第七話 「膠着」
「キミのお友達は戦わないのかい?」
黒一色に鈍く光る短刀と白く煌めく騎士の剣の剣閃が複雑に絡み合い、黒と白の稲妻のような残像を描く中、トリステレム=インダルジェンスとガヴェイン=ロッソは同じ間合いを保ったまま舞っていた。
「アイツは考えるのに集中してんだ。邪魔すんなよ、えーっと……トリステレムさん?」
「合ってるよ。自信持て」
ガヴェインはガレイスの指示通り、トリステレムの反撃を警戒するために、踏み込み過ぎないように動いていた。
そして、まるで踏み込みの無い攻撃に、トリステレムはさしたる機も伺えず、反撃は放棄したかのようにガヴェインの攻撃をいなし続けていた。
しかし、他愛の無い会話を交えさえするような当人達の緊張感の無さとは裏腹に、苛烈な剣戟は双方の間で行われ続けていた。
「はぁ…」
唐突にトリステレムが漏らした溜息に、ガヴェインは反応する。
「どうしたんだ?退屈ならどうしようもないが、相談くらいは乗れ…ますよ?」
「キミは敬語が下手だねぇ…ま、それも愛嬌って奴なのかな」
金属がぶつかり合う音は絶えない。
その中でトリステレムは口を開く。
「いやね…別に、何ともないんだ。ただ、長く生きてると無性に溜息を零したくなる時もあるのさ」
口調は重くはなく、かといって軽くもなく、ただありのままを述べたようなものであった。
「……ふーん?」
ガヴェインにはそれが酷く引っかかったが、特に突っ込む様な所も思い付かなかったので、それ以上の詮索は止めた。
ガヴェインの反応を見て、トリステレム=インダルジェンスは一つ、笑顔を作った。
骸骨が笑ったような、生気の無い、凶悪な笑顔を。
「あァ、やっぱりキミも"こっち側"だったんだね…そうか、そうか。それは嬉しいなァ」
ガヴェインはその言葉の意味も、不気味な笑顔の理由も分からなかったし、気にも留めなかった。
ただ、彼の持つ直感、あるいは野生の勘とでも言うのか、それが俄然と警鐘の音を鳴らした。
故に、ガヴェインは仰け反った。
腰から背中を逆に折り、胸と顔を空に向けるように。
---その眼前を、黒く光る、ナイフが掠めた。
「触れれば無条件に断ち切れるナイフ……」
ガヴェインとトリステレムが激しい攻防を繰り広げている間、ガレイスは必死に方法を模索していた。
一つは、トリステレム=インダルジェンスの持つチート能力を破る方法。
もう一つは、それでトリステレムに勝つ上で、生かす方法を。
「あのナイフが魔猪だけを斬ったという事はナイフが触れた物だけが両断の対象になる……?だったら、ナイフに一枚何かを咬ませて身代わりに使えば肉薄出来る?」
「……いや、ナイフで切り付けることじゃなくてナイフが触れることが条件なら、ナイフで突くなりして貫通出来る範囲…ナイフの刃渡りまでの厚さの物ならその間に何が在ろうと両断か…」
眉を顰め、ガヴェインとトリステレムの攻防から眼を離さずに思考に耽る。
そして一つ、気にかかった事があった。
「……何が在ろうと?……待て、なら、ガヴの剣は何故斬られてない?」
「斬れる物には硬度制限があるのか?いや、それとも金属全般は切り裂けないのか……なら、魔猪の牙を斬らせて試すか?だが、アレを切り取るのも時間が掛かってしまう……」
そしてもう一度、前提条件を振り返る。
「いや待て、そもそも、あのナイフだけなのか?……ナイフで両断出来る事が能力じゃなくて、仮に、"振るうもので触れること"が能力の条件だとしたら?」
つまりそれは、その辺に転がる木の枝や、或いは纏っている布なんかも能力発動の条件を満たせる事になる。
「チート能力は、本人の能力……か?」
ガレイスはすぐさま、ガヴェインにその事を伝えようと、叫ぼうとした。
そして、仰け反ったガヴェインの顔の前を通り越し、此方に黒い物体が飛んでくるのを見た。
速い、が、反応出来ないわけじゃない。
ガレイスはそのナイフを剣の腹で受け止めたが、速度も相まって中々に重い攻撃には歯を食いしばってしまい、叫ぶ事など出来なかった。
すぐさま、前に向き直る。
ガヴェインの胴体は…まだ付いている。
しかし、まるで輪切りにしたかのように、服の腹の所から下が綺麗に切り落ちていた。
どうやら、胴体への横薙ぎは、後ろに跳躍することでガヴェインが紙一重で避けたようだ。
そのまま、ガレイスの元まで後ろ向きに跳躍してくる。
「あっっっぶなぁ……もう少しで死ぬとこだった……」
