婚約破棄から始まるおれたちのラヴコメ
婚約破棄ものにチャレンジしてみました。
「シューヴォルト様、きょう、ここで!
わたくしたちの婚約、破棄させていただきますわ!」
突然の婚約破棄宣言。
こういった話ばかり読んでいると、婚約破棄とは公衆の面前で、突然おこなうもののように思われがちだが、もちろんそんなことはない。
おれはこのいきなりな展開に、かなり面食らっていた。
というか。
件の宣言を発したメリーゼは、おれの2歳下の幼馴染み。血の繋がりこそないとはいえ、兄妹も同然に育てられてきた。
その妹分と、おれが婚約破棄?
そもそも、こんな関係のおれたちが婚約などするはずがないだろう?
そして、はっきり言うが。
おれは不思議なほど、女のコにモテない。
そう、ほんとに「不思議なほど」なのだ。
自分で言うのもなんだが、ルックスは悪くないと思っている。母親似で甘い顔立ちだと自負しているし、身長も170cmある。
武芸や乗馬は、なんとかそれなりにはこなすし、勉学だって絶望的ってほどでもない。
男友達のみならず、話すていどの女友達ならそれなりにいることからも、性格面に深刻な問題を抱えているということもないだろう。
だが、交際するどころか、デートの誘いにのってくれる女のコすら、おれのまわりにはいないのだ。
そんなおれが、破棄されるような「婚約」を結んでいた???
しかも、あいては妹同然のメリーゼ。
派手なタイプではないし美形というわけでもないが、小柄で可愛げのある顔立ち。交際している男がいるとは聞いたことはないけれど、男友達のあいだでは、そこそこ人気があるように思われる。面とむかって、彼女を紹介してほしいと頼んでくるやつがいないのを、不思議に感じていたくらいだ。
そんなメリーゼが、こんなにモテないおれと婚約していた?
ていうか、おれのことは「お兄ちゃん」ではないのか?
そういや、まわりにいくら兄妹のようだと言われても、おれのことを「お兄ちゃん」と呼ぶことはなく、さきほどの婚約破棄宣言のように、名前で呼んでたっけ。ほんとにちっちゃなころは、「お兄ちゃん」呼びだった気もするけど。
「……なにか、言いたいことはありませんの?
いやだとか、お願いだから婚約破棄しないでくれとか、むしろ今すぐ結婚しようだとか!!」
「いや、言いたいこともなにも、まだ事態が把握できてないんだが……」
ほんと、さっぱりわけがわからない。
しかも、おまえ。自分で婚約破棄宣言しといて、なんだかおれにそれを拒否させようとしてないか?
「いいでしょう。なぜ、わたくしたちが10年と3ヶ月と7日、守り続けてきた婚約を、破棄しなくてはならないのか。
シューヴォルト様に心あたりがないと言うのなら、その理由をお教えしましょう!」
うん、お願い。もっと言えば、そもそも婚約のくだりも思いあたることがないから、説明してくれると助かるんだけど。
ていうか、10年前? ずいぶん長いこと婚約してんだな、おれたちってば。
「思い返せば——いえ、何度どころか、何百、何千、思い返したことでしょう。
あれはシューヴォルト様の、8歳の誕生日。
わたくしがプレゼントになにをさしあげましょうかとたずねたところ、あなたはわたくしをお嫁に欲しいとおっしゃいましたわね」
……はい?
「それ以来、わたくしは『お兄様』とお呼びしていたのをあらため、あなたをお名前でお呼びするようになりました。
兄としてお慕いしていたつもりでも、わたくしのなかにも、ほのかな恋心があったのでしょう。
この婚約を結んでからは、それをいっそう意識するようになりました。
——なのに!!」
それまで、思い出に浸るようにうっとりした表情だったメリーゼの眉と目尻が吊り上がる。
「シューヴォルト様、あなたというかたは!
結婚式の会場や、新婚旅行のパンフレットをもってきてくださるどころか。いつになっても、キスやハグのひとつもしてくださらないではありませんか?! 最近では、手を繋いでくださった覚えさえありませんのよ。
これでは、婚約破棄されてもしかたないでしょう!?」
ええっと、まず、整理させてくれ。
8歳と6歳の口約束を、本気にして、おれたちが婚約しているとずっと思いこんでたってわけか? じゃあ、おまえに交際相手がいなかったのはそのせい?
