後編
街では色々な人の数字が見えた。大体の人は二桁であるが、中には一桁の人もいる。高齢の方であれば仕方ないなと思うが、中にはまだ若い人もいて気の毒だなと思う。いや、自分の数字は見えないのだから、他人ごとではなく自分の頭上の数字が一桁である可能性も否定できない。
その日も何となく駅前のベンチに腰かけて、街行く人の頭上の数字をぼんやりと眺めていた。通り過ぎた乳母車の赤ん坊の顔を見たときに、その頭上の数字が四桁である事に驚いた。それまでも子供や赤ん坊で三桁の数字は見たことがあるが、最初の数字は例外なく一であった。それはそうだ。四桁という事は千年以上生きるという事を示している。いや、もしかしたらこの数字には寿命の年数以外の意味もあるのかもしれない。考えても正解は分かりそうもないので、その事は忘れることにした。
そうして数年が過ぎた。最近では帽子を被って乳幼児を見れば、その頭上の数字が四桁なのが普通になってしまった。この子達が従来通りの寿命を迎える前に、何かしらのブレイクスルーが人類に起こるのだろうか?
見届けてみたいとも思うが、自分の寿命を考えれば無理な相談だ。自分の数字が見れなくてもそれは分かる。
了
なぜ帽子なのか?
帽子って被っちゃうと鏡を使わない限り見ることできませんよね?
更に物語中の数字は鏡にも映りません。
人の寿命は見えても自分の寿命は見えないんです。
但し他の人に帽子を被ってもらって、自分の寿命を見てもらうという方法はありますね。
この帽子の秘密を共有できる人ができたなら、主人公はそうするかもしれないし、しないかもしれない。
分かったところで利があるのかどうか微妙です。
人生は先が見えないから面白いと思います。