7 ホムンクルスの悲哀
外に出た途端、吹き付けてくる冬の涼風が、火照った身体に爽やかだ。
「はーあ」
工房はさすがに熱かった。僕らは揃って深呼吸した。
「さあ! まっすぐ、『テイルズオブファンタジア』へ向かうわよ!」
僕の左肩の上で、セラフィータがびしっと前を指さした。
「ているずおぶ?」
ユジュンが首を捻って、復唱する。
「ああ、セラフィ御用達のドール専門店だよ。人間には色々いて、人形遊びを趣味とする大人が大勢いるんだ。そういう嗜好の人間が足繁く通う店の人形と、セラフィの身体の大きさがベストマッチングするんだ。彼女の服は、ほぼ全てそこの商品なんだよ」
「人形遊びする大人がいるの?」
「うん。他人の趣味嗜好にケチはつけないの」
僕はユジュンの口に、人差し指を立てて当てた。しーーっをするように。
「ヒトのシュミシコウって怖い……」
ユジュンは参りましたのポーズで、両手を挙げた。
目的のドール専門店は武器屋からそう遠くはない。徒歩で行ける距離だ。『テイルズオブファンタジア』は本当は、自分の人形を、一から作るところから始まる。目の色、髪の色や長さ、肌の色などを自分好みにカスタマイズして、好きな服を着せ替えてはある種の欲求を満たすんだ。
間もなく『テイルズオブファンタジア』に到着する。
正直、気は進まなかったけど、入り口のドアを引いた。客が来たことを知らせる鈴が鳴り、さして広くはない店内に響き渡る。
「うっわー……」
人形が所狭しと並んでいる様に、ユジュンは明らかに引いている。
他にも、ドールハウスやミニチュアの家具なんかがディスプレイしてある。
「あらあらあら、ナユタぼっちゃん。良いところに。冬の新作が入荷してましてよ。セラフィータちゃんにいかが?」
店の奥からゴスロリファッションに身を包んだ、不惑くらいの店長が出張ってきた。僕とセラフィータは上客なのだから、当然、こうなる。
ちょっと、いや、かなり痛い店長だけど、仕入れてくる商品の品質は確か。縫製が丁寧で着心地が良いとセラフィータから好評だ。
逆に、ここ以外の店の製品は縫製が荒く、チクチクして着ていられないという。
まさか、このゴスロリの店長が、毎夜、夜なべして一着一着縫っているわけじゃないだろう。そうだとしたら、怖すぎる。
「ボアのコートがあるー!」
セラフィータは店長が持って来た商品に飛びついた。人形用とはいえ、きちんとハンガーに掛かって、ミニラックに吊してある。
「まぁ、さすがセラフィータちゃん。お目が高い! こちらはウェコック産の……」
結果、セラフィータご所望のボアのコートと、背中のぱっくり空いたドレスと、その他三着ほど買い求めた。金に糸目を付けない点を見抜かれているのだろう、店長のセールストークに流されるように買ってしまった。
セラフィータが喜んでるから、ま、いっか。
「そろそろお腹が減ったな。ユジュンはどう?」
ドール専門店を後にして、歩きながら右隣のユジュンに話しかけた。
「ああ、そう言えば、空いたかも」
ユジュンは片手でお腹の辺りをさすった。
と、リンゴーンと鐘楼の鐘が鳴った。十二時を報せている。
「どこで食べるの?」
ユジュンが期待感に溢れた表情で訊いてきた。
「ユーリにもらったお小遣いの出番だよ。店の目星は付けてあるんだ。ランチを食べにそこへ行こう」
目指すのは、街に溶け込む小さな洋食屋だ。歴史は百三十年と古く、昔ながらの常連客も多いと聞く。
「うっわ、この行列が全部そうなの?」
店の玄関付近から、ずらりと列を成した人の群れに、ユジュンがげっと汚い声を出した。列の長さは十メートルほど。人数にして二十人くらいかな。
「ランチタイム真っ只中だしね」
出遅れた感はあるけど、お目当てのランチセットを食す為には並ぶこともいとわない。
僕たちは列の最後尾に並んだ。
「何を食べるの?」
「うんとね、ビーフシチューのセット。牛ほほ肉がホロホロで、デミグラスソースが絶品の。おまけにエビフライとメンチカツまで付いてくる、お得なランチだよ。それが、大銅貨一枚ちょっとで食べられる。たまには庶民の味も味わっておかないとね」
「ユリシーズ家の食事はいたずらに高級だから、舌が麻痺しそうだったんだ」
ユジュンにとっては待ち焦がれた庶民の味かも知れなかった。
僕は待ち時間を、文庫本を読むことで有意義に過ごしたけど、ユジュンはただ、ぼーーっと空を眺めていた。
「あー、あの雲、プリンみたい。なんか、プリン食べたくなってきた」
「デザートに、プリンを注文すればいいじゃない」
僕は文庫本から顔を上げて、そうユジュンに言った。
「あー、そだね。そうしよっと」