おまえにとって、おれが「お兄ちゃん」ではないのは、単に呼びかたひとつの問題ではなく。恋愛対象を飛び越して、婚約相手だったからだというのか?!
理解と把握が、おれのなかでようやく追いついてきたかと思われたそのときだった。
まわりから、いくつもの声があがることになったのは。
「婚約破棄ですか?!
それならばメリーゼ様、この私と婚約いたしましょう!」
「はあっ!? ふざけんな!
メリーゼちゃんは、おれと結婚するんだ!」
「おまえこそ、なに言ってやがる!
婚約者がいるってことだから、声には出さないでいたが、おれはずっとメリーゼさんのことをっ!!」
どうやら、おれとメリーゼが婚約しているというのは、まわりには知られた情報らしかった。知らないのはおれだけ? ……ということは、それを吹聴したのはメリーゼ本人なのだろう。
しかし、あいつがここまでモテるとは。
おれの男友達のあいだで、それなりに人気があるのは知っていたが、どうやら「婚約者」のおれの手前、声に出すのを控えていたようだ。
そして、驚くことに。
あがった声は、彼女へのものだけではなかった。
「婚約破棄ということは、シューヴォルト様は現在フリーということですわね?
それならば、わたくしと交際なさいませんこと?」
「ちょっと! なに、ぬけがけしようとしてんのよ!
だったら、あたしが先に婚約とりつけてやるんだから!」
……え? おれまで、意外とモテるわけ?
そりゃそうか。
おれに気をつかって、メリーゼへの恋心を隠していた男どもがいるのなら。
彼女に気をつかって、おれへの想いを告げずにいた女のコたちも、理論上いてもおかしくない——いや、理論上はそうだけど、ほんとにいるのかよ、そんな女のコ?!
デートすらしてくれなかったのは、おれに「婚約者」がいたからなわけ? おれがモテないからじゃなかったのか???
女のコをデートに誘えば、そっけなくことわられる毎日に。おれの心は、鍋に投げ込まれるパスタのようにへし折られていたというのに!
だが、それも今日までだ。
おれがモテないわけじゃないと、わかったからには。ここからは、デートに交際、ラヴコメモードに突入と行かせてもらおうではないか。
そう意を決して。おれのまわりを取り巻きはじめた数人の女のコの輪の中から、この展開への口火となる宣言をしたメリーゼのほうをうかがうと。
あちらはあちらで。おれより、はるかに多い人数に囲まれている。
幼い頃の口約束を本気にしての「勘違い」婚約だったけれど、こうして破棄を宣言したからには、あいつもその呪縛から解き放たれて。これからは、むこうでもラヴコメが始まることだろう。
だが、何故だ?
我慢の限界を超えて婚約破棄宣言をし、せいせいした顔をしているはずのメリーゼの顔からは、「婚約者」であるおれを責め立てるようなさきほどまでの気の強さは失せて。むしろこの状況に、困惑しているようにすら見える。
おれとの「婚約」を解消して、ちゃんとした恋愛をしたかったんじゃなかったのか?
そこまで考えたおれは、やっとひとつのことに思いあたった。
「女のコとのデート」の経験がないおれだったが、メリーゼとはふたりでよくあちこちに出かけた。それこそ、男友達とのつきあいに支障をきたすほど頻繁に。
もちろん、おれにとっては「婚約者」ではなく妹として。たしかに楽しくはあったものの、おれたちの仲がいいこと以上には意味をもたないものだと思っていたのだが。
メリーゼにとっては、「婚約者」とのれっきとしたデートだったのではないか?
おれの態度に不満を抱きつつも、その「デート」をこれまで重ねてきたあいつ。なんだかんだで、その時間を楽しみにしていてくれていたはずだ。
そして「婚約」がこのまま破棄されてしまえば。
メリーゼはほかの誰かに、おれが負うはずだったその役目をあけ渡してしまう。
そんなイメージを想い浮かべたおれは、この婚約破棄宣言に返答——ひとつの「こたえ」を出していた。
「メリーゼ。おれとあなたのあいだの婚約の件。
あれはそもそも、こどもの口約束で、効力があるどころかおれは覚えてすらなかった。
そのせいであなたをふりまわしたのなら、あやまらせてもらいたい。もうしわけない。
詫びにはならないだろうが、今回の婚約破棄宣言、つつしんで受理させていただく」
おれの口上に、メリーゼの表情は困惑をこえて青ざめはじめていた。
「そんなっ?!
