2 ユニークスキル
「この国の人は、みんな言の葉が使えるの?」
今、ユジュンが最も知りたいであろう数字を尋ねてきた。
「みんなじゃないかな。中には使えない人もいるよ。だいたい、人口の八割は使える感じかな。ユジュンみたいに魔素を感知できない人が少なからずいるんだよ」
「その人たちはどうするの?」
「さあ。僕もその辺についてはよく知らないよ」
「やっぱり、つまはじきにされたり、肩身が狭い思いをするのかなぁ」
「言の葉を使えなくても生きては行けると思うけど」
科学が進んでなくって、電気が普及してない国だけど、代わりに発達した『魔導』の力で、普段の生活で不便に感じる場面は少ない。僕がアースシアへ行ってしばらく生活してみても、そんなに生活基準のレベルの差は感じなかったくらいだし。
夜の屋敷内の廊下が、こんなにも煌々として明るいのも、魔導石に魔素を蓄積させて光らせてるからなんだよね。
僕は、それをユジュンに解説した。
「へーえ。マドウセキ。初めて聞くなぁ」
「文明の違いは文化の違いってね」
と、言ったところでドアが開き、食堂にたどり着いた。
やたら長い白いテーブルクロスの掛けられたテーブルの席には、ユーリがたった一人で座り、食事を摂っていた。
ユーリは十八歳の性別不詳の青年だ。髪を無造作に肩口まで伸ばし、割合整った顔立ちをしているけど、ちょっと頑固で融通が利かない神経質な印象がそのまんま出てる。でも、僕みたいな子供とも対等に接してくれたり、快くサポート役に徹してくれたりとかする一面もある。
今は王宮に勤めていて、ルキの遺したよく分からない研究を引き継ごうと、上と必死に掛け合ってる最中だとか。おいそれと上手くは行かないみたいで、東奔西走してるらしい。
大抵、この時間にかち合うから、ユーリの生活リズムと合ってるんだろう。
僕たちは並んで、ユーリの前の席に着いた。
「やぁ、ユーリ」
僕が声を掛けると、そこで初めてユーリが皿から顔を上げた。
「どっちがナユタだ」
ユーリの第一声はそれだった。
「はい、おれ、ユジュン」
ユジュンが右手を挙げた。
「僕がナユタだよ」
僕は肩をすくめてみせた。
これだけ長い時間一緒に暮らしていて、見分けがつかないとは。情というか興味が薄すぎるんじゃないだろうか。
「いつ見ても、並ばれると奇妙な感覚しかしないな」
ユーリはそう吐息してから、
「いつまで滞在するのだったか」
と、問うてきた。
「十日だよ」
僕は答えた。
ユジュンの疑似家族は宿屋を営んでいる。子供ながら、跡取り息子のユジュンも立派な働き手で、最初はとても家を空けられないと手紙に書いてきたんだけど、そこは僕が無理やり押し通して、エレメンタリースクールの休みを狙い、十日間の猶予を家族から勝ち取った。年末年始のかき入れ時に、とユジュンにはぶちぶちと文句を食らったけれど。
まぁ、半ば拉致同然でアースシアからユジュンを連れ帰ったわけ。
そのユジュンはテーブルの上にセッティングされたカトラリーを、目玉をひんむくようにして見つめている。
間もなく、オードブルが運ばれて来た。
「ナユタ、これ、どうやって使うの?」
ユジュンがこそこそ耳打ちして来る。
「左端から順番に、だよ」
僕は順繰りにユジュンにカトラリーの使い方を教えてあげた。
「こんなの高級フレンチのレストラン並みだよ」
ユジュンは出て来る皿、出て来る皿に、軒並みため息をついていた。
僕も最初はそんな感じだった。今ではもう、慣れたけど。
「あのさぁ、ユーリ?」
食事の途中、ユジュンが恐る恐ると言った感じでユーリに話しかけていた。
「なんだ」
「どうやったら、言の葉を使えるようになるの?」
「精霊の魔素に耳を傾けることだ」
ユーリは取り付く島もなく、そう断言した。
