第三話 扇(4)
そろそろ日付が変わる頃。
入浴も済ませてさて寝ようとした時、タイミングがいいのか悪いのか兄から電話が来た。
「あのさ、そっちはどうだ?」
「母さんは元気になったよ。そっちは?」
すると、兄は今にも泣き出しそうな声でこう言った。
「だめなんだ。今度慶太が言い出したんだ」
「言い出したって、なんて?」
「うちわが見えるって。なあ、頼む。一回こっちに来てくれないか?」
俺と母、中古品買取業者そして母が依頼したこういう事件に詳しい人物とやらを連れて帰省する。
家はこの前来た時よりも薄暗く、そしてとても寒く感じられた。チャイムを押すと駆け足と共に兄がやってくる。
「待ってたんだ」
今にも泣き出しそうな声に不安がうつったのか母も不安げに顔を硬らせた。兄は泣きそうになりながら俺の隣にいる母が依頼した若い男を見る。
「あなたが……母が言っていた」
「はじめまして。五条百合哉と申します。事情は聞きました。扇が見えるとのことで」
茶髪の男性はそう言って、ちらりと家の奥を見た。
「早く処理しましょう。すでにご存知かと思いますが、それは人の命をとります」
切羽詰まった言葉に皆が息を飲む。急いで父の部屋に行き、父が残した物をほとんど買取業者に渡した。
「曰く付きは寺に送ります。今回引き取ってもらったのはおそらく大丈夫です」
「大丈夫、慣れてますよ。それにこんな丁寧に修理された物を無料でいただけるのはありがたいことです」
五条さんの知り合いらしい買取業者はそう言いながらさくさくと家具を回収していく。
母は五条さんの指示で寝込む嫁と状況が飲み込めない慶太君と一緒にこの掃除を見守ることになっていた。
「先に説明しましょう」
手早く物を選別しながら五条さんが言う。
「憶測でしかありません。ですが……。扇腹をご存知ですか?」
「オウギバラ?」
それを聞いていち早く反応したのはやはり母だった。母は顔を真っ青にして五条さんを見ている。
「すみません。俺にはよくわからないんですが」と言ったのは兄だ。「教えてくれませんか?」
「江戸時代の刑罰の一つ。切腹に近いものです」
「そんな扇を親父は買ったんですか? それに、どうしてただの扇がそんな……そんな刑罰に結びつくんですか?」
「首に赤い筋がありました。それだけではなく、斬首の光景も見えるとのことで……。ですが、実際の扇を見ていません。第一、江戸時代の物がそう易々と置いてあるわけがないとお思うのですが……」
だが、俺はそうだと確信していた。殺される。父は確かにそう言っていた。それだけではない、足元に何かが落ちていないかくまなく確認していた。おそらくその動作は母親と同じ扇が落ちていないか確認していたのだろう。
「奥様はそれの触りを受けました、ですが、問題なのは息子さんです。慶太さんは扇を見てしまった。女ではなく男である彼が」
母と恵子さんが声を殺して泣いている。この事態が理解できない当事者の慶太は不安で二人の手を握っている。
「もし、その扇が残っているならば、お父上は相当丁寧に管理されていたようです。だからそれがいけなかった。大事にされすぎて息を吹き返してしまったんです」
本来自分が何の役割であるかを扇は思い出してしまった。優雅に見せるはずのそれを、風を仰いでいるだけの存在を、目覚めさせてしまった。
「あなたのお父上に悪気はないでしょう。道具たちから見れば、あなたのお父上は神様のような存在だったはずです。だからこうも、どの家具も完璧に保たれている」
回収屋はそう言いながら慈しむように小さな箪笥を撫でた。丁寧に塗り直された箪笥はまるで最初からここにあったかのように居座っている。
「だからこそ犠牲は最小限にとどまったんでしょうね。道具が道具であろうとい続けるために守られた、生かされた。逆に、これら家具をぞんざいに扱えば血は絶えていた」
それは褒めているのか貶しているのかわからない。