戦線崩壊
連邦国からの避難民の流入は途切れることなく続いていたが、時間が経つにつれ、その様相が変わってきていた。
今続々と到着している避難民は他の避難民についていけず、遅れてしまった体力の無い者ばかりで砦に逃げ込んだ以後はこれ以上の避難が困難な者ばかりになっていた。
老人、子供連れ、病人、怪我人ばかりである。
砦内にいる冒険者達もそれら弱者のケアに翻弄されていた。
日々の冒険で鍛え上げられた猛者達が老人のために食事を運び、泣き叫ぶ子供をあやし、怪我人の治療や搬送に当たっていた。
レナは外壁の上に立ち山道の様子を窺っていた。
外壁の上からは山道出口の様子が一望でき、展開している王国軍の間を避難民が砦に向かっているのが見える。
「様子が変だわ」
その様子を見ていたレナが異変に気が付いた。
山道を抜けてくる避難民だが、何らかの喫緊の危険から逃れているかのような混乱が見え始めた。
荷物を捨て、恐怖に駆られて最後の力を振り絞って砦を目指している。
「追われている?」
レナの懸念が現実のものとなったのはその時だった。
山道出口に展開していた第2軍団は陣形を維持したまま避難民を後方に送り、遊撃として待機していた聖騎士団が砦までの誘導を行っている。
これまでに山道を抜けてきた避難民は疲労困憊ながらも秩序を保っていたのだが、ここにきて恐慌状態の避難民が押し寄せてくるようになり、展開していた王国軍も混乱した。
「魔王軍が来るぞ!所定の配置につけ!」
第2軍団長は各級指揮官に臨戦態勢を指示したのだが、彼はその時最悪の事態を考えていた。
彼が考える最悪の事態とは、魔王軍が避難民に追いつき、相互が入り混じった状態で戦闘に突入することだが、その最悪の事態が現実のものとなった。
避難民の最後尾に迫る魔王軍は逃げきれなかった避難民を次々と飲み込みながら山道に姿を現した。
帝国兵の生き残りと思しき人間の兵と魔物の混成部隊約5千が逃げ惑う避難民を蹴散らしながら突撃してくる。
第2軍団の最前列は盾を構えて防御体勢を取ろうとするが、殺到する避難民を後方に逃がすために完全な体勢を取れないまま敵の突撃を受け、いとも簡単に陣形に穴を穿たれた。
右翼に控えていた第1騎士団も避難民に阻まれて魔王軍に攻撃を仕掛けられず、逆に魔王軍の猛攻を受けて突入の機会を失い防戦一方になっている。
聖騎士団は逃げ切ることができた避難民を守りながら後退したため、ほとんど損害を受ることはなかったが、前線が混乱に陥り、防御線を食い破られた状態では反転して戦線参加をすることも出来ずにそのまま砦まで後退を余儀なくされた。
「なんという体たらくですの!」
聖騎士団の中隊を率いて避難民の誘導に当たっていたイザベラは崩れゆく戦線を目の当たりにし、咄嗟に部隊を率いて反転しようとした。
「待て、イザベラ!避難誘導が優先だ!それにもう戦線は立て直すことはできん!」
同じように中隊を指揮していたアランに止められ、歯噛みしながらも避難民を誘導して砦まで後退した。
前線に取り残された第2軍団と第1騎士団は敵を包囲する計画を断念し、態勢を立て直しながら後退を試みているが、敵の攻勢を受け流しきれずに損害を増やしている。
王国軍の目論みが外れて前線が完全に崩壊したのはこの時だった。
砦内で異変を聞きつけた国境警備隊や冒険者は戦線の立て直しもできず、崩壊しつつある前線部隊の様子を固唾を飲んで見守っている。
「主力が崩壊ってヤバいんじゃないか?」
誰ともなく洩らした言葉に答える者もいない。
やがて第1騎士団と第2軍団は多大な損害を出しながら敗走を始めた。
敗走する王国軍にも容赦ない追撃が加えられ、第1騎士団は半数弱、第2軍団は3分の1もの損害を受けながら砦へと後退してきた。