「それが、よく分かんないんだけど……」
「おまえは既に『同胞』を顕現させている。言の葉を使える地ならしは出来ているはずだ。アースシアは科学文明が発展し過ぎて魔素が薄い上に、情報が遮断された閉じた世界だ。言の葉を覚えるきっかけが掴みづらい。だから、魔素の濃いこの土地で覚えて帰るのが吉だろう。間口は広い方が良い。そもそもは、言の葉とは物心つく頃に自然と覚えるものであって……」
ここからユーリの長い講釈が始まった。
「おれ、久々にナユタと会って、しっくりきたんだ」
いつの間にか、話は僕たちの存在について、に移り変わっていた。
「それは僕も。違和感がないっていうか」
「納得するのもあながち勘違いではない。おまえたちの魂は、賢者の石を通して絶えず引き合っているのだから」
ユーリは食後のコーヒーを飲んでいる。
「おれたちって、どのくらい生きるのかなぁ。例えば、年を取るのか、とか。物語の中だと、ホムンクルスは不老不死ってことになってることが多いよね」
ユジュンは読書家だ。色んなファンタジー小説を読んでいる。
「おまえたちは二人で一つ。光と影。言い換えれば陰と陽。どちらかが機能停止すれば、残されたもう片方もそう時を永らくせず、没するだろう。その寿命についてだが、賢者の石の精製度に依存している。五年後かも知れないし、十年、五十年、もしくは百年生きる可能性もある」
ユーリは続ける。
「肉体年齢はおそらく、ルキさまの気力体力が共に最も充実していた最盛期の二十七歳あたりで固定される説が今のところ濃厚だ」
そのときのユーリの視線は、テーブルの上の、果実にかぶり付くセラフィータにあった。
「そっか……やっぱり、年取らなくなるんだ。いつまでも、家族と一緒にいるのは限界があるんだね」
「そういうことだ」
「そのときは、僕と一緒に旅に出ようよ。毎日冒険して、きっと楽しいよ」
僕は景気づけようと、そうユジュンに声を掛けた。
「うん……そうだね」
ユジュンはちょっと、気落ちした様子だった。
僕と違って、ユジュンは家族に思い入れが強いから。
僕のお母さん、セシリアは写真と名前さえあれば人を呪い殺せる異能を持っていた。ルキは彼女に僕を託して育てさせた。お母さんと一緒に暮らせた間は幸せだった。でも、お母さんの悪い噂と流行病が村に蔓延したことが相まって、火あぶりになって殺されちゃった。僕が六歳の頃だった。その後、三年間は見知らぬ男の屋敷に引き取られて、その妻と息子に虐げられて過ごす日々が続いた。激しい言葉と身体的な暴力に耐え、あざと生傷が絶えない日々の果て、僕は義母に牙を剥いた。嵐の夜に刺し殺したんだ。別に人殺しだとか呼ばれても構わない。あの時は、それがベストな選択肢だと思ったし、やったことに後悔はない。
「あたしは、ナユタが人間だろうと、ホムンなんとかだろうと、どっちでもいいわ」
締めに、果実を腹に収め終えたセラフィータが堂々と発言した。妖精もまた、人間とは別の時間軸で生きる生物だ。時間に捕らわれない。多分、長寿なんだろう。セラフィータはたまにだけど、僕の欲しい言葉をくれるから、ほっとけないんだよね。
「で、さぁ。さっきから流れてる、この音楽はなに?」
ユジュンが気にしているのは、バックで流れている蓄音機から吐き出される音楽についてだった。
「ノクターンだ。夜想曲ともいう」
「ノクターンか……音楽、旋律……」
デザートであるフランボワーズムースを横目に、ユジュンは何か、考え込むような素振りを見せた。
「どうかした?」
「うん、ちょっと、思いついたかも……」
ユジュンは散らかった頭の中を整理しようとしているようだったので、僕はそれ以上声を掛けることを控えた。
ケーキを食べ終えた僕は、続いて出された紅茶に、ミルクと砂糖を加えて飲んだ。
