開戦の烽火
オークキングは丘の上に立つ人間の姿に気が付いた。
数は3人、2人からは強い魔力が感じられるがたった2人では脅威となる程でもない、もう1人は何の力も感じられない。
多少の犠牲が出るかもしれないが、問題はない。
この戦線は容易く突破できるだろう。
男は食料に、女は兵への褒美にすればいい。
60体の部隊だ、どちらも兵を満足させる程ではないが、人間の都市に攻め入る前の景気づけ程度にはなる。
弱肉強食が理の魔物の群れだが、今回の褒美は雑兵にくれてやろう。
オークキングは兵達に戦闘態勢を指示した。
丘の上に立つゼロは眼下に現れた魔物の群れを観察した。
オークキングの指揮の下、横隊陣形に隊列を整えている。
「なるほど、確かに規律がある部隊ですね。こちらが少数でも油断も手抜きもしないようです」
ゼロは背後に立つレナとシーナに振り返った。
「始めましょう。先ずはアンデッドで数を減らします。オーク相手にスケルトンでは体格や力で劣ります。こちらの阻止線を突破した敵はレナさんが各個に処理してください」
レナは頷いた。
「任せてください」
その時、周囲を見渡していたシーナが異変に気が付いた。
「南側に烽火が見えます。南方で戦闘が始まったようです。北方にも烽火が」
それぞれの開戦を知らせる烽火だった。
烽火が上がっていないのはあと2箇所、この西方と北西だ。
「やはり、思ったよりも進軍速度が早かったですね。では、シーナさん、ここも始めます。烽火を上げて下さい」
「分かりました」
シーナは予め準備しておいた烽火玉を焚き火に放り込んだ。
開戦を知らせる白い煙が上がる。
ゼロは2体のスケルトンウォリアーを召喚した。
いつもの右目に傷がある個体と槍を持った個体だ。
更にバンシーを召喚する。
涙を流しながら微笑んだバンシーは優雅に礼をする。
そして最後にオークの部隊の前方に40体のスケルトンを召喚して配置する。
全てが槍を持つスケルトンだった。
「スケルトンウォリアーは20体ずつのスケルトンを指揮しなさい。先ずは密集隊形で待機」
スケルトンウォリアーはスケルトンの列の中心に位置し、隊形を整えていく。
正面にいるオークの陣形よりも数で劣る分左右の幅は狭いが、厚みを持つ重厚な隊列が出来上がる。
双方は100メートル程の距離で対峙したが、やがてオークの軍勢が前進を始める。
「近づいて来ましたね。バンシーは敵部隊が接触する直前に全体に精神攻撃を行いなさい」
ゼロの背後に立つバンシーは微笑むとゼロの前に移動して魔力を高めた。
「それから、2人は耳を塞いでいてください。バンシーの精神攻撃は貴女達に向けられるわけではありませんが、中々に強烈ですよ」
レナとシーナは息を飲んで頷くとしっかりと耳を塞いだ。
ゼロは冷静にタイミングを測る。
2つの陣形が衝突する直前
「今です。泣きなさい」
・・・ぁぁぁあああ、ぁぁあああ
戦域全体にバンシーの泣き声が響き渡る。
攻撃対象ではなく、耳を塞いでいるレナとシーナですら顔をしかめている。
精神攻撃をまともに受けたオーク達は足を止める者、膝をつくもの、攻撃に耐えて前進しようとする者と混乱が生じて陣形が崩れた。
「足が止まりましたね。今です!前進」
密集して槍を構えていたスケルトンが進軍を開始、まるで一つの波のように前進し、混乱下にあるオークの最前列に襲いかかった。
最初の衝突はスケルトンの一方的な攻撃となり、10体以上のオークが討ち取られた。
しかし、オークキングの指揮下にあるオーク達は徐々に態勢を立て直し、真正面からのぶつかり合いになった。
純粋な力比べになると個々の能力で劣るスケルトンに分が悪く、徐々に後退を余儀なくされた。
それでも槍襖を維持し、多少なりともオークの数を減らしながらの後退だった。
「押され始めましたね。レナさん、ここから敵の右翼に攻撃魔法を打ち込めますか?」
レナはゼロが指示する場所を確認する。
「距離があるので効果は期待出来ません。せいぜい2、3体が巻き込まれる程度ですよ」
「それでも構いません。やってください」
レナは目標地点を見下ろすと火炎魔法を発動した。
目標となった地点のオークの足元から炎の柱が上がり、付近にいたオークが巻き込まれた。
レナはこの魔法を詠唱無しで行使した。
「無詠唱で、流石ですね」
「でも、やっぱり効果は薄いです。巻き込まれたのは2体ですね」
現に炎に包まれたオークは2体に過ぎなかったが、ゼロの狙いは他にあった。
「大丈夫です。見ていてください」
ゼロの言うとおり、炎に包まれたオークを見ると、即死出来なかった2体のオークは炎に包まれながら暴れ回り、他のオークにしがみつく等により被害が広がり、右翼の陣形が崩れた。
スケルトン達はその隙を見逃さなかった。
隊列を組んでいた一部のスケルトンが混乱するオークの中に踊り込み、オーク達を更に混乱させた。
ゼロは剣を抜いた。
「頃合いですね。私も前に出ます。レナさんはここから援護してください」
そこまで様子を見ていたシーナが口を開いた。
