表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/40

竜神の生贄

死ぬ。

あと数秒で、確実に僕は死ぬ。

指の爪と爪がぶつかり合い、カチカチと奇妙に大きな音を立てる。

だめだ、こんな音を立てたら。

静かにしないと。

注意を引かないようにしないと。


狂ったように同じ指示を出す脳を裏切るように、体の震えは止まらない。

背筋を汗が流れ落ちる。

全身が冷たい。


震える僕の目の前にいるのは、金色の竜だった。

お伽話に出てきたとしたら、その強大さに胸が踊ったのかもしれない。


世界を破壊しようとする異次元からの使者を打ち破り、世界を救う聖なる竜だろうか。

それとも、幾多もの国を滅ぼした後に勇者に倒される邪竜だろうか。

いずれにせよ、物語の主役になるような、そんな強大な存在だ。


田舎の村に生まれ、何も世界に残すことなく死んで行く僕のようなちっぽけな存在とは違って。


竜が微かに身動ぐ。

竜にとっては、体のどこかのむず痒さを解消する程度の、ほとんど無意識の動きだったのだろう。


ただ相対している僕にとっては、死刑宣告にも感じられた。


全身から力が抜けて行く。

気がつくと僕は地面に力なく座り込み、遥かな高みにある竜を見上げていた。


その体躯は、誇張なしに、小さな山よりも大きい。

鈍く輝く鋭い爪の生えた大きな足の一撃は、僕の住んでいた村を容易く壊滅させるだろう。


翼の羽ばたきは湖の水を全て消し飛ばし、咆哮を上げれば国中が恐怖に陥る。


一枚一枚が僕の身長よりも大きな鱗は、洞窟の薄明かりを反射して神々しく輝いている。

王都の剣術大会で上位まで進出したという先代の自警団の団長でも、傷一つつけることはできないだろう。

 

 体の色よりも澄んだ金色の目が、僕を見下ろしている。

 獲物を見るような――実際に僕は獲物なのだが――目だった。


 死ぬ。

 この竜に僕は喰われて死ぬ。

 確実に。


 僕を諦めが覆う。


 ここ数日にあったことが僕の頭をよぎった。

 これが走馬灯だろうか。


―――――


 薄暗い部屋の中で、伸ばされた叔父の手が震えていた。

いつも堂々として、大きな声で話し、肩で風を切って歩いている叔父とは思えないほど弱々しい姿だ。


 その手を、周りに円を作るように立っている村人が凝視している。

 特に、僕と同じように円の最前列に立たされている、僕と同年代くらいの子どもたちには。


 伸ばした手の先には、数枚の板切れ。


 村はずれにある製材所にでも行けばいくらでも転がっていそうな板だが、今は僕の、僕たちの運命を握っている。


 叔父は一つ深く息を吸うと、一枚の板切れを取った。


 叔父はその板切れを掴んだまま硬直していたが、意を決したように頷くと、僕の隣に立つ女の子に差し出した。


 女の子は、叔父よりも震える手を板切れに伸ばす。


 少しずつ、少しずつ女の子の手が板切れに近づいていく。

 板に手が近づくにつれ、その手の震えは大きくなっていった。


「……!」


 板が床に落ち、軽い音がした。

 手が震えすぎたのか、女の子は板切れを取り損ねたようだ。


 床の上に落ちた板切れは、それまで裏にしていた面を表にしている。

 真っ直ぐな木目の中ほどに、赤い大きな円が書いてあった。

 不吉な、おとぎ話に出てくる悪魔の目を模したかのような円だった。


 それを見た叔父と女の子の顔が青ざめたが、すぐ顔色は戻った。

 その表情は、既に先ほどまでの緊張した様子は無くなっていた。


 嫌な予感がする。

 いや、予感なんてものじゃない。これは確信だ。


 二人とも、僕を見下すような、あざけるような表情をしている。

 

 ああ、やっぱりそういうことか。


「こっちはお前のものだ、チェスター」


 叔父は僕に向かって冷たく言うと、機敏な動きで板切れを拾い、僕の手に押し込んだ。


 板の落ちた位置的に、赤い円は僕たち3人以外には見えていないだろう。


「……え。さっきは僕じゃなかったのに」

「いいから。これはお前のものだ」


 無駄だとわかっても反論しようとした僕を遮り、叔父は残りの板切れの中から1枚を抜きだし、女の子に押し付けた。

 女の子はためらうことなく板を受け取った。


 叔父も女の子も、既に手の震えは止まっている。

 当然だろう。

 もう赤い円のある板を引く可能性はないのだから。



 叔父に続いて、何人もの大人たちが板を取り、自分の子どもに渡していく。

 どの人も先ほどの叔父と同じように、青い顔をして震えていた。


 もう、震えなくても大丈夫なのに。

 僕なんだから、赤い円の書かれた板を持っているのは。




「全員引いたな?」


 数分後、部屋の奥にいた長老が声を上げる。


「子どもたちは前に出なさい」


 その声に操られるように、僕は長老の前に歩を進める。

 僕の左右には、隣にいた女の子の他に、同じくらいの世代の子どもが手に板切れを持ち、数人並んでいる。

 僕の隣の女の子以外は、手が震えている。


「見せなさい」


 長老の言葉に従い、僕たちは板切れを裏返す。


 僕は知っている。

 板切れに赤い丸があるのは、僕の板だということを。


「決まったようだな」


 僕は知っている。

 生贄になるのは、僕だということを。


 長老が重々しく言葉を発した。

 その声は、僕には死刑宣告のようにも聞こえた。


 ……いや、まさしく、死刑宣告だった。


「竜神様への生贄は、チェスターだ」


 僕を見る長老の目からは、憐れみの色が濃く出ていた。

 もしかしたら、さっきの叔父の動きを見て、事情を察したのかもしれない。


 でも、この村の権力者の叔父とぶつかるよりも、なんの権力も、後ろ盾もない僕を切り捨てる方が、村全体にとって得だと考えたのだろう。


 僕の周囲でざわめく人たちの声が、濃い霧を通しているかのように、遠くに聞こえていた。


 この時、僕の頭に浮かんでいたのは、死への恐怖でも、叔父への怒りでもなく、僕自身が無力であることへの、身を焦がすほどの悔しさだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