ガヴェインは肺から息を全て吐き出してから、再び胸いっぱいに空気を吸い込む。
「こっちの緩い攻めに合わせて、急に攻めて来やがった……多分、もっと早くに攻められてたら…確実に押され負けてた。受け身だからって油断し過ぎたな…」
ガヴェインはさも自分のせいのように言うが、実際の指示を出したのはガレイスである。
「すまない…そりゃあ緩い攻撃しか来ないなら攻めて来るもんだわ、その辺考えが抜けてた。すまない」
ガレイスもそれを理解していた。
一歩間違えれば絶命だった所を「すまない」を二回で片付けられるのは、ひとえに二人の信頼関係によるものだろう。
または、人はその時になるまで真の重大さを理解しない、というものだろうか。
「まず一つは、奴のナイフが斬れる物の制限を確かめたい。それにはさっきの魔猪の牙を使う。アレなら恐らく、その辺の刃物じゃ太刀打ち出来ない硬さを持ってるはずだ。次に、奴の能力がナイフ由来の物か、それとも奴自身が振るう事に意味があるのか確かめたい。次の攻撃には、奴が投げたナイフを使ってくれ」
反省は程々に、ガレイスは自分の予測を述べていく。
「いや、奴の投げたナイフで魔猪の牙を斬れるか試す方が良いか?運が良ければ全部解決するんだが…」
トライアンドエラーを試せる時間は少ない。
ガレイスはそれを理解しながらも焦っていた。
「とりあえず、アイツのナイフは一本しか残ってないなら、また俺が時間稼ぎしても良いぜ?」
ガヴェインが今度は慎重に切り出す。
「それも考えたが…もし奴自身の能力なら、その辺の小枝や…或いは細い針や糸なんかを隠し持たれていたら危ない。ナイフが片手で扱える以上、空いた手の分の攻撃手段は何かしら持っているはずだ」
ガレイスはそれを却下する。
「そうか……しかしよぉ、仮にナイフの持つ力なら、なんで手放した上にこっちに寄越したんだろうな?」
ナイフはガヴェインの足下に転がったままである。
「分からない…迂闊に触れもしない…」
それはまるで、疑心暗鬼を誘う爆弾のようであった。
「現状維持…もって今はこれが限界か」
「とにかく、試せることは試しとこうぜ」
ガレイスは一呼吸置き、決断する。
「……俺がナイフで魔猪の牙を斬れるか試す。時間稼ぎはまたお前に任すが、今度は攻めないで良い。出来れば、奴と睨み合っていてくれるのが良い。空いた手は必ず警戒しておけ」
「了解!」
声と共に、ガヴェインは再び、トリステレムの前に立つ。
ガレイスはナイフを拾い上げ、真っ二つに分かれた魔猪の残骸へと走る。
どうやら、刃以外の部分に触れたものも切り裂く、というのは杞憂に終わったようであった。
「おーっと、そう来たか」
トリステレムは再び目の前に立ったガヴェインを見て、目を細めてそう言った。
「今度は二人で来るかと思ったけど…案外、あの子はパワープレイが嫌いな様だね」
「ハンッ…お前如き、ガーちゃんが相手する程でも無い…んですよ!」
「その口調は最早笑えてくるねぇ…距離感を計るのが苦手な子なのかな。親しみさえ感じるよ」
「えっ…?トリステレムさんってオレの親戚……?」
「俺には肉親も親族も居ねぇしお前みたいな阿呆は要らねぇよ」
「あっ……お辛い事を言わせてしまってすいません……」
「その気遣いが出来るならもっと普段から出来るようにしとけよ。あとそれ今要らねぇ」
「それじゃ、どうするよ?睨み合いも好きじゃないけどそっちの方が良いって言われたんでこのまま睨み合いもやぶさかでない…んですが」
「……切り替えの早さと優しさは憎めないんだがねぇ……」
依然として、緊張感の無い立ち会いであった。
が、しかし。ある程度の猛者なら感じ取れたであろう。
その穏やかな水面の下で繰り広げられる、熾烈な牽制の数々が。
「(ガーちゃん……待ってるぜ……)」
ガヴェインはガレイスに全てを託し、次はナイフ一本も通さない心構えでいた。
「いいねぇ……おじさん、戦いはあんまりした事ないし、出来ればしたくないんだけど、良い男の面構えっての?それだけはハッキリと判るんだわ」
そう言ったトリステレムは、今までの両腕をだらんと下げる構えから、投げたナイフを持っていた手と逆の手…つまり、未だにナイフを持つ手を上に高く上げ、何も持たない手を前に出し、脚を前後に広げるように前傾姿勢をとった。
まるで、歌舞伎役者のような。
「おじさん、未だに受け慣れてないからさ。攻める方が楽だし得意なんだ」
そう言い、牙を笑顔に乗せた。