ひどい! わたくしだけがかんちがいして、一方的にお慕いもうしていたというのですの?!」
「かんちがいとうのなら、こちらもしていたよ。
あなたにとっておれは兄のようなもので、恋愛感情など持たれてはいないと思っていた。
おれからしてみても、あなたは妹も同然。あたりまえだが、恋愛感情などあってはならない」
膝を折り、今にも泣き崩れそうなメリーゼ。だが、おれはべつに彼女を悲しませたいわけではない。
ここで、この壮大な勘違いをすべて正しておきたいだけだ。
そう「すべて」。
「あってはならない——そう、思うことにしていたけれど、あなたにその気があるというのなら、話は別だ」
「……はい?」
目に涙をにじませながら、顔をあげるメリーゼ。
「あなたにおれの妹のつもりがないとわかった以上、こちらも、もう遠慮はしない。
ひとりの女性として、あつかわせていただくことにする。
つまり、恋愛対象になる女性として——だ」
たしかに、これまでは恋愛対象ではなかったが、それは彼女に魅力がなかったからではない。あくまで、兄妹のつもりでそばにいてくれる関係を、裏切ったり、それにつけこんだりしたくなかっただけだ。
手を繋ぐくらいなら、役得として赦されるだろうとは思っていたが。そのさきの欲望(抱きしめたい!)を抑えるのが困難になるため、最近では自重していたほど。
ところが、じつはそれを我慢しなければいけないどころか、むこうは心待ちにしていたというではないか。
その想いが、すでに過去のものだというのなら。ここから、おれたちはべつのラヴコメにそれぞれ歩み出すべきだと、さっきまでは思っていたけれども。
しかし、そうでなければ。
おれしだいで、はじまっていたはずのメリーゼとの——おれたちふたりのラヴコメ。それをあきらめてしまうつもりなど、毛頭ない。
彼女の態度から、その望みがまだ幾らか——というより、じゅうぶんに残っているのは明白だ。
だとすれば、今、おれの心にあるのは。これまで、そのチャンスをのがしてきたという後悔よりも、これからはそのチャンスに躊躇はいらないという、枷を外した前のめりな恋愛感情に他ならなかった。
「な、なにを言っておられるんですの?!
わたくしたちはいまさっき、婚約を破棄したばかりだというのに???」
うるさい。そんなの知るか。
おれはメリーゼが好きなのだ——ひとりの女性として。そのことを、うしろめたくも思う必要がなくなった以上、婚約破棄されようが関係ない。そもそも認識していなかったからには、そんなものは、もともとなかったようなものだ。
ゼロからのスタート——いや、むしろ。かたちだけの婚約関係とはいえ、これまでふたりで過ごしてきた時間を考えれば、アドバンテージと捉えることすらできる。
「メリーゼさん、いったん婚約破棄したからには、そんなものを結びなおすより、新しくこのおれとっ!」
「そうですわっ、シューヴォルト様!
破棄された婚約なんかより、わたしと新しく婚約しましょう!!」
メリーゼだけではなく、おれにまで、「復縁」を阻もうとする声が。
「心配せずとも、破棄された婚約をすぐさま結びなおそうなんて気はないさ。
だが——」
おれは強い意思をこめて、メリーゼをみつめる。
「メリーゼ。
おれがあなたに申し込むのは、『婚約』ではなく、『交際』だ。
もちろん、返答はいまここでとは求めない。
婚約破棄したおれと、すぐに交際相手になれだなんて、無茶もいいとこだからな」
そして、おれのまわりの女のコたちと、メリーゼのまわりの男どもを見まわしてこう続けた。
「このたびはお騒がせしてしまってすまない。
婚約破棄されたとはいえ、おれの気持ちはわかってもらえたと思う。
だが、そのうえで。
あなたたちは、もうおれとメリーゼに遠慮することはない。
すくなくとも、おれたちが交際関係になるまでは……なれればだけれど」
あくまで外野ではあるが、おれたちのことを思いやって、これまで気持ちを口に出さずにいてくれた連中だ。それに感謝して、すじは通しておくべきだろう。
「だが、メリーゼをほかの男に渡す気はこれっぽっちもない!
