第四話 代(3)
そうしている間に、玄関が開く音がした。運がいいのか悪いのか、少し前に佳樹が言っていた助っ人とやらだろう。
「百合哉! 救急車呼べ! 早く!」
「怪我したんですか?」
百合哉と呼ばれた茶髪の若い男性はお菓子とビールのつまったコンビニの袋を両手に持ちながらぱたぱたとかけてくる。
そして、いまだ涙を流す美咲を見て立ち止まった。
美咲は上の空で涙を流したまま、クッションから出た綿を口に詰めている。そんな様子を見て百合哉と呼ばれた青年は固まった。
「百合哉!」
佳樹の大声に百合哉と美咲が反応した。
百合哉はすぐにポケットからスマートフォンを取り出す。
美咲は口をあんぐりとあけ、黙ったまま今度は不動を貫いていた。小さな口に含んだ綿が唾液を含みボタリボタリと床に落ちる。
次の瞬間、美咲は悲鳴をあげ泣き出すととうとう暴れ出した。
「美咲! 美咲!」
あかねは暴れる美咲を抑えようとして驚愕する。
その力は一人の少女のようには思えない。腕をつかもうとしてもすぐに振り払われる。
佳樹も抑えようと近寄ったが、突然駆け出した美咲に突き飛ばされ尻餅をついた。
そのまま外に出て行ってしまうと、あかねは直感しすぐに美咲をおいかけたが、玄関に彼女の姿はない。
そしてシャワーの、水の流れる音が聞こえた。
「美咲!」
慌てて風呂場に行けば、冷水を頭からかぶる美咲がいる。
これでは風邪をひいてしまう。頭では冷静な考えが浮かんでも体は動かなかった。
視界の端では佳樹は尻餅をついたまま動かない。
「どうしてそんなことをしているんですか?」
不意に場違いに優しい声があかねの後ろから聞こえた。
そこに立っているのは百合哉だ。
美咲は相変わらず反応を示さなかったが、彼も彼で返答を待つことにしたのだろう娘と目の高さをあわせようとしゃがむ。
この異常下でも彼は微笑みながら豹変した美咲に手を差し伸べる。
美咲はその伸ばされた手を掴むことはなかったが、その代わり小さな唇を動かした。
「きれーにしなくちゃ」
その声は美咲であって美咲の声ではなかった。まるでマスクの下から発声しているようなくぐもった音。
「十分綺麗になりましたよ」
「まだなの」
まるで美咲の形をした見知らぬ何かだ。
「だとしたらそれは濡れっぱなしだからです。今度は拭かなければいけませんね」
美咲はしばらく沈黙した後、小さく頷いた。