戦いの前夜
既に日も暮れて月明かりの下、ゼロは風の都市の西方にある丘の上に立っていた。
眼下には開けた空間、その奥には深い森。
明日にはここに数十のオークの群れが現れる筈だ。
ただの群れではない、オークキングに率いられ、連携の取れた軍勢だ。
その軍勢を相手にゼロと背後に立つレナの2人で迎え撃たなければならない。
「いささか無謀ではありませんか?今からでも他に配置転換したほうが賢明だと思いますよ」
ゼロの言葉にレナは薄い笑みを浮かべる。
「貴方に借りを返すと言いましたが、此処を選んだのは他にも理由があります。乱戦になった時に私の魔法では他の冒険者を巻き込んでしまうおそれがあります。それに、開けた場所の方が私も戦い易いのです」
レナの瞳は決意に満ちていた。
「そして、私は貴方のパーティーでも配下でもありません。貴方の指示に従うかどうかは私の自由です。まあ、戦闘時の指示には従いますが、他に移れということには従うつもりはありません」
ゼロは諦めて、レナの背後に立つもう1人に目を向けた。
その人物は革鎧に護身用のショートソード、頭部にはヘルメット。
革鎧ですら重そうだ。
とてもではないがまともに戦えるとは思えない。
「ところで、貴女はなぜここに居るのですか?シーナさん」
ギルド職員であるシーナは緊張の表情だった。
ギルドの倉庫から引っ張り出したのであろうヘルメットはサイズが合っておらず、大きすぎて傾いてしまう。
シーナの表情と相まって滑稽に見える。
「私は督戦官であり、部隊間の連絡員です」
彼女の背後の木には連絡用の馬が繋がれていた。
今回の戦いではギルドも総動員で、ギルド長を含めて戦闘経験のある者は前線で戦闘参加、戦闘経験のない中堅職員は督戦と部隊間の伝令、新米職員は後方支援と役割を任されていた。
シーナは自ら西方の督戦を希望して参加していた。
「それにしても貴女こそ無謀ですよ。こんな危険な場所を希望するなんて」
「私はギルド職員としてこの危機に対処する責任があります。そして、こんな危険な任務を新米職員の小娘達にさせるわけにはいきません。これは私の仕事です。ゼロさんにも口出しはさせません」
(本当はそれだけではありませんけど。私は一度ゼロさんの戦いを見てみたかったのです。ネクロマンサーとしての誇りが揺らがないゼロさんの戦いを)
シーナは精一杯の虚勢を張って引きつった笑みを浮かべた。
ゼロはため息をついて視線を丘の下の平原に向けた。
明日には戦場になる場所である。
地形を頭に叩き込まなければならない。
ゼロの横にレナが立ち、同じように平原を見た。
「ゼロさんは明日の戦い、何か考えがあるのですか?」
「ゼロで結構ですよ。貴女の方が年上ですよね」
「・・・っ!」
ゼロの気遣いとは裏腹にレナは少し不機嫌になった。
背後ではシーナが笑いをこらえている。
(レナさん、ゼロさんに女性に対する気遣いを期待するのは無駄ですよ)
「考えはあります。オークが60体程、軍隊ならば小規模な中隊程度ですね、この平原ならば十分に戦域を把握できます。こちらもアンデッドの部隊で迎え撃ち、指揮官たるオークキングは私とレナさんで討ち取る。ちょっとした戦ですね」
その後、ゼロはレナとシーナに作戦の詳細を説明した後にその場で夜営することにした。
見張りはゼロが引き受けた。
明日の戦闘に備えて魔力を温存するためアンデッドは召喚しない。
丘の上に立ち周辺を警戒する。
背後の焚き火の傍らではシーナが静かに寝息を立てている。
「この緊張下で眠れる、結構な胆力ですね。で、貴女は休まないのですか?」
ゼロは振り返ることなく背後に立つレナに声を掛けた。
「貴方に助けられてから戻るまで5年がかかりました」
「依頼を受けてのこと、それだけですよ」
レナは苦笑した。
「貴方のそういうとこは5年前、風の都市を離れる時にシーナさんに聞きました。でも、これは私の気持ちの問題でもあります。魔導院での矯正教育は1年で終わりました。直ぐにでも風の都市に戻りたかったのですが、私は王都の魔導院に残って研究と修行に4年を費やしました。強くならないと貴方に借りを返せないと思ったから、そして自分自身が今後も冒険者を続けていくために、です」
「自らの歩む道の為に己を高める。立派な心掛けですよ。不謹慎ながら明日の戦いが少しだけ楽しみです」
レナは微笑む。
「期待以上の働きが出来るように全力を尽くしますよ」
戦いの前夜は静かに更けていった。
夜明け前、東の空がうっすらと明るみ、西の空はまだ夜の闇に包まれていた。
丘の上に立つゼロは風の変化を感じ取った。
風に乗って金属音、足音や息づかいが聞こえてくる。
「来ましたか。予想よりも早かったですね」
ゼロは振り返る。
既に目を覚まして準備を整えていたレナとシーナも頷く。
やがて、西の深い森から敵の軍勢が姿を見せた。
その数は事前情報の通り。
各々が簡素ながら鎧に身を包み、剣や槍で武装している。
部隊を率いるのは一際立派な鎧と兜に身を包んだオークキング。
縦列で森を抜けてきた軍勢は開けた平原に出て左右に陣形を変えた。
「確かに統率が取れていますね。少し、骨が折れそうです」
ゼロは余裕すら感じられる冷徹な笑みを浮かべた。
「さて、戦いの時です。始めましょうか」
ゼロは静かに、それでいて周囲の空気が張り詰める程に魔力を高めて開戦の時期を測っていた。