恋は将棋のように
皆さん初めまして。ブルングです。
楽しんでいただけると幸いです。
「つきみ先輩……俺、どうしたらいいんでしょう?」
俺は、歩を進めながら言った。
「うーん、そうだね……」
つきみ先輩は手を頬に当てながら、金を前に進める。パチンという音が、教室に響いた。
俺の目の前にいる彼女は部活の先輩だ。俺を含めて4人しかいない将棋部の部長で、数少ない相談役。
そして、今日は俺とつきみ先輩だけが部活に顔を出した。いや…いつもか。
俺たちは放課後、いつもこの教室に集まって、こんなふうに将棋を指す。そのついでに、こんなふうに相談に乗ってもらうことがある。
今日は恋愛相談だった。転校を明日に控えた1人の女性に、俺は恋をしていたのだった。
「その子は、もうすぐ転校しちゃうんでしょ?」
「はい」
俺は角行を動かしながら言った。外から蝉の鳴き声が聞こえてくる。
お互いに何も言葉を発さなかった。
騒がしい蝉の声とは裏腹に、しばらくの間教室の中には、俺たちの息遣いと、将棋を指す音が響くだけだった。
「告白してみたらいいじゃん」
パチンという音と共に、その声が静かに響いた。
「あはは……それができたら、苦労しないんですけど……」
そう。それができたら苦労しないのだ。相手がどう考えているか分からないのに…告白なんて…。
そんなことを考えながら、俺は最後のピースを当てはめる。
"パチン"
「ふーん…。君、それ好きだね」
つきみ先輩がため息をつきながら言った。何か棘を感じる言葉だった。
「穴熊囲い。君がよくやる戦法。でもね?」
彼女はゆっくりと手を動かし、駒を手に取る。
「私は君のことをよく知ってる」
パチン
「そんな手は通用しませんよ?」
パチン
「さて、どうだろうね?君は時折思考を諦める癖がある」
パチン
「何が言いたいんですか?」
パチン
「つまり……勝利が近い時ほど、勝ち方を考えられなくなるってことだよ」
"パチン"
「あっ!……」
俺は思わず立ち上がってしまう。それまでの全てが伏線のように重なり、玉を雁字搦めに貼り付けた。
「負け……か」
俺は直感的に理解した。この勝負に勝ち目はないと。
「そう。君の負け。穴熊はね、横からの攻撃に弱いんだよ」
彼女は俺の目を見て言った。その瞳からは、何か温かいものを感じた。
「私ね。将棋ってのはね?人の内面を表すと思ってる」
「内面…ですか?」
「そう。内面だよ。君はその玉と同じで、ひたすら篭ろうとしてる。でも…」
「横からの攻め。つまり、変則的なものに弱い」
「そして、君はそれが怖いんでしょう?」
俺はその言葉を聞いた瞬間、胸が苦しくなった。そう。怖いのだ。怖くて、怖くて、仕方がない。
気持ちを相手に伝えた時、予測もできない範囲から何かを言われることが、本当に恐ろしいのだ。
それを見透かされた気がして、余計に怖くなった。
「よく…分かりますね。テレパシーでも使えるんですか?」
俺は目を逸らして答える。彼女の目が、俺を責め立てるようだったから。
「ふーん。当たってたんだ。そっか…」
また沈黙の時間が訪れる。つきみ先輩は、手に持った角行をクルクルと回しながら遠くを見つめていた。
蝉の飛び立つ音が聞こえた。羽を木の葉に当てながら、無理やり飛び立つ音。
それと同時に、つきみ先輩は優しい声色で言った。
「行ってきなよ」
手を引かれたような感覚だった。その言葉を、俺は望んでいたのかもしれない。
「君は穴に籠った玉。周りを囲んでいる兵士を脱ぎ出して攻め入らない限り、新しい景色は見られない」
「新しい景色ですか?」
「そう。君が望んでいた景色。君の恐れの裏側にある、幸せな景色だよ」
俺はその言葉を聞くと同時に、立ち上がった。行かなきゃいけない気がした。恐怖よりも、心の底にある欲が初めて勝った瞬間だった。
「行ってらっしゃい」
「先輩。ありがとうございます!」
俺は空回りした歯車のように、必死になって走り出した。
怖い。怖くて怖くて仕方がない。だけど、進まなければ何も得られない。歩兵のように、たった一歩しか進めなくとも。
動かない玉よりは、数段マシだと思いながら。
「行っちゃったなぁ」
私は、1人残された教室を眺めながら呟いた。将棋の盤面には、金や銀で固められた玉と、1人真ん中で待ち受ける王があった。
「この勝負。私の負けだね」
彼には、勝利が近い時ほどそれを手にできない癖があった。
私には、勝利を目の前で逃す癖があった。
私は1人立ち上がった。
雨の音が教室にこだまする。夕立は、一瞬にして世界を暗く染め上げた。
窓に近づいて、外を見てみる。
そこには、地面の上でのたうち回る、小さな蝉がいた。
「失敗。するといいなぁ……」
私は、自己嫌悪と共に静かに吐き捨てた。
皆さん初めまして、ブルングです。
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