そして、こんなおれに好意を告げてくれたのは嬉しかったが、メリーゼ以外の女性との交際は考えられない!!」
すじは通す。けれども、宣言しておかねばならないことはここではっきりしておく。
「婚約破棄されといて、よく言うものだ!
みんな、メリーゼちゃんをあきらめる必要なんてないぞ!!
おれたちにだって、チャンスはあるんだ!!」
「そうですわ!
彼女から婚約破棄した以上、これはシューヴォルト様からの一方的な意向。
つけいる隙なら、いくらでもありましてよっ!!」
いや、驚いた。
メリーゼだけじゃなくて、おれまで。じつは、ほんとにモテてたんだな。
危機感と誇らしさを同時に感じてはいたが。おれの心は、ぐらりとも揺るぎはしなかった。
「ちょっ、ちょっと。
なんか、わたくしを置き去りに話が進んでませんこと?!」
座りこんだまま、ことのなりゆきについてこれていないメリーゼ。口火を切ったのは、彼女の婚約破棄宣言だというのに。
「メリーゼ、愛しているぞ」
高らかに響いた、おれの宣戦布告ともとれる愛のことばに。
おれたちふたりをそれぞれ中心としたふたつの輪が、それぞれ騒ぎ立て出す。
そしておれのことばに上書きするように、幾多の求愛がおれたちには浴びせかけられるが。メリーゼは耳を貸す様子はなく、なかば虚ろな目線を、それでもおれにむけている。
これは勝算ありだな。もとより、おれさえちゃんと彼女の気持ちに気づいていれば、とどこおりなく結ばれていた間柄だ。
危うくふいにするところだったが、ここからはおれの全力をもって、これまでのぶんを取り戻させていただく。
しかし、恋愛というものはわからないものである。
おれへの想いがついえたための婚約破棄ではないうえに、今となっては本気で破棄したかったのかもわからないメリーゼではあるが。だとしても、そのうち彼女が心変わりしないとも限らないだろう。
おれだって、この交際の申し込みを袖にされて。メリーゼに、これまでとはちがう態度をとられ続けれたとしたなら。それがどこまで彼女の本心かはわからなくても、どれほど耐えられるかはちょっとわからない。
もちろん、せいいっばいがんばってはみるつもりだが。本命に手応えがないのに、こんなふうにラヴコールを送ってくれる女のコが他にいれば、そちらにいつか傾かないなんて断言できるものか。これまでモテなかった(と思い込んでいた)反動だって、少なからずある。
そんなあれやこれやをひっくるめて。
これまで、おれとメリーゼの「婚約」によって硬直していた、おれたちのラヴコメがたった今、動き出したのだ。
どんな過程をたどり、どんな結末になろうとも。
こうなりゃ、とことんラヴコメってやる!
もちろん、おれにとってのいちばんのハッピーエンドは、メリーゼと無事に結ばれることに変わりはない。それでも、いまは見えていないだけで。ふたりにはすでに、それぞれべつのルートもいくつか存在するのだろう。
おれの胸は、不安とドキドキで張り裂けそうだった。
うぉおっ、メリーゼ!
こどもの口約束なんかじゃなくて、こんどはちゃんと口説き落としてやるから覚悟しろ!!
婚約破棄によって、そこにすんなりたどり着ける道こそ破壊されたものの。今のおれには、新たな道を切り拓いて、またそこを目指すことが赦されている。脇道もいろいろ生まれてしまったようだが、とりあえずは目もくれてやる気はないからな。
愛しているぞ、メリーゼ。
ふたたび、手を繋げる間柄になって、今度こそそのさき(抱きしめる)に!!
ここにもう一度。
強い意思と、強い愛を込めた目で、おれは彼女を見つめなおしてそう誓った。
おれたちのラヴコメはこれからだ!!
制作:あき伽耶先生
ふつうの話なのに、長くなった(笑)