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黒竜

「ッ!」


 全力で脚に力を込め、その場から跳躍する。

 足元の地面が鈍い音を立てて割れる。


 先ほど僕が立っていた位置を黒炎が通り過ぎる。

 数メートルは離れているにも関わらず、呼吸が苦しくなるほどの熱が伝わってきた。

 直撃していたら消し炭になっていたかもしれない。


「ほう、これを躱すか」


 空中で身動きできない僕を、黒竜は嘲笑う。


「これはどうだ?」


 黒竜は空中で体を回転させた。

 大木のような巨大な尾が空気を押し潰しながら僕に迫る。


 まずい。

 避けられない。


 尾に向かって両手を伸ばす。

 ……この竜魔術で防げるか? 


 いや、手段はこれしかない。

 賭けだ。


「竜魔術『障壁』!」


 手の先に、緑色の半透明の壁が現れた。

 

 壁は、小さな竜のうろこが重なったような模様が入っていて、どこか神秘的な光を帯びている。

 こんな時でなければ、じっくりと見たいと思うほど美しかった。


 けど、今はそれどころじゃない。


 尾が壁に当たると、壁は尾を受け止めたが、それも一瞬のことだった。


 壁が軋むような音を立てて砕けたかと思うと、全身の骨が砕けたかのような衝撃が僕を襲い、次の瞬間には僕の体は地面に叩きつけられていた。


 息を吸うことができない。

 視界の端が徐々に暗くなってくる。

 頭を振って暗さを追い出す。

 全身が痛い。


 でも、まだ生きている。


 危なかった。

 『障壁』を張っていなかったら、即死していたかもしれない。


 初めて使ったから不安だったけど、『障壁』の防御力はかなり高いようだ。


「ほう、まだ生きているか」


 黒竜は上空からゆっくりと地面に降りてきた。

 体格に見合わない軽い音を立てて、地面に着地する。


 翼に煽られた土煙があたりに舞う。

 


 このままだと殺される。

 逃げてばっかりじゃあ、いずれやられる。

 攻めないと。



 僕は手のひらを黒竜に向ける。


 魔力を集中。

 


「竜魔術『極雷』!」


 僕の手のひらから、極大の雷が迸る。

 雷は宙を疾り、耳をつんざく音を立てて黒竜に直撃した。


 あたりに煙が立ち込める。


「……倒せたか?」


 僕が今使える竜魔術の中で、最も攻撃力が高い魔術だ。

 これで倒せなければ、


「やはりな」


 煙が晴れた時、そこにいたのは無傷の黒竜の姿だった。


「おまえは、レフカムゾランの力を全く使いこなせていない」


 

 さっきまでの僕は何を考えていたのだろう。

 いくらレフカムゾラン様から力を受け継いだからといって、それを使いこなせなければ意味がない。


 なによりも、上には上がいるのだ。

 僕程度の存在が、なにを思い上がっていたのだろう。


「そろそろ面倒くさくなってきたな。これで死ね」


 黒竜が口を大きく開ける。


 口の中には、禍々しい黒光が産まれていた。


 空気の弾けるような音が、あたりに連続して響く。


 あれはやばい。

 僕の背中に、冷や汗が流れる。

 あれをくらったら、障壁を何重に張っても、確実に即死する。


 なんとかして避けないと。

 でもどうやって?

 方法が見つからない。


 

 その時、視界の外から、なにか小さな黒い物が飛んできた。


 それは地面にぶつかると、僕と黒竜を包み込むように大量の煙を吐き出した。


 そして煙に紛れるように風切り音が鳴ったかと思うと、痛みに苦しんでいるかのような黒竜の叫び声が響いた。


「こっち。ついてきて。急いで」


 煙の中で、僕は誰かに手を引かれ、走り始める。

 僕は視界のない中、必死にその手を追う。

 後ろからは、黒竜の咆哮が僕たちを追っている。


「ここから木がある。気をつけて」


 この手の持ち主は、煙の中でも周囲の様子が見えているのだろうか。

 左右に何度も蛇行しながら、僕がついていくのがやっとのスピードで走り続けている。

 