「口を挟んで申し訳ありませんが、ゼロさんが出る必要がありますか?」
シーナの意見にレナも同意したが、ゼロは首を振った。
「オークの数を3分の1程減らしましたが、これ以上は無理です。スケルトンの数も減っていますし、ここからは乱戦になります。有効な打撃を与え続けないといけません」
言い残してゼロはバンシーを従えて丘を降りて行った。
その間にもスケルトンはオークに押されて半ば壊滅状態になっていたが、恐怖を感じることがないアンデッドであるために混乱は生じていなかった。
ゼロも隊列の背後から光熱魔法を放ってオークを葬り、バンシーも氷結魔法を行使する。
丘の上からはレナの火炎魔法が降り注ぐ。
スケルトンも壊滅状態だが、オークも混乱を立て直すことが出来なかった。
オークキングは苛立った。
簡単に突破出来ると思っていた筈が、いつの間にか半数以上の損害を受けている。
このまま損害が増えればこの場を突破しても他の隊に遅れを取ってしまうだろう。
なんとしてもこの辺りで決着を付けなければならない。
そのためには自分が前に出て敵を殲滅すればいいだろう。
オークキングは戦鎚を構えて足を踏み出した。
ゼロはオークキングの動きを待っていた。
前面に出てくれば勝機を掴み取れる。
「来ましたね。散開して乱戦に持ち込みます。スケルトンは3体で1体の敵に対処しなさい。突破された敵は後方のバンシーと魔術師に任せてかまいません」
ゼロの号令でスケルトンは散開し、双方入り乱れての乱戦に陥った。
その乱戦の中、オークキングが戦鎚を振りかざして前面に出てきた。
戦鎚の直撃を受けたスケルトンが砕け散る。
ゼロはオークキングの頭部目掛けて光熱魔法を放つが、放たれた光の矢はオークキングの手前で霧散した。
「やはり、魔法防御がされていますか。私の魔法では抜けなそうですね」
ゼロは魔法攻撃を諦めて剣を構えてオークキングに対峙した。
2体のスケルトンウォリアーは周囲のオークを引き剥がしゼロの戦闘空間を確保する。
オークキングは吠え哮りながら激しい打撃を繰り出すが、その攻撃をゼロは紙一重でかわす。
「大丈夫でしょうか?」
様子を窺っていたシーナが不安を露わにする。
レナも険しい表情を浮かべる。
「ゼロでも危ないかもしれません」
レナは意を決して駆け出した。
「ゼロの援護に向かいます。貴女はそこを動かないでください」
丘の上に取り残されたシーナの背後にいつの間にか前線にいた筈のバンシーが立っていた。
瞳から涙を流しながらニッコリと微笑む。
シーナは恐る恐る声を掛ける。
「もしかして、私の護衛に?」
バンシーは頷いて、ゼロを指差した。
「ゼロさんの命令ですか」
バンシーは頷いた。
オークキングの嵐のような打撃にゼロは自らの間合いに入れずにいた。
無理に飛び込んで攻撃が掠りでもすればそれだけで吹き飛ばされてしまう。
負ける気はしないが、勝つための決め手にも欠けていた。
「さて、どうしますか?正直手詰まりですね」
ゼロは距離を取って呼吸を整える。
その時、乱戦の騒音に混じって背後から軽やかな足音が近づいて来るのが聞こえた。
「来ましたね」
ゼロは振り返ることなく笑みを浮かべた。
「ゼロ、援護に来ました」
ゼロの背後にレナが立つ。
レナの左右には2体のスケルトンウォリアーが守りに付くが、他のスケルトンは既に全滅し、周囲を残りのオークが包囲する。
その数約20体。
オークキングが勝利を確信したその時
「今、勝ちを確信しましたね?」
ゼロが不敵に笑った。
「なぜ勝ちを確信しました?スケルトンを全滅させたからですか?」
ゼロは静かに手を掲げる。
「朽ち果てし戦士の骸よ、各々に闘志を持ち戦友と共に生と死の狭間の門を開け」
ゼロの声に呼応して40体のスケルトンが再び召喚され、逆にオークを包囲した。
「私はね、一度に呼べるアンデッドには限りがありますが、魔力が続く限りは何度でも召喚できるんですよ」
ゼロの合図でスケルトン達がオークに襲いかかる。
今度は数で勝るスケルトンの方がオークを圧倒する。
「さて、今度こそ終わりにしましょう」
ゼロは剣を下ろして後退する。
その背後でレナが火炎魔法に最大の力を込める。
レナの構える杖の先に炎が集束する。
レナの魔力の高まりに反応して炎の色が変わり、最後にその炎は眩しい程の黄白色に輝く。
ゼロが背後に下がったのを確認したレナは炎の玉をオークキングに向かって放った。
ゼロの魔法よりも遥かに強力なレナの魔法はオークキングの魔法防御を容易く打ち消してオークキングを炎で包んだ。
あまりの熱量の高さにオークキングは一呼吸で体内まで焼き尽くされ、なす術なく崩れ落ちた。
激闘の勝敗は呆気なく幕を下ろした。
指揮官を失い壊乱状態になった残りのオークは瞬く間に殲滅された。
この戦場での勝敗は決した。
開戦から数時間、太陽は天頂を通過して西に傾きつつあった。
しかし、シーナは胸騒ぎを感じていた。
北西からの開戦の烽火が未だに上がらないのである。