襲いかかってきた魔王軍は5千。
それでも単なる先遣隊だったらしく、戦線を食い荒らした後は深追いすることなく山道出口まで後退して陣を張り、後続の本隊の到着を待っている様子だ。
この時、砦にいる王国軍は第1騎士団が5百弱、第2軍団が4千が残存し、その外無傷の聖騎士団、国境警備隊や魔導部隊、冒険者で2千強、合計7千程度の戦力を残してはいるが、主力に大きな損害が出た状況では反撃に転じることも出来ず、残された選択肢は籠城戦のみであった。
「屈辱ですわ!避難民に犠牲を出し、戦線を維持できず!こんなことならば聖騎士団中隊長としてでなく特務兵として自由な裁量で動き回った方がいいですわ!」
イザベラは怒りに震えていた。
「無茶を言うな!これは特務兵の任ではない!そもそもお前が特務兵として高い力量を有していようが、数で押してくる相手にたった1人で挑むのは無謀すぎる」
アランに叱責されたイザベラはアランを睨みつけるも、直ぐに冷静さを取り戻す。
「そう、ですわね。私としたことが自分を見失いかけていましたわ。中隊長の任務を放り出すわけにもいきませんしね。ありがとう、アラン」
イザベラは気持ちを入れ替えた。
「直ぐには動きはないでしょうから、少し頭を冷やしてきますわ」
部下達に休息待機を指示したイザベラは1人で歩き始めた。
砦の中は負傷兵や弱った避難民でごった返していた。
その中を治療術師や各都市から集められた冒険者達が忙しく走り回っている。
イザベラはその中に見知った冒険者の姿を見た。
「貴女も来ていらしたのね?」
イザベラに声を掛けられて振り向いたレナは無言で頷いた。
「そんなに怖い顔で睨まないでくださいまし。今の私達は共に戦う仲間ではありませんの?」
レナはため息をつきながらも肩を竦めた。
「お互いに好きでもない相手でも今はそんなことを言っている場合じゃないわね」
「そうですのよ。初戦を取られて非常に厳しい状況に追い込まれてしまったんですもの。皆で力を合わせて挽回しなければいけませんわ」
「そうね。私達だって避難民の保護をするためだけに来たわけじゃないわ」
「そういうことよ。ところで」
そう言うとイザベラはレナの周囲を見回した。
「あの忌々しいネクロマンサーはおりませんの?」
「ゼロはここにはいないわ。ギルドの命令で他の任務に付いているわ」
レナの言葉にイザベラは怪訝な表情を浮かべた。
「あれほどの手練れのネクロマンサーが他の任務?・・・っ!」
イザベラの表情の変化をレナは見逃さなかった。
「貴女、知っているわね?」
レナの問いにイザベラは頷いた。
「ええ、知っていますわ」
「教えてもらえるかしら?」
「構いませんわ。別に秘密ではありませんし。多分ですけど、ゼロは北の砦の守りに向かったのですわ」
「北の砦?」
「ええ。連邦国から山越えをして我が国に抜ける山道はここだけ。でも、もう1つだけ、北の山を越えてくる進路があり、そこを守る小さな砦がありますの。そして、そのルートからも魔王軍の別働隊が侵攻してくる情報がありましたの。でも魔王軍の主力は山道を越えてくるここ。だから私達もこの砦に最大戦力を配置する必要があったため、北の砦には所謂捨て駒部隊が送られましたのよ」
「捨て駒部隊?」
「急編成された、戦死しても影響のない囚人部隊がそれですの」
「そこにゼロも送られたと?」
「確かではないけど、他には考えられません。彼ならば1人で大隊分の働きをするでしょうから、囚人部隊と一緒に送り込まれても不思議ではありませんの。でも、ごまかし無しで言いますけど、北の砦に行った者達は生還することを考えられてはいませんのよ」
「だから捨て駒部隊・・・」
レナは王国軍やギルドのやり方に怒りを覚えたが、今の彼女にはどうすることも出来なかった。