竜神との会話
僕はなんとか足を動かし、少しずつ後ずさりをしようとしたが、1メートルも動かないうちに足を縺れさせ、その場に尻餅をついてしまった。
目の前の竜が口を開いた。
その声は、物理的な圧力すら持って僕の体を打つ。
「なにをしにきた、人の子よ」
周囲の洞窟を震わせるような声が響く。
その声を聞くだけで、僕の足はガクガクと震え、全身を冷や汗が包む。
もうすぐ僕はこの竜に食べられて死ぬ。
抵抗しても無駄。圧倒的に生物としての格が違う。
僕の体は震え、口からは意味のない音が切れ切れに出てくるだけだった。
「ふむ。察するに生贄というやつだな。
おい、人の子よ。お前は生贄として我の元に来たのか?」
僕は腰を抜かしたまま、なんとか竜神様の質問に答えようと口を開く。
しかし、舌が張り付いたかのように動かず、僕の口から出てきたのは意味不明なうめき声だった。
「ふっ」
その様子がおかしかったのか、竜の口からかすかに息が漏れる。
「人の子よ、我はお前を食べようとは思わん。だから安心するがいい」
「へ?」
思わず僕の口からは変な音が出た。
「そう遠くないうちに、我は死ぬ。生命体としての寿命がきている。
もう何を喰らったとしても、そう寿命は延びん」
「そうなの、ですか」
僕は安堵に胸をなでおろす。
全身から力が抜け、僕は仰向けに倒れた。ゴツゴツとした天井が見える。
しばらくそのままの体勢で天井を見上げていた。
極度の緊張から解放されたせいか、全身をぐったりとした疲労が覆っている。
ぼんやりと、時間が流れていくのを頭のどこかで感じていた。
「いつまでそこで寝ているつもりだ、人の子よ」
不意に、竜の顔が僕の視界を覆い尽くす。
「うわあっ」
僕は慌てて跳ね起きる。
その様子がおかしかったのか、竜は声をあげて笑い始めた。
「お前は面白いな、人の子よ」
落ち着いてみると、竜は優しそうな、高度な知性を感じさせる目をしていた。
「人の子よ、お前に一つ頼みがある」
「な、なんでしょうか?」
まさか、僕の左手をかじらせてくれって言うんじゃないだろうな。
おやつ代わりに? おいしくないぞ?
「そんなに怯えなくてもよい。ちょっと、我の最後の話し相手になってくれれば良い」
「話し相手、ですか?」
「そうだ。死ぬことに最早恐怖はない。だが、ろくに体も動かせないとなると、退屈極まりないのでな」
竜はその長い首を振った。
「手始めにお前のことを話してくれ。お前がどこで生まれ、どのように育ってきたのかをな」
竜は、その静かな目で僕の目を覗き込んでいた。
―――――
「僕の両親は、二人とも冒険者でした」
何から話し始めていいかわからなかった僕は、両親の話からすることにした。
冗長的な話になってしまいそうだったが、この竜なら許してくれるような気がした。
「母が言うには、そこそこ腕が立ち、そこそこ有名だったそうです。
なによりも、面倒見のいい冒険者として知られていたそうです。
だからかもしれません。僕が産まれて間もない頃に、父は大きな戦争に召集され、仲間を庇って戦死したそうです。
その戦争で、父の冒険者仲間は、召集を拒否した母以外は、全員亡くなったそうです」
竜はゆっくりと頷いた。
どこか、ここではない遠くをみているような目をしている。
「時期的には、ラインデンヒルトの独立戦争だろうな。あの戦争は酷い戦争だった」
「父を失った母は、僕を出産してまもなく病気になってしまったそうです。
僕が物心つく頃には、ベッドから起き上がれないほどに悪化していました。
だから、僕の記憶の中にある母の姿は、ベッドで横になっている姿だけなんです。
冒険者時代に母は『炎雪の魔導士』と呼ばれていたそうですが、その面影はなくなっていました」
「『炎雪の魔導士』か。つまりお前の父は『一刀の魔剣士』ということか」
「両親をご存知なのですか?」
「知っているもなにも、戦ったこともあるぞ」
竜は体をくねらせ、左の前足を差し出した。
それだけの動きで、かなり息が荒くなっている。
寿命が近い、というのは本当のことなのだろう。
差し出された左足には、指が3本しかなかった。
「見えるか? お前の父は、この我の指を二本落としたんだ。大した剣士だったぞ」
「すいません。父が」
「戦いの中のことだからな、一向に構わん。
むしろ、よくぞ人の身をあそこまで高めることができたと、感動すら覚えたものよ」
竜は息を整えるように、ゆっくりと体を横たえた。
「その時の褒美で与えた爪はどうなったか知っているか?
我との闘いで折れた剣の代わりにすると言っていたんだが。相当な剣になったはずだ」
僕は、父さんからもらったものはなに一つとしてない。あるとすれば、
「おそらく、僕の叔父が持っている剣のことだと思います」
「お前の叔父が」
竜は目を細める。
「ええ、僕を育てる対価だと」
「お前の叔父は、剣士なのか?」
「いえ、剣を持ったことはないでしょうし、戦いにも出たことはないと思います。ただの農家ですから」
僕の言葉を聞いた竜は、不快そうな顔をして、鼻から息を吹き出した。
「剣士でもないものが我の爪から作った剣を持つとはな。
『一刀』の血を引くお前ならともかく」
「すいません」
僕は身を縮こませることしかできない。
「まぁ、良い。お前に言ってもしようがない。その後のことを話すがよい。『炎雪』はどうなった?」
「母は、僕が6歳の頃にそのまま亡くなりました」
「そうか」
竜は黙祷するかのように目を閉じた。
「『一刀』も、『炎雪』も、長くは生きられなかったか」
しばらくすると、竜は目を開けて続きを催促するように僕に視線を合わせた。
「その後は、叔父に引き取られて、叔父の畑を手伝いながら育ててもらいました。
それでなんやかんやあって、竜神様の生贄になってここにきました」
もう話すことがなくなったので、僕は口を閉じる。
最後の方は駆け足だったが、大したイベントもないのでしょうがない。
「お前、この後はどうするのだ?」
「この後?」
「我が死んだ後だ。村には帰れないだろう?」
「そう……ですね」
僕の脳裏に、叔父とダミアンの、僕を見下すような目が浮かぶ。
あの村にいたら、利用されるだけ利用されて、最後はゴミみたいに捨てられてしまうだろう。
「お主、冒険者になるがよい」
「冒険者……ですか? 無理ですよ、僕には。
運動能力も低いし、頭がいいわけでもない。魔法だって何も使えないですし」
僕は顔の前で何度も手を振った。冒険者なんて、どうにかしてなっても、僕なんかすぐに死ぬか大怪我をして引退することになるだろう。
「まだ気がついていないだけかもしれんが、おそらくお主には冒険者の才能があるだろう。
なんといっても、『一刀』と『炎雪』の血を引いているんだからな。
まぁよい。手始めに、そうだな、」
竜は首を僕に向かって伸ばす。
なにか面白いことを思いついたかのように、顔を歪めた。
「お主、我を殺せ」