第三話 扇(3)
母が来て二ヶ月。
最初こそ母は寝たきりと変わりなかった。だが、一日、また一日と日を追うごとに体調は回復して行った。しかも急速に。
「幸さん、お仕事なの? 夕飯は私に任せてね。肉じゃがを作る予定なの」
「私、お義母さんの肉じゃが大好きなんです。今日は早めに切り上げてきますね!」
台所から女二人の楽しい会話が聞こえる。
「おばあちゃん、唐揚げは〜?」
娘の空が楽しそうに台所にかけていき、それを聞いた息子の陸が「ぼくもぼくも」とでも言いたげにハイハイしだしたので慌てて抱き上げる。
共働きで保育園も入り損ねてしまった我が家では母さんは大事な存在となった。母さんはすぐに土地に馴染み、もう友達ができているらしい。
「お袋、すっかり元気になったな」
「ほんとね。奇跡って言葉がぴったりかもしれないわ」
母はそう言いながら陸のおむつをてきぱきと替えている。
「扇はもう落ちてないのか?」
そう尋ねると母が手を止め、ぎょっとした表情で俺を見る。目はみるみるうちに尖っていき、怒られると直感した。
「あんたは見てないでしょうね?!」
怒鳴られるように言われて驚いたのは俺ではない、陸だった。
突然の大声に驚いた陸は大きな声で泣きながら四肢をばたつかせる。
母はそんな陸を見てすぐに正気に戻ったのだろう。
「陸ちゃん、ごめんね。ばあちゃん怖かったねえ」
正気に戻った母は優しい声で陸に言い聞かせながら、手早くおむつを変え終えると抱き上げる。その手慣れた動作はすぐ前まで床の伏せていた人物と同じとは思えない。
その小さな背中を優しく叩きながら、母は厳しい目のまま俺の返答を待っている。
「見てない。どんな扇なのかもわからないんだ」
「あれは恐ろしい物だよ」
「扇がコワイ? どんなふうに?」
「扇が落ちているのさ。最初は父さんが落としたのかと思って拾って棚に戻したんだけれど、またすぐに落ちている。最初はそれの繰り返しだったんだけど、次第に薄気味悪くなってきてね。それから夢を見るようになったんだ」
「どんな?」
「扇を拾わなくちゃいけない夢でね。だけど、扇を拾った瞬間に、後ろにいる誰かに首を落とされるんだよ」
斬首――……。
ふと、そんな言葉が脳裏をよぎった。
「毎度毎度その夢を見る。次第に首に痣が浮かんだように見える。怖くて怖くて、目をつぶれば首を落とされ、目をあけると拾ってくれとばかりに扇が落ちている」
「それって父さんが残していった物かな」
「そうかもしれない。だから早く業者にお願いしないと」
「それなら兄さんが手配してるよ」
そう言うと母は見るからに安堵したようだった。それに連鎖したのか陸も次第に落ち着いて今では母の耳を触り続けている。
「なあ、母さん。ずっとこっちにはいられないか? 家事を母さんばかりに任せているのは申し訳ないんだけど。娘と嫁から一緒にいたいって言うように頼まれたんだ」
すると母はぷっとふきだした。
「そんな会議されてる姑なんてなかなかいないわよね」
と、いうのも兄からそのまま母を預かって欲しいと言われたからだ。
息子の受験もあるだろう、奇行を起こす者もいなくなったその安堵からか今度は嫁さんが寝込んでしまったらしい。