ユジュンの返答を聞いてから、また僕は文庫本に目を落として、本の世界に没頭した。
待つこと一時間半。やっと僕たちの順番が回ってきた。
「あら、かわいいお客さん。お待たせして、ごめんなさいねぇ」
頭に三角巾を着けて、エプロン姿のおばさんが、席まで案内してくれた。
カウンター席の一番奥に通されて、また、少し待たされてから、ようやっとお目当てのビーフシチューのセットにありついた。
セラフィータには、特別に、カットしたフルーツの盛り合わせを用意してもらった。
ビーフシチューは間違いのないお味だった。
大きなエビフライとメンチカツは、ライスと合わせて、お子様の僕たちにはボリューミー過ぎたような気もするけど、二人揃って完食した。予定通りユジュンはプリンも食べてた。思わず、君の胃袋はブラックホールか、とツッコミたくなっちゃったよ。『甘い物は別腹~』とか言われたら腹が立つから、言わなかったけど。
外に出る頃には、胃がはち切れそうになっていた。
「あー、食った、食った!」
ユジュンが腹を叩いて満足している。
「フルーツも新鮮だったわ。いい店ね、あそこ!」
セラフィータも僕の左肩でご機嫌だ。
「さて。お腹も膨れたところで、ギルドを目指そうか」
閑話休題と、僕は軽く手のひらを打った。
「よっ! 待ってました! 本日のメインイベント!」
ユジュンが茶化す。
彼は憧れのギルドに行けて嬉しいだろうけど、僕はあんまり気が進まない。はっきり言って億劫だ。出来れば行きたくない。
それは、ひとえにユジュンを連れているからで。
一人きりなら平気なんだけど。
ギルド直結のテレポーターがあればいいのに、少し手前にしかないのがそもそもの問題だ。
ひとまず、僕はユジュンを連れて近場のテレポーターから、そのギルドにほど近いポーターに飛んだ。
中心街からちょっと離れた場所にある、西街はいわゆる宿屋街だ。真っ昼間は人出もなく通りは閑散としている。たまに冒険者とすれ違うくらい。
「なんで、宿屋と酒場と娼館が一緒になってるか、分かる?」
「……わかんない。小説にもよく出てはくるけど、深く考えたことなかったや」
「冒険者は日々、命の危機にさらされてるから、生存本能が刺激されて種の保存に走るんだって」
「ふーん? ところで、しょーかんってなに?」
ユジュンが曇りなき眼で見つめてくる。
そこから? ユジュンはちゃんと対象年齢に応じた小説を選んで読んでるんだろう。だから、性とかそう言ったイロ事については知識がずっぽり抜けてるんだ。
「娼婦とか男娼が春を売るところ」
「ハルを売るの??」
ユジュンの頭の周りはハテナマークでいっぱいだ。
僕はそれ以上説明するのもはばかられて、どう処理しようか考えあぐねた。
と、宿屋の二階から、こんな声が降ってきた。
「はぁーい、ボウヤたち」
開け放った窓から、年若い娼婦が、はしたない格好で僕たちに向かって笑顔で手を振っている。どこか夜の空気をまとったままでしどけない。
これだから昼下がりの宿屋街を歩くのは嫌だったんだよ。そろそろ娼婦たちがこぞって起き出してくる時間だ。ギルドはそういう場所を抜けた先にあるから、通らざるを得ない。
「こんにちはー!」
何も知らないユジュンは、単にキレイなお姉さんに挨拶された体で、手を振り返したりしてる。
「ユジュン、手なんか振り返さなくていいから!」
僕は繋いだ右手を強く引いた。
「おっとっと、なに? どうしたの、ナユタ」
「僕たちには、その種の保存本能がないから、関係ないけど」
「そうなの?」
大事な要素の欠落に、ユジュンが気付くのは、五年後か、はたまた十年後か。
「そう言えば昨日、子供がどうとか言ってたよね。僕たちには生殖能力がないんだ。残念ながら子供はどの道つくれないよ」
「無能じゃん!」
子供がつくれない、という実に分かり易い部分にだけ、ユジュンは過剰に反応した。
「ま、不能かどうかは、ルキがどこまで精密に設定して造ってくれたかによる。こればっかりは成長してみないと分かんない」
「………」
ユジュンはよっぽどショックが大きかったのか、俯いて歩調が遅くなった。
やがて一際堅牢で重厚な建造物が視界に入ってきた。何人の侵入をも許さないといった感じの門扉に護られている。
「ほら、ユジュン。ギルドだよ」
「え? ホント?」
ユジュンが顔を上げた。
「わーすげー!」
あれだけ意気消沈としていたのが嘘みたいに、ユジュンは復活した。
トルキア・コソコソ話。
ユジュンがイリヤに抱いている感情は恋愛感情とは限らないよ。そもそも、ホムンクルスが人を愛せるかが不明なんだ。
ドール専門店の店名は、オマージュってことにしといてー。