「ナユタ、ミルク飲ませてちょうだい」
「うん」
セラフィータが望むように、僕がミルクの入った瓶を持ち上げて、彼女の口もとに傾けてやると、ごくごくと中身を飲んで喉の渇きを潤していた。
後は今後の見通しについてユーリと話し合って、その日の晩餐はお開きとなった。
ユジュンの生活リズムを聞くと、とんでもなく早く寝て、とんでもなく早く起きることが分かった。
彼の眠る時刻に、ナンシーと一緒にユジュンに宛がわれた客室へと案内した。
ドアを開けて、中を見るなり、ユジュンは、
「王さまの寝る部屋じゃん!」
と仰天していた。
まぁ、天蓋付きの豪華なベッドだけでも、誰だってそう類推するよね。おまけにアンティークの文机と椅子のセットと、猫足の簡易的な応接セットまで配置されてるんだもの。
「僕の部屋はここから左に折れて、突き当たりの部屋だから。何かあったら訪ねて」
「う、うん。ありがと、ナユタ。おやすみ」
「おやすみ、ユジュン」
そう笑顔で挨拶して、僕はドアを閉めた。
「おぼっちゃんもお休みになられますか?」
ナンシーが訊いてくる。
「うん、そうだね。僕も、もう休もうかな」
ナンシーに見送られながら、僕も自室に引き上げた。
ベッドに入ると、セラフィータもナイトテーブルの上に置かれた、ふかふかのクッション製の高い寝床にうつ伏せで寝転がった。
「ふにゃふにゃ。お腹いっぱーい。今日もよく眠れそうだわ」
僕がオヤスミを言う前に、セラフィータはコテンと寝てしまった。
僕はといえば。
もう一体の『同胞』である『夜』を呼び出して、膝枕をさせていた。
『夜』はとある人物から譲渡された、お母さんにそっくりな女性型の『同胞』だ。ただし、会話したりすることは叶わない。ただ、僕に微笑みかけて、頭を撫でてくれるのみだ。そう、『夜』はお母さんの抜け殻なんだ。
「お母さん……」
僕は頬を『夜』の柔らかな太ももに擦りつけて、甘えた。
これもいつものこと。
でも、さすがにまだ眠気は襲ってこなくて、枕元に忍ばせてある分厚い古文書を引っ張り出して読み始めた。
それは古代語で書かれた、錬金術についての書物だった。難解で、読み進めるのに難儀している。睡眠導入方法としては最適なんじゃないかな。
「ふぁ~あ」
複雑な文字列に誘われるように、眠気がやって来た頃。コンコン、とドアをノックする音がした。
「はい」
僕は古文書を枕の下に追いやって、『夜』をあちら側に帰した上で返事をした。
「ナユタ。おれだけど、いい?」
外から、くぐもったユジュンの声が響いた。
「どうぞ」
ドアが開いて、そっとユジュンが部屋に入ってきた。両手で枕を抱えている。
「どうしたの?」
「いや、あの、部屋が広すぎて寝付けないっていうか、場違い感が凄すぎて目が冴えちゃってさ」
ユジュンはモジモジしながら、ベッドの側まで歩いてきた。
要は、さびしくて眠れないってことみたい。
「一緒に、寝る?」
僕は枕を左に少しだけずらした。キングサイズのベッドなので、もともと子供一人には広すぎる面積がある。二人で寝ても余裕だ。まだ余るくらい。
「いいの?」
「うん。環境が変わると眠れないっていうけど、ユジュンがそんな繊細なタイプだとは思わなかったよ」
「いや、今回はちょっと世界が違い過ぎて……」
「雰囲気にのまれた?」
「そんなとこ」
ユジュンがベッドの上に上って、枕を設置した。
「セラフィータは……」
「もう寝ちゃってるよ」
「良かった。起きてたら、また、なんて難癖つけられるかと思った」
ユジュンは寝転がって、上掛けの布団を被った。
「セラフィのこと、苦手?」
「うるさいし、嫌味だし、生意気だし、はっきり言って嫌いだね!」
隣でユジュンがプンスカしているのがおかしかった。
