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竜神との遭遇

「いいか、チェスター」


 叔父さんは僕の肩に手を置き、神妙な面持ちで口を開いた。

 農作業で鍛えられた叔父の手は分厚くて硬く、僕の肩に重みを伝えてくる。


「竜神様の生贄になるのはな、名誉なことなんだ。お前一人で、この村を救えるんだぞ」


 叔父さんの口はぴくぴくと動き、やがて神妙な表情は崩れ、大きく口が開いた。

 叔父の口からは我慢の限界に達したような笑い声があふれだした。


「笑っちゃダメだって、お父さん」

「しょうがないだろう、ダイアン。最高の結果になったんだから」


 叔父の肩をダイアンと呼ばれた女の子が軽く叩いた。

 この前、僕の横で震えていた女の子である。

 あの時の様子とは異なり、今は満面の笑みを浮かべている。


 彼女は僕の叔父の娘、僕から見ると従姉にあたる。


 金色の髪に、ほっそりとした色白の顔。

 田舎のこの村には不釣り合いなほど、美しいと評判である。

 いずれは領主様に嫁ぐかもしれないらしい。


「そんなこと言ったらチェスターが可哀そうよ」


 ダイアンがその綺麗な顔を歪めて笑う。

 最も、その顔は僕にとっては美しいとは思えないのだが。


 なぜ村のみんなはこの顔を、国一番の美少女だと騒ぎ立てるのか。


「私は感謝しているわ。

チェスターがいなかったら、生贄になっていたのは私だったのだから」


 その笑みには、悪意しかなかった。


「ああ、英雄だかなんだか知らないが、いけ好かない兄貴が死んだとき、こいつを引き取ってよかったよ。

体力はないし、頭がいいわけでもない、ただのごくつぶしだと思ったんだけどな。

こんなところで役に立つとはなぁ」


 叔父が感慨深げに手を合わせた。


「ありがとう、くそ兄貴。

お前と売女の間に生まれたごくつぶしは、最後に少しだけ世の中の、俺のためになるぞ」


 手が震える。

 恐怖ではない。怒りだ。これは。


 顔も見たことのない父と、ベッドに横たわっている姿しか見たことのない母。

 叔父の言葉は、その二人を汚す。


 母は亡くなる直前まで言っていた。

 父は、自分の身を犠牲にしてこの国を救った、と。

 父がいなかったら、あなたも私も、この村の皆も今ごろ生きていなかったのよ、と。


 そんな父も、そして病に身を侵されながらも最後まで笑みを絶やさなかった母も、僕にとっては誇りである。


「なんだ、その目は」


 知らず知らずのうちに、叔父を睨んでいたらしい。


 僕の視線に、人を呪い殺す力があればよかったのに。

 僕の手足に、人を殴り殺す力があればよかったのに。


 そうだったら。


「両親が死んで、行くあてのなかったお前を14歳まで育てたのは誰だ?」


 頬に衝撃と熱が走り、視界に星が飛んだ。


 殴られた、と思った瞬間、僕の体は部屋の壁にぶつかっていた。


 村の中でも体格が良く、力も強い叔父の力は、僕を軽々と弾き飛ばした。


 肺の中から空気が押し出される。


 殴られて熱を持った頬が、ひんやりとした床に押し当てられた。

 

 ダイアンの笑い声が聞こえる。

 床に倒れる僕の様子が面白いのか、部屋中に響き渡るような声だった。

 

 ダイアンの笑い声に重なるように、叔父のだみ声が僕を打つ。


「俺だ。この俺だ。俺はお前の恩人なんだ!

お前が今生きていられるのは、俺のおかげだ!

その命をどう使おうと、俺の勝手だろう!」


 叔父が一言発するたびに、叔父の足が僕を襲う。

 体中に残る傷に、新たなあざが増えていく。


「お前みたいな低能は!」


 肋骨が折れる音がする。


「俺たち勝ち組のために!」


 口から血があふれ出てきた。


「死ねばいいんだ!」


 叔父は腰に下げた小剣を抜くと、僕に突き付けてくる。


「くそ兄貴が残したもので価値があるのは、この小剣くらいだったよ。

お前は、この小剣のおまけだな」


 小剣は薄暗い小屋の中の小さな灯りを反射し、鋭く光る。


 僕が何も言えないでいると、叔父は満足したのか、小剣を鞘に戻し、その鞘を僕に向けて振り下ろした。


 これまでで最も強い痛みが僕の体に走った。


「ふん、これで自分の立場を思い出しただろう」

 

 叔父は満足そうに言うと、僕に唾を吐きかけた。


「間違っても、逃げようなんて思うなよ。

もしそんなことをしたら、もっと痛い目に会うからな」


 叔父とダイアンは、耳障りな笑い声を残して僕の家から去っていった。




 その日の夜、僕は大きな樽の中に入れられた。

 竜神様のお住まいである洞窟までこの樽に入れて運ばれるそうだ。


 逃げ出さないように、ということなのかもしれない。


 当然視界は真っ暗。

 体は伸ばせない。

 昨日から何も喉を通らなかったせいか、空腹に締め付けるように腹が痛む。


 ゆらゆらと樽は揺れる。


 寒かった。

 ただひたすら、寒かった。


 ベッドで微笑む母の顔が脳裏に浮かんでは消え、消えては浮かぶ。


 まだ見たことがない父の姿が、なんとなく見えるような気がした。


 もうすぐ二人の所に行くことができる。

 このことだけが、僕の救いだった。


 どのくらいの時間が経っているか、時間間隔さえなくなっていた。


 いつしか僕は、眠りについていた。




 気が付くとの揺れは止まっていた。

 横になっていた体も、足を下にしている。

 目的地に着いたのだろう。


 蓋を押し開け、外を覗く。


 僕を運んできたはずの人たちは、既に見当たらない。

 僕を置いてすぐに帰ってしまったのだろう。


 それはそうだ。

 誰が好き好んで、竜の住んでいる洞窟に留まるものか。


 何とか周囲を見渡そうとするも、何時間も同じ姿勢だったせいか、全身が痺れ、うまく動かすことができない。


 ひんやりとした地面に横たわったまま、全身に血が回り、動けるようになるのを待つ。


 しばらく経つと、徐々に体の痺れが取れ、体に自由が戻る。

 空腹に震える腕に力を籠め、体を起こす。


 その時視界に入ったのは、どこまでも広がる広い空間と、静かな目をした金色に輝く巨大な竜だった。

 

 きっと、竜神様だろう。



 本能が警鐘を鳴らしている。

 逃げろ、早く逃げろ、と。


 死ぬ。

 あと数秒で確実に僕は死ぬ。

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