってなかった。

「今の話で少年の全てをわかった気は全然しない・・・けど、年長者として少年にアドバイスをしようと思う。いいかな」

「どうぞ、ご勝手に」

店主さんはまた歩き出した。

「きっと今の言葉に嘘偽りはないのだろうけど、まだ君の中でそれは本音とは程遠いところにある。何故かと言われれば、経験値不足だろう。この情報にあふれた現代は、感性が鋭い人間には少し刺激的すぎる。けどね、私はその感性を大事にしてほしい。今はまだ他人から感じ取ったことが自分の中で渦巻いて、不甲斐なさだったり無力感にあふれているのだろうけど、それは悪いことじゃない」

僕は立ち止まる。店主さんも気づいたのかこちらを振り向き立ち止まる。

「どうだい、自分のことを言語化される気分は。まぁまぁ悪くはないだろ」

いじわるそうに笑っている。

「現状の整理ができたら後は簡単だ。苦しいだろうけど、もがくしかない。手足ばたつかせてどんどん苦境に突っ込んでいくしかない」

僕はぽかんとする。

「いや、それって解決というより・・・悪化させろということですか?」

「そうだよ」

「そうだよって言われても・・・」

「なら言い方を変えよう。少年は今、ぬるま湯につかっているんだ。とても心地が良いだろ。でも隣では熱湯に使って頑張ってる人がいる。それを見て不安になるんだ。今の自分はこのままでいいのかと・・・多分多くの人間がぬるま湯につかってる。でもそれに危機感を抱く人間は少ない。少年は珍しい例だ、誇りなさい。お国柄のせいか隣の人に倣ってしまうのもわかるが、そういう人間は熱湯から抜け出した時の爽快感を知らず生きていく。少年は少し頭がよさそうだからここまで話せば、私が何を言いたいかおおよそわかると思う」

「はい・・・」

僕は静かに返答する

「いい子だね。少年は今日から苦しくて辛くて大変で尚且つ長い道のりを歩いていくことになると思う。時には立ち止まりもするだろう、寄り道もするし妨害もある。でもそれを抜けた時は、きっと今よりも楽になっていると思うよ」

店主さんは話し終えたのか、僕の手を引き店の前までカランコロンと歩く。僕は黙って下を向いていた。

「それじゃあ少年、今日はここまでだ。コーヒーの代金は次回払っておくれ」

「え、お金かかるんですか!?」

あんなに無料の雰囲気出てたのに。

「言ったでしょ、ココではお金は役に立たないよ。本を持ってきなさい」

「そのルール本当だったんですね・・・」

「本当だよ。けど今回は少しお悩み相談もしているから、相当面白い本じゃないとな・・・そうだ!少年の書いた本が良いな。少年の中には色々な物語が詰まってそうだからね。とびっきり面白いのを頼むよ」

「いやいやいや、僕文章なんて書いたことないですし、それにどうやって書けばいいかも・・・」

「皆はじめはそうだった。最初からやり方を熟知してる人も、処女作が最高傑作の人間もいない。少年は今日、今からスタートラインに立ったんだ。楽しみに待ってるよ」

店主さんの言葉は僕の背中を押したというより、はたいてくれた気がする。

「なら今日は閉店だ。少年も帰りなさい」

「はい・・・今日はありがとうございました」

僕は深々と頭を下げる。

「少年、最後に問おう。どんな本を書きたい?」

「僕は・・・・・・まだわかりません。逆に店主さんはどんな本が好きですか?」

店主さんは驚いた顔をしていた。僕から少し目をそらしまた向き合う。

「そうだね・・・私は、このビル街のもやもやとした熱気を吹き飛ばすくらい爽快な物語が載ってる本かな」

「わかりました」

僕は帰路につく。後ろから「コーヒーの代金待ってるねー」と声が聞こえた。僕は「楽しみにしててくださいー」と返答しておいた。

次の日、僕は文芸部に入り必死に本を読み小説を書いた。そして初めて書き上げた小説を持っていこうと、店主さんのいる古本屋善生堂を探したがどこにもなかった。ネットでも調べたが、全勝寺とかいう小さいお寺しかなかった。けど僕は本を書き続ければいつかその本が届くと思い書き続けた。


そして年月は経っていつの間にか、僕は二十代後半を迎えていた。今日は久々の里帰りである。現在僕は売れっ子とまではいかずとも、細々小説家をやっている。今日は里帰りをした時の日課とである、あの夏に出会った古本屋を探している。しかし建物どころか、看板すら見つからない。うだるような暑さと蝉の爆音にやられそうだ。水を飲みながら歩いていると、僕の横をカランコロンと下駄の音を鳴らして歩く女性が通り過ぎた。僕ははっと思い後ろを振り返る。便箋が一枚だけ落ちていた。末尾には善生堂と書いていた。

「少年、コーヒーの代金はしっかりと受け取ったよ。爽快感のあるいい本だった。」

書いてある内容はそれだけだった。

 僕は夏が好きだ。肌を焼くような暑さと、立ち上る陽炎、店頭に並ぶスイカとラムネ・・・世の中が浮足立ち僕も浮足立つ。日向を大股で前を向き歩く。僕はそんな季節が好きだ。陽炎の向こうで店主さんが笑っていた気がする。アラサー突入した僕のことを「少年」と言いながら。


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