セラフィータが妖精の評判を落としているのもまた、おかしかった。
「うふふ。明かり、落とすね」
僕はナイトテーブルの上に置いてある魔導石に触れた。ふっと、明かりが落ち、暗闇が降りてくる。
「あのね、ナユタ」
寝転がったユジュンがぽつりと話し出した。横を見てみたら、まっすぐ天井を見つめたまんまだった。
「うん? なに?」
「前におれたちホムンクルスにはユニークスキルが付与されてるって手紙に書いてたじゃない」
「ああ、『捕食』のこと?」
『捕食』はルキに与えられた僕固有のユニークスキルだ。対象をまるっと飲み込んでその能力ごと自分のものにするってやつ。
「うん。あれから色々考えたり、探ったりしてたんだけど……それらしき能力がひとつ、見つかったんだ」
「へぇ、どんなの?」
「うん。他人の記憶を消す、って能力が備わってるっぽい。何度か試してみた」
「え、すごいじゃない!」
僕は思わず身体を起こしそうになって、慌ててベッドに押し戻した。
「ほんの、ちょっとした実験なんだ。お姉ちゃんに、お風呂場の石けんを新しく追加しておいて、って頼まれたんだ。で、おれはそれをすっかり忘れて、お姉ちゃんに叱られた。そのときにお姉ちゃんの両目を見たら、まるで時が止まったみたいになってさ」
「うん、それで?」
「お姉ちゃんの頭の中から、石けんを追加しておいてって命令した科白を抜き出して、消したんだ。こう、ノートに書いた文章を、消しゴムで消すみたいなイメージで」
「うん」
「そうしたら、お姉ちゃん、ぼーっとなって、どっかへ行っちゃって、その隙に石けんを新しくしといたんだ。で、次におれと顔を合わしたときに言ったんだ。『私が頼む前に石けんを追加しておいてくれたのね、偉いわ』って。おれのヘマが帳消しになってた」
「すごい、記憶操作だ!」
僕は興奮して、ユジュンの横顔を見た。
「いや、まだ、そこまで凄いスキルじゃないよ。試したけど、本当に簡単な記憶しか消せないんだ。深くて入り組んだ記憶なんかは無理。イリヤなんかは下らない会話ですら忘れてくれなかったし。人の記憶って複雑なんだ。まだまだ試行錯誤の余地がありすぎる」
ユジュンの横顔はいつもより真剣そのもので、スキルに浮かれている様子がない。
「人にはなかったことにしたい記憶って必ずあるじゃない。それを自在に消せれば、商売になるよ、きっと」
「いつかは『記憶操作』って呼べるほど、誰かの記憶を自由に消したり出来るスキルになればいいと思ってる。さっき、ユーリにホムンクルスは歳を取らないって話を聞いて、特にそう思い直した」
「……どういうこと?」
僕は素朴に尋ねた。
「二十七歳って言ったら、結婚して、孫の顔でも親に見せてやろうかって歳じゃない。そんな時分に急にいなくなったりしたら、みんな悲しむよね。だったら、おれの存在ごと記憶から消しちゃった方がいいんじゃないかと思って」
ユジュンが眉を歪めるのが見えて、僕は少し間を置いてから喋った。
「それは今考えるべきじゃない。まだ先の話だよ」
まだ二十年近くも先のことを、今、思い悩むのは間違ってる。時間はまだまだあるんだよってことを、僕は切々と訴えた。
最後は、そうだねって微笑んでくれた。でも、僕もお母さんを亡くしてるから、その痛みの一端は推し量れても、家族単位で失う恐怖の大きさは、想像だに出来なかった。本物の雪を知らない子供のように。
ユジュンに、僕の思いが伝わってるといいな。そう思いながら、眠りに落ちた。
トルキア・コソコソ話。
ナユタとユジュンは二十七歳を境に、ユリシーズ家に身を置いた後、山に籠もって隠遁生活を始めるよ。
ユーリはよく顔を出して様子を確認してるよ。ヒースやテン、イリヤもたまに訪ねてくるよ。
ユジュンは本当に家族から自分の記憶を消しちゃうんだ。