 僕は息を切らしながらも、何とかついていく。


 いつしか、煙は消え、周囲の様子がわかるようになっていた。

 黒竜の声も、微かに風に乗って聞こえる程度になっている。


「ここまでくれば、多分大丈夫」


 僕の手を引いて走っていた女性が足を止め、こちらを振り返った。


 身長は僕と同じくらいだろうか。

 まず目を引くのは、頭に立っている二つのイヌミミと、ふさふさとした尻尾である。

 どちらも、柔らかそうで、光沢のある黒い毛で覆われていた。

 次に印象的なのは、彼女の目。

 何かを固く決意しているような、強い輝きを持ったエメラルド色の目だった。


 まるで荒野に咲く花のような、凛とした美しい少女だった。

 こんな状況であるにも関わらず、僕は彼女に見とれてしまった。


「助けてくれてありがとう」


 僕は我に返ると、その女性に頭を下げる。


「いい」


 女性はそっけなくそう答える。


「あの黒い竜、追ってこないかな?」


 僕は走ってきた方向を気にしながら質問した。

 今にもあの黒竜が襲ってきそうで、気が気じゃなかった。


「大丈夫。そんなに強力ではないけれど『竜殺しの概念』を纏った矢で前足を貫いた。

いかにあの黒竜といえど、治癒にしばらく時間はかかる。

治癒を待っている間に、あいつは休眠期に入る。

休眠期に入ってしまえば、数年は大丈夫」


 女性は、背に背負った、彼女の身長よりも大きな弓を指差した。

 あんな大きな弓が引けるなんて、彼女の筋力はやはり相当高いのだろう。

 それよりも、

「『竜殺しの概念』を纏った矢があるなら、あいつを殺せたんじゃないか?」


「無理。『竜殺しの概念』といっても、当たり所が余程良くないと効かない」


「それでも、数を用意すれば」


「無理。あの一本に『竜殺しの概念』を宿らせるだけで3年かかった。

今は2本目を作っている所だけど、そっちはまだ本当に微弱。実戦で使えるものじゃない」


 彼女は首を振った。


「本当なら、あの矢はあいつの急所に射るつもりだった。

そうしたら、あいつを殺せたかもしれない。

あいつの決定的な隙をつくために、ずっと私はあいつを追っていた」


「そっか……。ごめん、僕を助けるために」


「いい。あのままだと、あなたは死んでいた。

あいつを殺すのは、また別の方法を考える。まだ時間はある」


 彼女は落胆した様子も見せず、淡々と話す。


「なんであの黒い竜を殺そうとしているの?」


 彼女の並々ならぬ決意が気になった僕は、思わずそう尋ねていた。

 あれほど強大な存在に挑むなんて、並大抵の決意ではないのだろう。


 彼女は表情を変えることなく、淡々と答える。


「私の家族と村は、あいつに滅ぼされた。

私だけが助かった。だから、今度は私があいつを狩る番」


 そう語る彼女は、どこまでも気高く、美しかった。


 強大な存在に村ごと滅ぼされるのは、そんなに珍しい話ではない。

 大きな都市のスラムにでもいけば、普通に被害者が見つかる程度の話である。

 それでも、決して許せる話ではない。


「それ、僕にも手伝わせてもらえないかな?」


 彼女に助けられた身としては、当然のことだ。

 僕を助けるために、切り札ともいえる矢を使わせてしまったわけだし。

 僕の筋力や運動能力、それに竜魔術なら、彼女の役に立てるはずだ。

 今日は黒竜に手も足も出なかったけど、いずれはもう少し戦えるようになるはずだ。


「いいえ、大丈夫。いらない」


 自信満々で提案した僕を待っていたのは、にべもなく首を振っている彼女の姿だった。


「どうして?」

「あなたが弱いから。足手まといはいらない」

「さっきの様子を見れば弱く見えるかもしれないけど」


 僕は足元に落ちていた石を拾い上げ、先ほどと同じように砕いてみせた。


「この通り、筋力はかなり高い方だと思うよ」

「筋力なんて、強さの一部分でしかない。それがわからないあなたはやはり弱い」


 彼女は相変わらず無表情だった。


「なんなら」


 彼女は背中から弓を外し、地面に置く。

 弓のない彼女は、一回り小さく見えた。


「試してみる?」


 そう言い残すと、彼女の姿がブレる。

 以前の僕だったら彼女の動きを目で追うことはできなかっただろう。

 でも強化された運動能力を持つ僕は、なんとか彼女を見失わずにすんだ。


 彼女は地面を這うように、僕に向かって進んできていた。


「ちょっと、なんでそうなるの?」


 僕は慌てて距離をとりながら、そう抗議する。

 別に今、決闘まがいのことをしなくてもいいのに。


「言葉で言ってもあなたはわからない。だから体に分からせるのが一番」


 彼女は僕にぴったりとついてきている。

 おかしい。

 運動能力は多分僕の方がかなり高いはずなのに。

 なんで降り離せない。


 もしかしたら彼女の方が速いのか?


「そんなに言うならわかったよ。怪我しても知らないからな」

「それはこっちのセリフ」


 僕は足を止め、彼女に殴りかかる。

 もちろん、拳ではなく平手である。

 さすがに女性を拳で殴ることはできない。


 しかし、気がつくと、僕は地面に横たわっていた。

 全身を鈍い痛みが覆っている。

 ……投げられたのだろうか?


「まだやる?」

 僕は慌てて立ち上がり、彼女から距離をとる。

 知らず知らずのうちに油断していたのかもしれない。

 今度は重心をしっかりと落とし、彼女を見据える。


「いくよ?」

 彼女が動いたかと思うと、やはり僕は地面に叩きつけられていた。

 彼女の体は見えているのに、なにをされているのかすらわからない。


 

 それから何度も立ち上がっては、何度も地面に叩きつけられた。

 次第に僕の体にダメージが蓄積していく。


「もうわかった?」

 

 何度倒されたのかわからないほど倒されたあと、地面に倒れている僕の顔を彼女が覗き込んだ。


 もう十分にわかった。

 僕は彼女に勝てないし、そもそもまともに勝負することすらできない。


「わかればいい」


 無言で頷く僕を見た彼女の顔が、少しだけほころんだような気がした。

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