走り込みが足りない
「驚かせて悪かったな、チェスター君」
数分後、「遺跡探査中は『修行』はしない」という男性の言葉に、サラとリネールは渋々ながら武器を下ろした。
もっとも、未だに男性が動くとピクリと反応しているから、まったく気は許してないのだろう。
何かあればすぐに行動に移せるような、そんな雰囲気だ。
「改めて自己紹介させていただこう。Aランク冒険者のケールドレンドだ。
ま、気軽にケールさんとでも呼んでくれ。
あちこちを放浪していてこの前の地竜との戦いには参加できなかったが、チェスター君の活躍は聞いている。
今回ギルドからの要請を受けて君たちの古代遺跡の探査をサポートすることになった。
よろしく頼む」
「あっ、はい。一応、Aランク冒険者のチェスターです。
よろしくお願いします、ケールさん」
ケールさんはエルフなのだろう。
端整な顔立ちをしており、少しだけ耳の先が尖っている。
顔に刻み付けられた皺からは、長年風雨にさらされてきた彫像のような気品があった。
赤茶色の皮鎧を身につけ、腰の左側に細身の剣を2本下げている姿からは、経験と自信が溢れ出ているような気がする。
「……に似ているな」
ケールさんが僕の顔をじっと見ながら、かすかに口を動かした。
僕が誰かに似ていると言ったようだったが、声が小さすぎて、何を言っているのかよく聞こえなかった。
「え? なんですか?」
「いや、なんでもない。気にしないでくれ」
ケールさんはごまかすように首を振ると、正門に向かって歩き出した。
「時間がもったいないし、さっさと行くとするか」
僕は慌ててケールさんの後を追う。
サラとリネールは、数メートル距離を開けてついてきているようだ。
まだまだ警戒しているのだろう。
正門の横には、大きな欠伸をしている衛兵が立っていた。
僕がこの街にきた初日に会った人だ。
あの後にサラに名前を聞いたが、ノルドさんと言うらしい。
「よう、英雄殿。朝早くから精がでるな」
「ノルドさんも、おつかれさまです」
英雄殿と呼ばれたことに苦笑しながら、僕は挨拶を返す。
地竜と戦って以来、冒険者たちがふざけて僕のことをそう呼ぶせいだろう。
街の人からもそう呼ばれることが多くなった。
どことなくからかうような響きがあるが、却ってそれが街の人たちに受け入れてもらえたような気がして、心地よい。
「気をつけて行ってこいよ」
「いってきますね」
ノルドさんの言葉に手を挙げて答えながら、正門をくぐる。
目の前に広がる平原には、先日の戦いの名残か、所々焦げたような跡があった。
土魔法で作った陣地もそのままになっている。
なんでも、思ったよりも出来がよかったとのことで、もう少し手を入れて、防衛用の本格的な陣地とするらしい。
豪快な見た目と違って意外と策士なギルマスらしい発想だ。
「ここからどれくらいの所にあるのですか?」
僕は前を歩くケールさんに尋ねる。
「……大体1時間くらいだな」
ケールさんは僕を観察するように見た後、少し首をかしげるようにして答えた。
「1時間……ですか」
意外と近いんだな。
僕は内心で安堵した。
地図で見たときは森の奥の方にあるみたいだったから、もっと時間がかかると思っていた。
「チェスター様、騙されないでください」
リネールが後ろから声をかけてきた。
僕は足を止めることなく振り返り、リネールの顔を見る。
リネールもサラも、心底嫌そうな表情をしている。
「この方の言う移動時間は、限界ギリギリで走った時の時間です」
「そう。人のギリギリを掴むのは無駄にうまい」
警告を発するような声音のリネールに被せるように、サラも頷いた。
「はっはっは、まぁそういうことだ。走るぞ」
突然、ケールさんは走り出した。
唖然としていると、徐々にケールさんの姿は小さくなっていく。
「ついてこないと古代遺跡にはいけないぞ!」
そういうことか。
サラたちの表情の意味が分かった気がする。
確かに僕たちは誰も迷宮のある位置を知らないし、ついていくしかないのか。
地図はおおざっぱに書いてあるだけだったし、あの地図で探していたら何日もかかってしまいそうだ。
ため息をつきながら走り始めたサラとリネールを追うように、僕も走り始める。
ケールさんは思ったよりもゆっくり走っていたようで、すぐに追いつくことができた。
「まぁ、これくらいなら追いついてもらえないとな」
ケールさんは後ろを振り返ってニヤリと笑うと、
「ま、ここまではウォーミングアップなんだけどなっ!」
と速度を急に上げた。
さっきまでは歩いていたんじゃないか、と思わず苦笑いしてしまうほどの速度だった。
見る見るうちにケールさんの後ろ姿が遠ざかっていく。
僕は慌てて足に力を込める。
僕は体力と脚力には自信があるから大丈夫だと思う。
サラも僕よりもスピードがあるから大丈夫だろう。
心配なのはリネールだ。
低ランクの冒険者よりは遥かに鍛えているとはいえ、後衛職の彼女は筋力も体力も僕たち程にはない。
僕は隣を走るリネールに視線を向ける。
心配したとおり、彼女は額に汗をかき、呼吸を乱していた。
荷物を持とうか?と手を伸ばすと、リネールは無言で首を振り、魔術杖を握る手に力を込めた。
「『ウィンドウォーク』」
名前からすると風魔法だろうか。
リネールを中心に風が舞う。
「わたくしなら大丈夫ですわ、チェスター様。
体力はそれほどありませんが、魔術がありますから」
先ほどまでの様子とは打って変わって、リネールの表情がいつもの涼しげなものになる。
走る速度も、僕とサラに余裕でついてこられるまで上がっていた。
これなら大丈夫そうだ。
僕たち三人は、一丸となって前を走るケールさんの背中を押して追う。
少しずつ、その背中が近くなってきているような気がした。