第二話 社(3)
「影、ですか」
百合哉はそう言いながら腕を組む。
「俺たちはその話を一つも信じてませんでした。そういうオカルトって大抵気のせいなんです。写真だって合成ソフトを使ってのものだし、幽霊は見間違いが多いんです。服とかウィッグとかレジ袋とか。だから俺たちも錯覚だろって笑いました。
そう笑っていると、俺と一緒に見舞いにきた友人に着信が来ました。ここは病院だったので友人は一度外に出て電話をとったようでした」
「それで?」
「友人は顔を青くして帰ってきました。
「どうしたんだよ」
「帰ろう」
友人はそう言ったきり何も言わず歩き出したんです。きっと家族の誰かに何かがあったのかと思い。俺はとやかく言いませんでした。いえ、言える空気ではなかったんです。
そしてその日の夜、その友人は病院に搬送されました。野犬に噛まれたと言うんです」
それを聞いた百合哉はううんと唸った。
「野犬に襲われた?」
「俺の地域は野良犬に厳しくて、見つけたらすぐ通報するんです。今回も人を襲ったと言うのもありすぐに保健所に連絡したのですが、友人を襲ったという犬はいくら探しても現れませんでした。殘った怪我を見るにそれは小型犬くらいのサイズでしたが、傷は深くあやうく噛みちぎられるほどだと言っていました」
「なぜ……」
「俺も理由はわかりません。でも、その時になって初めてこの前の交通事故を思い出しました。なので慌てて事件現場にもう一度向かったんです。俺らの車がつっこんだ場所には花や食べ物が置かれていました。棒切れだと思った板は、何か文字が書かれていたんです。最初は俺たちとは関係ない事故現場だったのかと思いましたが、板や花から見てそうではないと思いました。
そこで、あの男が「怒ってる」と言っていたのを思い出しました。オカルトを信じていない俺でもそうでないとこの不可解なことに納得できなかったので……。
そうしてたら、嫌な臭いがしたんです。泥みたいな臭いです。慌てて逃げ出そうとしたら何かに足首を掴まれて転びました。振り向けなかったんです。すっかり過敏になってしまっていたので。
元々人通りの少ない道で、俺はすっかり起き上がることもできませんでした。でも、少しの間転がってたら知らない人に無理やり起こされました。そこでこの店の名刺をもらったんです」
草太はそう言って、再度名刺を見せた。
「どうすればいいんでしょうか」
今思い出しても大声をあげて泣きそうになる。あの友人たちはまだ病院から出られていない。次は俺の番だと思うと気が狂ってしまいそうだ。
「それは許されないですよ」
さも当然に言われて草太は面食らった。それは助からないということなのだろうかと思っただけで視界が歪む。
「まずはごめんなさいを言うべきだと思うなあ」
フォローを入れるかのような優しい口調で百合哉が言う。
「誰も謝っていないんでしょう?」
「謝るって誰にですか?」
「板に書かれた相手にです。その様子からみるに謝っていないようですから」
確かに言われてみればそうだ。みな怪我をして原因も分かっている、一度場所にも行ったのに走って逃げている。
「謝って許してくれますか?」
「謝って壊したものを直したらおそらくは……。知り合いの営繕屋に話を繋げときます。あなたは事故をしたところから一番近いお寺に事情を説明してあげてください。きっと教えてくれますよ」
百合哉はそう言ってからしまったという顔を浮かべた。
「本当はここまで自分で考えるべきことなんです。ほら、まるで押し売りみたいじゃないですか。こういうのって信用が大事と聞きますし……」
「いえ、そっちの方が助かります。何をすればいいのかわからないので……」
しばらくの沈黙の後、ようやく草太は抹茶アイスを口にした。少し溶けかかったそれは舌の上で甘くじんわりと広がる。