黒と銀
ゴブリンの戦いから数日後、僕とサラは、巨大な壁に包まれた街の前に立っていた。
「で、でかい‥!」
その壁は、森に生えている木よりもはるかに高く、そして分厚かった。
高さだけなら、レフカムゾランにも匹敵するのではないだろうか。
どんな魔獣が攻めてきても、はじき返してしまうような重厚感を持っている。
「ここは辺境の街。いつ魔物に襲われるかわからない」
「誰が作ったの、こんな大きな壁」
もし石を一つずつ積み上げて作ったとしたら、何百年もかかってしまいそうだ。
「さぁ。昔の土魔術師だと思うけど」
サラは投げやりに僕の疑問に答えると、すたすたと歩き出した。
僕は慌てて彼女の後を追う。
「おう、サラじゃんか。久しぶりだな」
壁に作られた門の前で、サラは門の衛兵にギルドカードを提示した。
衛兵はギルドカードを一瞥するとすぐにサラに返す。
「ちょっと遠出してた」
サラはそう言うと、僕を示した。
「この人、ギルドカード持ってないけどすぐに作るから通して」
「おう兄ちゃん。冒険者になるのか。サラが連れているくらいだから、将来有望なのか?」
衛兵は、男臭い笑みを浮かべて僕に書類を渡す。
書類に目を落とすと、出身地やら名前やらを書く欄があった。
「ま、ギルドカードが発行されるまでの仮の滞在証ってやつだ。
大した手間でもないから、ちゃちゃっと書いちゃってくんな」
「チェスターは有望。いずれ私に勝つらしい」
僕が書類に記入している横でサラがそう言うと、衛兵は肩をすくめた。
「黒疾風のサラにそこまで言わせるたぁ、相当だな」
「そんなことないですよ。僕は昨日までただの村人でしたから」
僕は書き終わった書類を衛兵に手渡す。
衛兵はざっと書類に目を通すと、一つ頷き、僕の肩を叩いた。
「ま、死なないのが一番優秀な冒険者だよ。がんばれよ、兄ちゃん」
「ありがとうございます」
僕は衛兵にお辞儀をして門をくぐる。
少し歩いたところで振り返ると、こちらを見ていた衛兵と目があった。
僕が会釈をすると、大きく手を振り返してくれた。
いい人だったな。
衛兵がいい人の街は、きっといい街だ。
「まずは冒険者ギルドにいってギルドカードを作る」
サラが鞄の中から銀貨を一枚取り出して、僕の手に押し付けた。
「それ、登録料」
「あ、ありがとう」
僕は慌てて銀貨を握りしめる。
僕の住んでいた村では物々交換が普通だったから、銀貨なんて初めて持った。
「貸しただけ。10倍にして返して」
「やっぱりそうだよね」
僕は肩を落とす。銀貨10枚稼ぐのって、どれくらい大変なんだろう。
当面の生活費もサラに借りないといけないだろうし。
「任務をいくつかクリアすれば、銀貨10枚程度ならすぐに返せる」
サラは、周囲から頭二つくらい飛び出た大きな建物の扉に手をかける。
その建物に掲げられた看板には、剣と盾が描かれている。
後で知ったことだが、「人類の敵を撃つ剣となれ。人類を守る盾となれ」という冒険者ギルドの初代ギルドマスターの言葉を図形化したものらしい。
僕が返事をする前に、サラは扉を押し開けた。
僕も慌ててサラの後ろに続く。
扉をくぐると、中にたむろしていた人たちの視線が、一斉に僕たちに集まった。
どの人も鋭い眼光をしていて、僕なんかとは世界が違う人のように見える。
「おい、黒疾風が男を連れているぞ」
「あれか、非常食じゃないか」
「いや、いくら黒疾風でも人間は喰わないだろう」
「じゃあ何だって言うんだ」
「お前、聞いて来いよ」
「無理だって。お前の方がランクが高いんだからお前聞いて来いよ」
「……さっきの衛兵さんも言っていたんだけど、黒疾風ってなに?」
「……私の通り名」
「そうなんだ」
「通り名を付けられるのは、優秀な冒険者の証。とても名誉」
「それはそれとして、なかなかの言われようだね。僕、非常食扱いだよ」
「外野には好きなだけ言わせておけばいい」
「あら、サラさん。しばらく顔を見せなかったので、心配していたのですよ。
またアイツを追いかけていたんですか?」
僕たちを――というかサラを――遠巻きに見ているむさくるしい男たちの群れを割るように、背の高い女性がこちらに歩いてきた。
何かの獣人だろうか。
サラと同じような綺麗なイヌミミをしているが、その色合いは、サラと対を成すような銀色である。
月の光が流れたような銀髪に、赤い宝石のような切れ長の目。
出る所は出て、引っ込むところは引っ込んでいる見事なプロポーションの思わず見とれてしまうほどの美女だった。
「そう。心配かけた、リネール」
サラが眼前まで歩いてきたリネールさんに頷く。
リネールさんの方が頭一つ分背が高いので、自然とサラが見上げるような形になる。
「黒疾風と銀疾風だ」
「見ている分にはいいんだけどな」
「ああ、二人とも黙っていれば目の保養なんだけど」
「声が大きい。聞こえるぞ」
「やべ。怒らせる前にちょっと下がろうぜ」
むさくるしい筋骨隆々の男たちが、一斉に距離を取っていく。
銀疾風っていうのは、もしかしなくてもリネールさんの通り名なんだろう。
黒疾風に銀疾風か。通り名だけで、二人の関係性がなんとなくわかるな。
「で、こちらの方はどなたですの?」
一歩動いたところで、リネールがこちらに視線をやった。
その仕草がどこか色っぽく、思わず僕の胸が高まる。
やっぱりとんでもない美人だな、リネールさんは。
サラも十二分以上に可愛いけど。サラとリネールさんは方向性が違うって感じだ。
「チェスター。竜神の森で拾った」
「拾ったって……。まぁいいですわ」
サラの言葉に、リネールさんは呆れたように首を振ると、すぐにこちらを向いた。
「わたくしはリネール。見ての通り、銀狐族の冒険者ですの」
「あ、チェスター、です」
そうか、銀狐族か。
だから銀色の髪とイヌミミなんだな。
黒狼族のサラと並ぶと、黒と銀でよく似合っている気がする。
僕が一人で納得し何度も頷いていると、はじけ飛ぶようにドアが開いた。
「大変だっ!」
ギルド中の視線が集まった先で、力尽きたように一人の男性が床に倒れこんでいる。
「どうしたんだ、モリドン!」
モリドンと呼ばれた男性は、荒い呼吸を繰り返しながら、必死の形相で声を張り上げる。
「大変なんだっ! ギルマスを呼んでくれ! 小地竜の群れが現れた!」
小地竜の群れ、とモリドンが口にした瞬間、ギルドの中を、それまでとは比較にならないざわめきが生まれた。
「終わりだ、この街は」
どこかで、誰かがそう呟いた。